【閑話休題】
[記事配信時刻:2017-11-02 16:29:00]
【閑話休題】第494回・この一撃に魂を込めよ
▼世の中、なかなか立派な人というのが少ない。なにも、正義漢や、偉人ということではない。影響を与える人、そこにいるだけで感化されるような人のことだ。なにかポジティブな、強い感情を湧き立たせるような人だ。前向きな存在感とでもいうものかもしれない。
▼びっくりするほど頭のいい人はたくさんいる。ほんとうに善良な人もたくさんいる。仕事などで有能な人というのも、これまた腐るほどいる。しかし、彼らに接するだけで、どういうわけか、ある種の快感、幸福感、前向きな感情を引き起こされてしまうという人は、そうはいない。
▼昔の人物で言えば、武田信玄などは後世、相当「つくられた」カリスマ性というものはあろう。が、やはり火のないところに煙は立たない。あの真田一族が、「この人こそは」と不惜身命を賭して尽くしたのだから、やはりそれなりの「人物」だったのだろう。
▼豊臣秀吉もそうだ。一面、あまりにも「ひとたらし」的な部分が強調されてしまっているので、いささか薄っぺらい印象がつきまとうものの、それでもやはり敵も、実際に会ってしまうと、たちまち骨抜き・篭絡されてしまうところは、「人物」でなければできる芸当ではない。家康でさえ、秀吉存命のうちは、けっして動かなかったではないか。
▼われわれがこうした「人物」の匂いを、まだ残り香としても想起できるのは、やはり吉田茂であろうか。マッカーサーも一目置いただけに、相当の人物であったことは間違いない。これよりずっと軽量級のイメージはあるものの、またその評価はかなり分かれるとしても、田中角栄なども「人物」であったのだろう。
▼その人がそこにいるだけで、雰囲気が上昇気流に変わる、そういうインパクトを自然に放っている人である。きわめて定性的な評価だ。われわれは、ともすると、あまりにも能力や成功の実績などで人間を評価することに、馴れすぎているのだ。定量的にすぎるのだ。
▼一番わかりやすいのが、先に挙げたような「英雄」という人達だろう。すべてそうだとは思わないが、多くはこの「人物」であった可能性が高い。だから、逆に今の世の中で、「英雄」はもてはやされない。「英雄」という言葉そのものすら、忌避される傾向がある。「平等病」にみな罹患しているからだ。
▼戦前なら、小学生に「将来誰みたいになりたい?」と聞けば、判で押したように、「東郷元帥!」とか「ナポレオン!」とか答えただろう。それが良いとはもちろん言わないが、(時代が時代だったということもある)。子供を人間に育てていく「迫力」のようなものは、少なくとも感じられる。
▼しかし、戦後は、これまた判で押したように、「野口英世!」とか「シュヴァイツァー!」とか言う子供ばかりになった。戦後の民主教育や平和教育のおかげだろう。わたしなどは、「僕、えらいねえ。」とは愛想で言ったが、心寂しいものを感じた。正直、まだ戦前の子供のほうが、「子供らしい」のではないだろうか。
▼さらに時代が下って、現在では、驚くべきことに「お父さんみたいな人!」と言う答えが多いそうだから、拍子抜けする。実にがっかりもするし、開いた口がふさがらない。
▼「お父さん」が、「野口英世」や、「ナポレオン」より、劣った人間だとは言わない。が、そういう問題ではないのだ。手が届かないほど遠くを見つめる瞳の熱い視線の中に、人間が熟成されていく。それを言いたいのだ。あまりにも身近な世界に、現代人は落ち着いていやしないか。なんでも身近、何でも安易。極端に人間の生活や精神風土が、「私小説的」になってしまっているのだ。ドラマティックさや、ロマンティシズムなどというものより、
スマホで常時、誰かとつながっている世界観のほうが、尊いらしい。
▼だから、アイドルという存在もそうだ。かつての「銀幕のスター」という、決して手が届かない世界から、今や隣に座っている「普通の子」でも、スターと同列になっている。商業化というのは、実に恐ろしい世界だ。おそらく、「モーニング娘。」あたりから、この風潮は顕著になったと思う。つまり、90年代後半以降ということだ。他者と自分の垣根、夢と現実の垣根がなくなってきているのだ。ゲームの隆盛も、その一端かもしれない。
