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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第442回・ダーティ・ハリー

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【閑話休題】第442回・ダーティ・ハリー

【閑話休題】

[記事配信時刻:2016-10-28 16:07:00]

【閑話休題】第442回・ダーティ・ハリー

▼7000の島嶼(とうしょ)から成るフィリピンは、一人のダーティ・ハリーによって大きな綱紀粛正の渦の中にある。6月30日に大統領に就任したロドリゴ・ドゥテルテは、支持率80%を超える熱狂の中で、鉄拳制裁を振るっている。

▼欧米先進国の「常識」や「建前」からは、とても容認されない超法規的政治は=独裁が行われている。犯罪者のとめどもない殺害を、誰も止めることができない。

▼万事、表向きは綺麗ごとを並べる欧米倫理観というものは、「犯罪者と言えども人権がある」という、まことに立派な法の精神をかざすのだが、フィリピンという国はそんなことを言っている余裕などないほど、社会の腐敗が極まっている。

▼規制の数だけ賄賂を求める役所の腐敗、高架鉄道は故障ばかりしていてそのメンテナンスは遅々として行われないでたらめさ、5カ月ごとにクビを切られる短期契約雇用の横行、警察と犯罪集団がグルになった麻薬ビジネスの蔓延。指摘し始めたら、それこそキリがない。世界中の悪徳と腐敗の集積回路のような国なのだ。

▼何年かわたしも、半分フィリピンに居住していたような時期があるが、おそらくいまだに根本は変わっていない。そのような社会状況は、独立後、ずっとそうだったのだ。まだマルコス時代は、強権独裁であったから、犯罪も一定のルールで抑えられていた。しかし、マルコス派の腐敗は国を蝕み続け、政権前半の善政は、後半の腐敗で地に落ちた。

▼マルコスが倒れて以降、真に民主化されてからというもの、犯罪「業界」は歯止めを失った。以来、ひどい有様になって30年が経過している。

▼なにしろ、運転免許証でさえ、金で買えるのだ。人を殺すのも、金で「簡単」にできる。当時の相場で、「普通の人」を殺すのに4万円くらい。著名人を殺すのに、15万円から30万円ということだった。麻薬事業がその基底にあると、だいたいこういう有様になる。コロンビア然り、メキシコ然りである。

▼旧スペイン植民地の特性ではない。チリやコスタリカなどには、こうした異常な社会状況が無いのを見ればよくわかる。

▼共通項は、麻薬事業とアメリカという二項目である。この二つが絡んだ社会の腐食は、およそ綺麗ごとで解決できるとは、到底思えない。組織的だからだ。政治的には、(現在のわたしの仕事がら)ドゥテルテ大統領の登場は、非常に厄介で困る。しかし、個人的には一つの究極の手段であることは、十分に理解できる。ある意味、トランプ大統領候補にも通じるものは確かにある。ただ、いかに綱紀粛正に成功したとしても、やがて政権が長期化すれば、マルコスと同じ運命になることは、言うまでもない。

▼話は飛ぶが、ヒラリー・クリントンは女性だけに、初の米国の女性大統領を見たいという気持ちはある。が、彼女ではよくも悪くもなにも変わることがない。しかし、ドナルド・トランプであったら、悪くなることもありうるが、非常によくなる可能性もある。

▼ドゥテルテという人物を調べてみると、生まれはレイテ島の海沿いの田舎町出身だ。父は華人系セブアノ(土着のセブ島人)の法律家で、教師だった母はミンダナオ島の先住民マラナオ人(その多くがイスラム教徒)の血を引く。

▼貧しい地方で生まれ育ち、社会的に阻害された少数者の子孫であることは、ドゥテルテの人格形成に決定的な影響を与えたようだ。

▼成人すると、マニラの既得権益層に反逆する一方、貧しい地方出身者やイスラム教徒、先住民には共感的な立場をとった。自身がさまざまな民族集団の混血であり、子どもがイスラム教徒と結婚し、8人の孫のうちイスラム教徒とキリスト教徒が半々であることを、国民融和の象徴として誇らしげに語る。

▼かなり乱暴者であったことは間違いなく、高校時代には悪友とつるんで、高校2回退学させられた過去もある。その後、マニラのリセウム大学政治学部を卒業するが、エリートが学ぶ名門校ではない。

