【閑話休題】
[記事配信時刻:2019-09-06 16:11:00]
【閑話休題】第588回・ゴシック・ロマンの傑作
▼ホラー小説には、ゴシック・ロマンと呼ばれるジャンルがある。先回、推理小説の話でエドガー・アラン・ポー(米)を引き合いに出したが、彼の「アッシャー家の崩壊」などは、まさにその最初の名作ということになろう。1839年に発表されたこの作品は、短編ながら、この登場がなければ、後のスティーブン・キングも存在しなかったろうとさえ言われる名作である。
▼ゴシック・ロマン(ゴシック小説)というのは、18世紀末から19世紀初頭にかけて流行した神秘的、幻想的な小説のことだ。今日のSF小説やホラー小説の源流と言われるものだ。
▼ゴシック小説定番のモチーフは、怪奇現象、宿命、古城・古い館、廃墟、幽霊などだから、イメージはつきやすい。
▼19世紀には、それこそヨーロッパは文学の黄金期であり、いわゆるリアリズムが主流になっていったから、このゴシック・ロマンはまったくすたれたといっていい。完全に文学史上では、傍流となり、マニアックな存在と化していった。
▼1911年、ガストン・ルルー(仏)の「オペラ座の怪人」はよく知られているだろう。さほど怖いという話ではないが、典型的なゴシック・ロマンで、さまざまな舞台劇や映画の素材になっているのでご存知の方も多いだろう。
▼先回やはり引き合いに出した、エミリー・ブロンテ(英)の「嵐が丘」も、ゴシック・ロマンではないかもしれないが、明らかにゴシック・ロマンの手法を用いていることで知られる。1847年の作品だ。
▼怪物という鮮烈なキャラクターを登場させたゴシック・ロマンの傑作は、1818年のメアリー・シェリー(英)による「フランケンシュタイン」、1886年のルイス・スティーブンソン(英)による「ジキル博士とハイド氏」、そして1897年のブラム・ストーカー(英、アイルランド)による「ドラキュラ」だろう。この三作は「怪物もの」では、金字塔を打ち立てたといってもいいだろう。
▼この「ドラキュラ」は、何度も何度も過去に映画化されているが、一度原作を読まれたらよい。映画より、はるかに面白い(というか怖い)。ゴシック・ロマンの真骨頂が結実した、わたしは名作だと思っている。実は最近、暇なときに少しずつ読んでいたのだが、あらためてびっくりした。正直、この原作を読んだのはわたしも初めてだったのだ。第三者の語りスタイルではなく、完全に登場人物たちそれぞれの日記や手紙、電報など、いわゆる広義の「書簡体小説」なのだ。それを発端から結末まで、時系列的につなげながら、並べていく形式をとっている。これは、意外感があったが、第三者の語りを読み進めるよりも、はるかに現実感があるのだ。
▼この後になってくると、20世紀に入って1938年に発表された、ダフニ・デュ・モーリア(英)の「レベッカ」が何といっても傑作だろう。映画化や、ミュージカル化もされている。幽霊は出て来ない。しかし、幽霊の影がちらつく。最後の結末では、亡霊がいたのか、亡霊を妄想した人間のなせるわざにすぎなかったのか、謎のまま終わる。
▼デュ・モーリアと言うと、ヒッチコックが好んだのだろうか、彼の監督作品に「鳥」というホラー映画があるが、これも原作はデュ・モーリアである。
▼このデュ・モーリアと同時期には、イーディス・ウォートン(米)がいる。彼女の作品はほとんどはゴシック・ロマンではないのだが、「幽霊」という短編集だけは、文字通りゴシック・ホラーの典型だ。じわじわと押し寄せる恐怖は、かなり極上のゴシック・ロマンと言える。
▼この二人を最後に、ほとんどゴシック・ロマンらしいものは姿を消してしまった。その後、このテイストで傑作が出たのは戦後だ。シャーリイ・ジャクソンの「丘の屋敷(山荘奇譚)」がそうだ。
▼スティーブン・キングが過去100年の怪奇小説で最もすばらしいと絶賛した小説だ。読んでみると(創元推理文庫にある)、キングがこの作品に多大な影響を受けて、あの名作シャイニングを書いたということが、バレバレである。設定に類似点が多いのだ。屋敷の霊に取りつかれていく狂気の展開など、大筋から細かい設定まで、まるでシャイニングである。ただここまで時代が下って来てしまうと、ゴシック・ロマンというより、ジャンル的にはモダン・ホラーということになっているようだ。
▼この種のモダン・ホラーには、女流作家がやけに多い。たとえば、佳作を多く書いた豪州のVCアンドリュースもそうだ。彼女の中では、「オードリナ」がゴシック的な怪奇を見事に活写している。ただ彼女の作品の特徴としては、異常性愛が多くモチーフに使われている点だろう。
▼いまや、ゴシック・ロマンのモチーフとなる素材そのものが、環境の変化でほとんどなくなってしまった。おそらく、往年のゴシック・ロマンというものが復活することは、もうないだろう。
▼それにしても、ゴシック・ロマンの作家というと、ポーやスティーブンソン、ストーカーなどを除けば、誰も彼も女性ばかりだ。どうも、女性というのは、男性よりずっと恐怖に近いところにいるのかもしれない。意外に怖がりなのは、女性より男性であるということかもしれない。
▼人間の本性を究極的に突き詰めていったとき、残るのは恐怖とエロスだと言った人がいたが、あながち見当違いではないかもしれない。最も原始的な本性である。少なくとも、近年だらしなくなってきた男という動物は、とうにこの原始的な本性を失ってしまった、哀れな存在かもしれない。
▼夏の終わりのひととき、ようやく秋がそこに見えてきているちょうど読書にはいい季節になってくる。こんな往年のゴシック・ロマンを読んで、ぞくぞくされるのも一興ではないかと思うが。
▼ちなみに、だいたいネットでアマゾンや楽天をググれば、中古にしろ新書にしろ、(絶版でも中古がある)たいていの作品を文庫でお読みになることができるはずだ。
▼ちなみに、日本のゴシック・ロマンというと何があるだろうか? さっと頭に浮かぶのは、やはり泉鏡花の「天守物語」だろうか。戯曲だが、「夜叉ケ池」もこの範疇に入ると思うが、なにしろ戯曲であるから、舞台で観たほうが良いのだろう。坂東玉三郎の十八番だ。わたしは観劇したことがないので、なんとも言えないが。
▼泉鏡花は、この種のカテゴリーに入りそうな作品が結構ある。一番有名な「高野聖」は、妖怪譚としては傑作だが、残念ながらゴシック・ロマンとは違う。雰囲気はゴシック・ロマンだが、なんといっても山奥の小屋でのお話になっているので、ゴシック・ロマンに約束事の「小道具(お城など)」が出てこない。
▼ただ、雰囲気だけで良いというのであれば、泉鏡花をお勧めする。日本では近年、ほとんど読まれなくなった作家だろうが、これを超えるゴシック・ロマンはそうそう出てこないだろうと思う。
日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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