【閑話休題】
[記事配信時刻:2018-09-28 16:34:00]
【閑話休題】第541回・幽霊も足跡を残す
▼ひさびさに怪談である。有名人も見るらしい。当たり前だが、結構あるらしい。
▼イギリスのミュージシャン、スティング(元ポリスのリードボーカル)は、実際に幽霊を見たことがあると、いくつかのインタビューで主張している。
▼彼は16世紀のイギリスのマナーハウスに住んでいて、幼い子どもたちがいた。ある夜、午前3時頃、スティングはふと眼が覚めた。
「部屋の隅を見ると、妻のトルーディーが子どもと一緒にそこに立っていた。子どもを腕に抱えて、ぼくのことをじっと見つめていた」
2009年のBBCのインタビューで彼はこう語っているわけだが、それは見間違いで、トルーディーではなかったようだ。
▼ティングが脇に手を伸ばすと、トルーディーはベッドに寝ていたのだ。
「突然、氷のような冷たさにぞっとした。妻が目覚めて、あれは誰? と訊いた。彼女にも部屋の隅にいる女性と子供が見えていたのだ。」
▼この幽霊はそのまま消えてしまったが、スティングの不気味な体験はこれで終わりではなかった。
「屋敷の中ではさまざまなことが起こった。物が飛んだり、声が聞こえたりと、それはおかしなことが頻発した。」
▼こういう経験に対して、懐疑的な学者はいろいろと説明をしてくれる。スイスのチューリヒ大学病院の神経心理学者ブルッガーの研究によると、幽霊を見たとか、超常現象を体験したと思い込む効果の多くが、脳の右半球に関連していることが判明したそうだ。
▼実際に幽霊に遭遇するなどの心霊現象を体験したという人は多い。これはその人が嘘を言っているわけではなく、人間の脳がもともと超常現象などを見るようにできているためだそうだ。
▼ヒトは、限られた情報から素早く結論を引き出すという、生物としての生存に不可欠な脳の働きによって、時として存在しないものを誤って検出してしまうことがある。
▼有名なものは、シミュラクラ現象だ。3つの点があると人の顔に見えてしまい、置かれている状況次第では、本当に顔だと思い込んでしまうような類だ。人類にとって、顔を認識することは、生きていく上で極めて重要であるためだ。顔に表れた非友好的な表情に気づかないでいると重大な危険を招きかねないのだ。
▼その為、脳のかなりの部分が、顔を見分けて特定する処理に充てられていることがこれまでの脳画像研究からわかっている。人によってはこのシステムが過剰に働いて、至る所に目や口が見えてしまう。心霊写真などはこの認知傾向によって部分的な説明がつく。
▼多くのサンプルで調査したところ、「幽霊を見た」という人の多くは、右脳を優先して機動するような体質なのだそうだ。
▼しかし、それでは「見る」だけではなく、接触したり、会話が成立したりするケースはなかなか説明できない。
▼一方で、同じ医療関係者にも、幽霊という存在を肯定する人も、実は非常に多い。医療関係者の会員サイト「m3.com(エムスリーコム)」が運営するネットニュース「医療維新」が、2016年3月、会員に「病棟に幽霊? 見たことある?」というアンケート調査を行なった。
▼結果、多くの医師や看護師から目撃談が寄せられた。 それによると、回答者総数は2273人で、開業医400人、勤務医1345人、歯科医師3人、看護師72人、薬剤師380人、その他医療従事者73人だった。
▼「幽霊や第6感、超常現象など通常の科学では説明できない不思議な体験をしたことはありますか?」との問いに、開業医の27%、勤務医の21%、看護師の47%が「はい」と回答した。
▼そして、「通常の科学では説明できない不思議な出来事は存在すると信じますか?」との問いでは、開業医の45%、勤務医の45%、看護師の61%が「はい」と回答した。
▼続いて、実際の体験を自由に書く欄では、小さい頃の思い出話とともに、次のような病院内での生々しい目撃談が相次いだ。
「仮眠室の2段ベッドの下で寝ていると、夜中に上のベッドに上がっていく足音がした。『お疲れさま』と言って寝たが、翌朝、鍵がかかって仮眠室には誰も入れないことに気付いた」(勤務医)
「入院されていないはずの義眼の患者さんに、真夜中、当直室に入院着で訪問された。おかしいなと思い、翌日、看護師さんたちに聞いたが、誰もその患者さんのことを知らなかった」(開業医)
「よく見ますので、不思議でもなんでもありません。患者さんが多い先生には、救ってほしい、まずいモノが寄り添っているのも見えます」