▼まだ、山口百恵やピンクレディー、キャンディーズ、中森明菜くらいまでは良いのだ。自分でも手が届きそうで、まだ微妙に届かない限界線があった。が、モーニング娘や、AKB48になってくると、ほとんどそのへんの子と境界線が無くなっている。
▼人間は、みな同じなのだそうだ。英雄の時代は、終わったのである。小人物ばかりの、才覚や技能だけで、あるいは経済合理性だけで、人間が評価される時代なのだ。若者はその波に呑まれながらも、同時にその世界観がもつ「あざとさ」に気付いている。だから、子供たちの間に、平気で尊敬する人は「お父さんみたいな人!」という、もっとも身近で信じられる人間に座標軸を置くのだ。
▼この、誰しもがその人を前にして、うならざるを得ないような「人物」というのは、これではとても出てくる素地は、現代にはなさそうだ。
▼過去の歴史では、たとえば、西郷隆盛などという人間がいた。率直に言えば、この西郷や、どういうわけか人気の高い坂本龍馬をはじめ、幕末の志士と呼ばれる人種は、わたしに言わせれば「ただの策士」、あるいは「周旋屋」、「扇動家」「テロリスト」ばかりであった。薄っぺらい権力闘争の権化ばかりだ。それ以外に、表現のしようがない。
▼が、しかし、この西郷と龍馬、この二人に関しては、少なくとも、おそらくは「人物」だったのだろう、と思わせるフシが多々ある。龍馬など、わたしに言わせれば、およそなにも実現することのなかった、ただのメッセンジャーボーイである。が、なぜこれほど人気が根強いのか。もちろん司馬文学の効果も大きいだろうが、彼は「竜馬」と書いており、けして本名の「龍馬」とは書かなかった。つまり、司馬は自分の思い描く理想の「竜馬」を描いたのであり、史実の龍馬とは違う、とはっきり線を引いていたのだ。
▼それでもよい。本当の龍馬が、どういう人物であったは、今となっては誰もわからない。司馬が「捏造」した「竜馬」でもよいのだ。おそらく、司馬は龍馬の事績から、彼の事績よりも、人物としての大きさや魅力をどこかで強烈に感じたのだろう。それを、彼なりに描いてみせたのだ。
▼現代の人間の評価方式、つまり能力や技能や、才覚、機能と言ったものでいえば、幕末の志士たちの多くにも、優れた者は多くいたが、こと「人物」かどうか、という観点から言うと、およそほとんどいなかったといっても過言ではないと思う。
▼その中で、西郷と龍馬というのは、(あくまで、おそらくなのだが)相当の人物であったろう、とわたしも思う。なにしろ、直接会ったことがないので、なんとも言いようがないが、他者が書き残した彼らの評価には、そうしたものが多々見られるからだ。司馬はそれに気づいていたのだ。よく考えてみればよい。二人とも、維新という武力クーデターにおいて、彼らなしにはあり得なかった、などという事例が一つでもあろうか。無い。皆目無い。
▼よく龍馬がいたからこそ、犬猿の仲の薩長同盟が成立したのだというが、そんなことはない。そもそも、薩長はもともとその需要があったのである。周旋の努力という点で言えば、龍馬よりよほど中岡慎太郎のほうが貢献している。
▼西郷にしても、西南戦争でその名を遺したといってもいいほであるから、維新のクーデターにおいては、歴史にその名を留めらなければならないような事績は、ほぼ無い。しかし、龍馬も西郷も、歴史的な事跡としては、ほとんど彼らでなくてもいくらでも代わりがいたのだが、その人物の凄みというものは、恐らく同時代の誰と比べても突出した光芒を放っていたに違いない。ただ、残念ながらそうした人間の魅力というものは、なかなか時代を超えて、わたしたちに伝わりにくいのである。
▼それに比べると、高杉晋作などは、悲しいかなおよそ「人物」であったとはいいがたい。ほとんど、性格破綻者である。幕末という暗中模索の時代の中で、誰も具体的に「国民国家」という意味を思い描くことができなかった。そこへ、「ええい説明しても面倒だ。しゃらくさい」とばかりに、身分差別を完全に破壊した「奇兵隊」という実物をつくって、「これが国民国家というものだ」と生に見せつけたのだ。奇跡のような事績である。およそ幕末において、こういう傑出した事績、誰もなしえなかったことを、実際にして見せた人間は、高杉くらいしかわたしは思いつかない。歴史に残る偉業というのは、こういうものだ。しかし、人間としては、どうにもおよそ近づきたくない種類の一人だったろうとつくづく思う。強烈な個性の塊ではあったが、こちらまでやけどしてしまう。