▼大学では後に共産党を設立するホセ・マリア・シソンに学んだ。共産主義者であるかどうかは、わからない。がこの師弟関係は、アメリカというファクターを考えると、非常に微妙な問題である。本人は、社会主義者を標榜し、左派イデオロギーを取っていると公言している。共産主義だとは言っていないようだ。

▼庶民的な言葉遣い、「神を信じるが、どの特定の宗教にも属さない」と語るカトリック教会への反発。父と同じ法律家になるべく法科大学院に進んだものの、彼の民族的出身を侮辱し、イスラム教徒を差別した同級生を銃で撃つ、という事件を起こしている。ただ退学は免れ、司法試験にも合格。ダバオ市の検察局に就職した。

▼政治家への転身は、両親の影響が大きい。父ビセンテはセブ州の政治家一族の家系に属し、マルコス政権(戒厳令以前)の閣僚も務めた。マルコスの強権独裁の手法という血は、ある意味、この父親軽油でドゥテルテにも受け継がれたかもしれない。

▼一方、ビセンテの死後、母ソレダドはマルコス独裁政権を批判する側に回って、ダバオでは民主化運動を率いた。

▼マルコス政権を倒して1986年に大統領に就任したコラソン・アキノは、ソレダドの働きを評価してダバオ副市長への任命を試みる。だがソレダドは検事の息子を推薦、ドゥテルテは政治の道を進むことになった。

▼この2年後にダバオ市長に当選したドゥテルテだから、もしかすると、母親の功績に報いるということで、コラソン・アキノ政権の支援があったのかもしれない。

▼スピード違反の取り締まり、夜間の酒販売の禁止、公共の場での禁煙、投資家を呼び込むための手続きの簡素化など改革を実行。ダバオ市長を計7期、22年務めた。

▼政府も軍も、産業界も、そして国民自体も、全員で総ぐるみとなってフィリピンという国を食いつぶす悪弊の強いところで、ふつう政治家というものは「豊かさ」を公約に掲げるものだが、(あるいは独裁に対して「自由・民主」を公約に掲げることもあるだろう)ドゥテルテは違った。歴代大統領候補の中で、例外ともいえる「規律」を呼びかけたのである。

▼これが選挙民の圧倒的な支持を得たということは、この規律の欠落こそは、あらゆる貧富の格差、汚職や腐敗、麻薬の蔓延、犯罪の温床、合理的な成長ができない経済的停滞といったものの、すべての元凶である。と選挙民は認識したに違いない。

▼麻薬撲滅戦争が支持されるのも、官民の結託した麻薬ビジネスがフィリピンの腐敗の象徴、と考えられているからだ。それによって、超法規的な処刑が横行している。大統領就任から、わずか3か月で3000人が殺害されている。

▼警察は麻薬関係者が抵抗してきたので射殺したと主張するが、実際は警察自身や民間人による超法規的な処刑が横行している。麻薬の密売にかかわってきた警察らが、麻薬の売人や常習者に自分もグルだったと密告されるのを恐れ、“口封じ”に走っているのだ。これをドゥテルテは黙認する。

▼ドゥテルテがこれまで操っていた私設暗殺組織のメンバーが、司法取引で議会の公聴会に出席し、この公聴会を取り仕切っている女性上院議員に、「ドゥテルテに、あなたを殺せと言われた」と証言する始末だ。彼女はドゥテルテを批判する立場にいる議員だからだ。

▼どこまでが、理念や信念に基づき、どこまでがたんなる権力欲なのか。独裁というものを、横からチェックする機能はない。何が正しいかということは、おそらく100年後にやっと評価が定まるていどだろう。しかしフィリピンは中国とは違う。国民投票という選挙によって、独裁を選んだのだ。選択したものが、その結果を甘受しなければならない。

▼確かに、ドゥテルテ大統領が、ことさらアメリカを憎悪するというのも、実は歴史的ないきがかりがある。米西戦争(アメリカ=スペイン戦争)で、アメリカはフィリピンのスペインからの独立を餌にアギナルド将軍ら、フィリピン反乱軍を抱き込んだ。

(アギナルド将軍)

▼ところが、アメリカが勝つと、フィリピン併合を宣言し、アギナルドらは裏切られた。そこで今度はアメリカと戦争を始めたのである。これに敗れ、アメリカの上院での報告では、20万人のフィリピン人が虐殺されたとなっている。が、それは公式数字であって、全土で150万近い虐殺が行われたと言われている。日本軍がフィリピンでやったとされる虐殺とは、ケタが違う。その総指揮をとったのは、ダグラス・マッカーサーの父親、アーサー・マッカーサーである。