「どの病院にも(霊が)見える看護婦さんが必ず1人存在する。以前の病院には日常的に見える外科医がいらした」
▼医療関係者で、とみに有名な「幽霊肯定論者」としては、心臓外科医として「神の手」を持っているとさえ言われる、南淵明宏氏の話だろう。
▼もう30年も前のことだが、幽霊に出会ったことで人生が変わったという。当時、南淵氏は一般病院で勤務していたが、大学病院から回ってきた重篤の患者の手術を受けることになった。
▼大学からわざわざ紹介されてきたわけで、南淵氏としてもいつも以上に気合が入ったそうだ。ところが、残念ながら、手術の結果は芳しくなく、助からなかった。
▼その夜は、非常に悩んだそうだ。自分の施術に間違いはなかったのか、一つ一つ思い出してはずっと失敗した手術のことを考え続けていた。
▼自宅に帰って、そのままベッドに身を投げたところ、いきなり金縛りに遭った。すると、ドアのところに数時間前、亡くなったその患者が立っていたのだ。
▼怖いというより、驚いて凝視していると、幽霊は「本当にありがとうございました。」と言い、深々と頭を下げたそうだ。そして、ドアをすり抜けて出ていくときに、振り向きざま「これから、どんどん来ますよ」と言い残していったという。
▼この「これから、どんどん来ますよ」の意味が、南淵氏はまったくわからず、悩みがまた一つ増えてしまったという。
▼翌日、彼は、遺族たちにどういう手術だったか、その経過を逐一報告、説明し、施術する様子を撮影したビデオも渡し、疑問点があれば他の医師に相談してくれて構わないと伝えた。
▼するとやがて、このビデオのことが口づてに広がり、手術依頼がどんどん舞い込んでくるようになった。あの「これから、どんどん来ますよ」の意味が、そこでようやくわかったという。
▼南淵氏曰く、病院という医療現場では、医師でも看護師でも、およそ患者に接する機会の多い人たちは、少なからずどうやっても説明がつかない現象を一つや二つは経験しているはずです、と。
▼ちなみに、わたしの家族がこの夏、かなり深刻な病に倒れて入院していた。2ヶ月ほどで退院とあいなったが、その入院中(6人部屋)となりのベッドは空いていたのだが、毎日のように、テレビが勝手について、番組が流れるという現象が起きていた。
▼1つのベッドには、1つのテレビが備えられているのだが、カード式である。1枚1000円のカードを買って、それを挿入しないと、スイッチがつかないのだ。当然カードの差し込みはない。
▼うちの家族が、「ほら、また鳴っているよ、隣のテレビ」という。確かに、カーテンで仕切られた隣のベッドから、テレビの音がしている。わたしはてっきり、患者がいるのだと思っていたが、よく考えてみれば、そこは空きベッドなのだ。看護師が「ほんとだ、いやあねえ」といいながら、テレビの電源コ―ドそのものを引っこ抜くのを、見舞いにいっていたわたしはこの目で見ていた。
▼我が家では、最近ほとんどこういった現象は無くなったが、小学校6年の倅(せがれ)が一度、大騒ぎしてわたしの部屋に飛び込んできた。
「とうちゃんとうちゃん、大変だ。変なもん見た!」
▼聞けば、わたしの部屋(彼と共同の部屋なのだ)から出て、リビングに向かっていた彼は、クランク(屈曲)している短い廊下を通るのだが、そこに大きな姿見がある。
▼布でも掛けておくべきだが、そのときは掛かっていなかった。倅は、玄関から10-15cmほどの白い玉がすーっと入り込んできて、自分と姿見のちょうど真ん中を通って、リビングのほうへと、クランクを流れていったという。
▼彼が、二度仰天したのはもう一つある。彼と姿見の間をその人玉(と呼んでいいのだろうか)が通過するときに、姿見には彼自身の姿が映っているのだが、その人玉(?)は映っていなかったというのだ。
▼ある幽霊を子供のころから自宅で、「しょっちゅう」見てきた人の話がある。彼女はそれこそ幼少のころから見ていて、それが普通だと思っていたらしいが、小学校に上がってからは、どうもこれは異常なことだということがわかってきたという。
▼基本的には悪さをするわけではなく、たくさんの「違う」人が出現するので、そのうち慣れてしまったようだ。
▼そこで、中学校になってから、あることに気づいたという。どうも「彼ら」にはだいたい決まった行動パターンがある、ということだった。