▼西郷や龍馬の、この「人物」の凄さや魅力というものは、どんなに彼らの言動を引っ張ってきても、まったく表現しきれないもののような気がする。それを今に伝えるすべがないことは、大変残念だ。ただ「人物」だった、という記憶だけが、わずかに語り継がれてきている。でなければ、逆賊となった西郷が、その後も慕われ続けたという事実はありえないだろう。
▼この「人物」と言えるような人間は、ある種の共通点がある。それは、多方面の人たちから親しまれ、慕われ、尊ばれるという点だ。言っておくが、八方美人ということではないのだ。その人がくると、皆がうなってしまうような人物。誰もが、敵でさえも興味深々となるような人物なのだ。一番わかりやすいのが、アインシュタインであろう。
▼彼などは、物理学の世界の中でしか、歴史に残らない人種のはずだ。おまけに学習障害であった。天才であったのは間違いないだろうが、一方では生涯、自分一人では、ボタンひとつはめることができなかったのだ。ところが、どういうわけか、当時、欧米の文学界、映画界、芸能界などでも、大変な人気だった。おそらく、天才的な物理学者という枠には、とても入りきらない、人間的な魅力に溢れていたのだろう。
▼それに近い印象なのは、フランスの哲学者サルトルである。彼も、似たような受け止め方を、当時の欧米世界ではされていた。
▼こういう「人物」というものは、けっして歴史上の偉人たちや、有名人にかぎったことではなく、巷の庶民の間にもいるのだ。能力や技能や、才覚や機能といったものと関係ないからだ。
▼そして、人間がおそらく、幸せな人生を送れるとしたら、その大きなきっかけはそうした「人物」に出会えることだろうと思ったりもする。
▼その「人物」との邂逅で、まったく違う世界で生きている自分だけれども、心が震え、腹の底から意欲を湧き立たせてくれるような経験は、哀しいかなわたしにはいまだに無い。
▼こんなことを思うのは、このだんだん長くなってきた人生をふり返れば、公私ともに過ちと失敗の連続ばかりだったからだ。
▼そして、何度もくじけそうになるとき、智慧や発想の転換は重要なカギになった。だが、それはしょせんカギである。カギを手に取ろうとする意欲すらなくなっているのが普通だ。
▼いつもそんなとき、意欲を湧き立たせてくれたのは、過去の歴史上の「人物たち」だったのだ。生身の人間では、ついぞお目にかかったことがない。が、わずかに偉大な事績の記録の行間に、その人物が見え隠れするものだ。そうした時代を超えて、うならされてしまうような「人物」たちに、わたしはいつも救われてきた。目を覚まさせられ、叱咤激励されてきたのだ。
▼転んでも、倒れても、なおファイティングポーズを崩さないボクサーのように、前に進む意欲が、すべてなのだ。そうした意欲を湧き立たせてくれる「人物」との邂逅が、現実世界ではなかったから、わたしはひたすら活字になった「人物」たちの言葉、そしてその行間を読むことで、わたしはその「人物」の片鱗にわずかに触れて、心を共鳴させ、また立ち上がるしかなかった。
▼中華民国の作家で、林悟堂という人がいた。「北京好日」などの作品で知られる。日本ではほとんど聞かない名前かもしれない。彼が、こんな言葉を遺している。
『やり直しも修正もできない過去の事が、
人の信用を左右するのなら、
いま現在に力を尽くして、
これから黄金の過去をつくるほかない
それがあなたの過去を、
黄金の過去に彩る唯一の方法なのだ』
▼だから、言葉は大事だ。その一言に魂を感じ、この一撃に魂を込めるのだ。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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