(米兵によるフィリピン人粛清:当時のニューヨークジャーナルに掲載された報道挿絵)

この挿絵には、「Kill everyone over ten(10歳以上のものは皆殺し)」と書いてある。こうした殺戮は、全土で行われていたため、実数は正直よくわからないのだ。ただ、後年、日本軍が配色濃くなってきて、山岳地帯に追い詰められていった混乱の中での殺戮とは、おそらく動機においても、規模においても、米兵によるものがはるかに悲惨なものであったろうと推察できる。

▼徹底的に粛清され、各地で鎮圧虐殺が行われ、アメリカの半植民地として再スタートしたフィリピンの歴史に、横槍が入ったのは、ご存じ日本軍の侵攻である。慌てたアメリカは、フィリピンに時限立法で、独立を約束し、対日戦線で協力するようもとめた。この時点で、日本軍はアメリカからの「解放者」ではなく、「侵略者」になったことになる。

▼アメリカ政府は、息子のダグラス・マッカーサーにテコ入れして(フィリピンというのは、実質的にはマッカーサー家の資産のようなものだったのだ)、抵抗戦を試みるが、あっというまにフィリピンから叩き出されて、マッカーサーは豪州へ逃亡。大量のアメリカ兵を置き去りにしたまま、である。(日本の将軍だったら、そういう状況で降伏となったら、投降後に自決しただろう。)

▼日本が敗戦したのち、ついにフィリピンは独立を勝ち取る。1898年以来、38年の歳月が流れていた。

▼戦後、山下奉文・本間雅晴といった諸将をはじめ、あまたの日本将兵が戦犯として処刑されたが、このフィリピンにおけるそれまでの米軍の住民弾圧の苛烈さを、ことさら薄め、日本軍の蛮行をことさらに際立たせて免罪符にしようとした意図はきわめて明白である。

▼米軍が戦争末期に反攻に転じ、マニラが主戦場となった折、フィリピン人に多大な犠牲が出たのだが、日本軍による虐殺だとされているものの、その多くは米空軍による無差別爆撃によるものだったことも間違いないところだ。

▼この「マニラ大虐殺」と言われる一件について、戦争犯罪を問われた山下・本間両陸軍大将は。、それぞれ「私は知らなかった。しかし、あったとするなら、私に責任がないとは言わない(山下)」、「戦争に負けたのだから致し方ないと諦めるより外ありません(本間)」と述べている。山下は当時の司令官、本間は前司令官である。

▼一説には、事実上の自身の資産化していたフィリピンを、日本軍の横槍で失い、みじめな全軍置き去りでの逃亡を余儀なくされたマッカーサーは、せめてもの腹いせに、日本軍による虐殺をことさら大きく喧伝して、一族の暗部を隠蔽し、山下・本間らの処刑を強行したのではないか、と言われる。私怨、である。

▼こういう歴史的経緯を、ドゥテルテは百も承知だ。過去100年の歴史を振り返って、かくもフィリピンがどうにもならないくらい汚辱にまみれた国家になり果ててしまった元凶は、(日本どころではなく)アメリカだという認識が強いのだ。

▼さて、それはそれとして、国際政治はそうした一面的な割り切りだけでは乗り切れない。中国に接近しているように見せていて、実はアメリカからもっと大きなカードを手に入れようとしているブラフであるとも考えられる。

▼どうやら言動とは違って、相当頭の良い人のようであるから、表向きの言動を文字通り受け取るべきではないだろう。文字通りであったら、早晩消されるはずだ。一説によると、親中国・反米的な言動はすべて逆であり、できるだけ中国からフィリピンにとって都合のよい交易条件を引き出そうとしているだけではないか、といううがった見方もあるようだ。真偽はわからない。

▼一方で、フィリピン政府のアンダナール報道官によると、年明けに大規模な反政府運動が起こると警告されている。そというの情報は「米国にいる信頼の置ける情報筋」から得られた。

▼明らかになったところによると、フィリピンの反大統領勢力は来年1月に大統領退任運動を開始し、大規模街頭抗議やSNSを通じすでに拡散されている参加呼びかけを行う予定だという。

▼独裁者が押し切るか。「普通の国」に戻るための反大統領の大衆運動が、この圧倒的支持率と言われている中で盛り上がることができるか。それとも、第三者の手による密かな、しかし致命的な横槍が入るか。フィリピンから目が離せない。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄



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