▼必ず彼女の実家の場合には、「彼ら」は玄関から入ってくる。そして、古い田舎の大きな家なので、長い廊下が家の真ん中を貫いている。その長い廊下を、ずっと奥まで歩いていき、壁をすり抜けて消えていくというのだ。
▼これ以外のパターンは、基本的には無かった。ところが、ここが面白いところなのだが、と彼女は言う。
「ときどき、道に迷っているみたいで」
▼その実家の建物というのは大変変わった構造をしていて、その長い廊下の真ん中に大きな柱があるのだそうだ。なぜ、それがそこに立っているのか本人も親に聞いたことがないので知らない、という。
▼そして「彼ら」はどういうわけか、彼女たち生身の人間と同じように、廊下を通るとき、その大きな邪魔な柱をよけて、回りこんでまた歩いていくのだそうだ。幽霊なのだから、柱もすり抜ければいいものを、不思議な行動をとっていた、と彼女は証言する。
▼ときには、迷う人もいて、柱を回り込んだときに迷っているパターンが多いという。廊下の隅にしゃがみこんだり、立ち尽くしたりして、茫然としているというのだ。
▼ときどきだが、玄関を入ってすぐのところに廊下の横から二階へ上がる階段がある。あこれがまだ長い階段らしいのだが、「彼ら」は廊下にすっと入れずに、階段を上がってしまう場合があるというのだ。
▼これも不思議なのだが、せいぜい3段くらいまでだそうである。それ以上は、ほとんど無い。3段上がったところで、「あれ、どうなってるんだろう」とばかりに、途方に暮れ、行先がわからなくなり、階段にしゃがみこんでいるというのだ。さすがにそういうときは狭い階段なので、その人がいなくならないと、なかなか二階の自分の部屋に上がっていけなかったという。
▼ごくごくまれだが、二階まで上がり切った人たちも何人かいたそうだ。しかもちょうど、彼女の部屋のドアの前で立ちすくんでいたのだそうだ。
▼あ、っと思って見ると、(これも非常に話としては面白い)向うもこちらに気が付いたらしく、「あっ」というような表情になるのだそうだ。そのときのケースでは、その中年の背広を着た男性だったそうだが、彼が「どうも」という感じで、ドアの前から横にズレてくれたというのである。彼女も「すみません」と言って、部屋に入ったものの、今度は部屋からしばらく出れなくなってしまい、困ったという話だ。
▼となると「彼ら」は一方的に行動していて、われわれのことを認識していないのではなく、ちゃんと認識しているということになる。明らかに、コミュニケーションが取れているのだ。
▼彼女曰く、映画やお話にでてくるような、酷い有様や形相の「彼ら」には、幸い一度も出会っていないそうだ。だからといって、彼女は外出している際に、そうした存在を見ることがあるのか、と言われると、あるにはあるが、非常に少ないという。
▼かくいうわたしの亡父も、母親から聞いた話では、幽霊になって出てきたというのが一度あったそうだが、最近実は一か所ではないということが判明した。
▼亡父というのは、亡くなる前に、まるで自分の存在が無かったかのように、すべての私物を処分し、写真も遺影用に残された人が困るかも知れないということで、2-3枚置いたままで、あとはすべて焼却処分していったような人だ。
▼あたかも、裸で生まれてきた人間は、何も持たず、残さず、生まれてきたときと同じように去っていくのだ、ということを体現したような死にざまだった。
▼遺書も驚くべきことに、たった一行、「通夜、葬式は一切不要」というそれだけだった。ただ、菩提寺のほうがそれを許さないだろう、ということも先刻承知で、くだんの遺影用に2-3枚申し訳程度に写真を残したということらしい。
▼では、無神論者だったのか、というとそういうわけでもなく、生前は毎年彼岸に、二度、率先して家族とともに墓参りをしていたような人である。あっぱれという死にざまではあるが、わたしにその真似ができるだろうか。
▼そんな亡父だが、最近明らかになった目撃談では、あちこちで、それも一度に20人ほどの人が同時に目撃するなどという「事件」も含まれており、49日の間(仏教説の場合)というのは、同時多発的にいろいろ所縁(ゆかり)の場所を訪れるのかもしれない。
▼足が無いのに、彼らもあちこちに足跡を残すようだ。みなさんなら、そのときどこに行きますか?
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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