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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第557回・北方領土、どうしたらいいですか?

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【閑話休題】第557回・北方領土、どうしたらいいですか?

【閑話休題】

[記事配信時刻:2019-01-18 16:30:00]

【閑話休題】第557回・北方領土、どうしたらいいですか?

▼思想的に右や左だから、北方領土はこう考えるという話ではない。事実に照らして、現実的に日本はどうしたらいいのか、という議論のために、事実を確認しておこう、そういう趣旨が今回のコラムだ。

▼この北方領土交渉というのは、なにを目的にして行うのか、着地点をどこに置いているのか、でやり方がまったく違ってくるはずだ。

▼もっとも、日本では左ですら、たとえば日本共産党だが、四島返還を強烈に主張しているのは笑ってしまう。

▼もともと、北方領土(択捉・国後・歯舞・色丹の四島)は第二次大戦前、日露・日ソ間で条約によって正式に日本領であった。どこまで遡るとそういう話になるのかというと、1855年(江戸時代、幕末である)だ。日露通好条約で、択捉(えとろふ)島までは日本領、それ以北の千島列島はロシア領。樺太は、国境を定めず日露領民雑居の地ということになった。択捉までの四島を、「北方領土」。それ以北の千島全島が「千島列島」となった。

▼明治に入って、1875年。(西南戦争の3年前)日本とロシアとの間で、千島・樺太交換条約が結ばれた。これで、日本は樺太をロシア領と認める代わりに、千島列島全島を日本領として確定させた。ここまでは、戦争という媒介変数が入らず、完全に平和的な交渉によって国境が確定されたものである。日本は、北方領土(四島)、千島列島の両方を領有することになった。

▼日露戦争の結果、ポーツマス条約が結ばれた。1905年の話だ。ここで日本は、樺太の南半分(正確には北緯50度以南)を、ロシアから譲り受けた。

▼さてここからが問題だ。第二次大戦では、日本とソ連はご存じのように、不可侵条約を結んでいた。ナチスドイツがソ連侵攻をしたときに(ドイツはソ連との不可侵条約を破って侵攻した)、ヒトラーから日本軍に対し、シベリア出兵の要請があったが、日本は同盟国ドイツの要求を拒否。あくまで日ソ不可侵条約は守り、ソ連侵攻はしなかった。

▼しかし、逆にソ連だが、1945年2月の米英ソ3カ国によるヤルタ協定(完全に秘密協定)が結ばれた。日本は当然、世界中この密約については、知らされていない。アメリカはこのとき、戦争の最終段階でソ連が日本に対して参戦することを要請。この場合、千島列島は全島ソ連に引き渡されることが協定に書かれている。結果として、ソ連は日本の降伏寸前に対日参戦、日ソ不可侵条約を破って侵攻してきた。これで北方領土、千島列島、そして樺太全島を実効支配した。

▼アメリカによって、小笠原諸島、沖縄諸島なども占領されたが、あくまで日本領であるとされており(アメリカもそういう認識だった)、その後これらは返還されている。よくご存じの通りだ。樺太と北方領土も、そして千島列島も、法的にはまだ日本領であるはずだった。

▼千島列島と北方領土に関して事実を追っていこう。日本にとって、戦後の現実を知ったのは、この放棄を定めた1951年のサンフランシスコ講和条約である。

▼当時の吉田茂首相は、択捉島と国後(くなしり)島を、「千島南部」とし、歯舞・色丹島を「北海道の一部」と区別しており、認識としては、択捉島と国後島は千島列島に含まれるわけで、サンフランシスコ条約では日本がこの2島を放棄したことになる。歯舞・色丹島は放棄していない。これが、現実である。一番最初の、(つまり法的な継続性からいえば)第二次大戦の結果、択捉・国後島を放棄、歯舞・色丹島は保有続行という認識をしたのは、当の日本であるということだ。

▼わたしが、二島返還が筋だというのは、法的な根拠から言えば、ここに帰着するわけである。ところが、問題はそう簡単ではなかった。

▼なぜなら、ソ連は国際法違反によって日本に侵攻したことは事実であり、またアメリカを中心とする連合国は、日本との講和条約(サンフランシスコ条約)締結に、ソ連を呼んでいないのである。つまり、日本はソ連とだけ、唯一、平和条約を結んでいないのである。

▼もちろん、朝鮮戦争が始まっており、西側と共産側が激しく衝突する時代になっていたという、国際政治上の理由もある。アメリカは、ソ連をないがしろにしたわけだ。

▼つまり、当事者の一方が、このサンフランシスコ条約に参加していないことから、以来この北方領土・千島列島貴族問題を巡って、悶着が続いているわけだ。

▼「南樺太と千島列島の放棄」という文言は、サンフランシスコ条約に明記されているが、いったいこの「千島列島」とはどこからどこまで指すのかが、問題になる。

▼吉田茂首相は、択捉・国後は千島列島だが、歯舞・色丹は北海道だという認識だと述べた。しかし、それは首相の認識であって、国際法的には千島列島とは、1855年の日露通好条約で定められた、択捉・国後・歯舞・色丹の4島を「北方領土」であり、それ以北の全島が千島列島とされた事実である。

▼したがって、国際法的には四島返還が筋だ、ということになるのだが、千島列島も北方領土も、範囲も帰属先も、サンフランシスコ条約には明記されていないため、日本とソ連は直接、問題の解決をやり直す必要がでてきた。

▼1956年、森下国雄外務政務次官が、「放棄した千島列島に、北方四島は含まれない」と答弁し、これが政府の基本的な公式見解となった。

▼ところが、ソ連は、択捉・国後を領土問題の対象と認めなかった。このため、同年、日ソ共同宣言では「歯舞・色丹」の引き渡しだけが、規定されたのである。

▼以後、日ソ両国は口ではいろいろ解釈論を繰り返してきたが、明文化された協定・条約上は、千島列島がどこからどこまで指すのか、明文化されたものは無い、ということになる。

▼従って、日本があくまで四島返還にこだわるのであれば、原点に戻って、そもそも1945年8月に、ソ連が日ソ不可侵条約を破って侵攻してきた事実を、明確に公文書で追及し、1855年の日露通好条約で規定された、北方四島は日本領で、それ以北が千島列島でありロシア領であるという事実を絶対条件として突き付けなければならない。

▼日本政府に、そこまで問題を荒立てる覚悟や度胸があるかどうか、と言う問題が一つ。もう一つは、日本にロシアと平和条約を結ぶことを急ぐ理由が果たして本当にあるか、という問題がもう一つ。この判断が、恐らくここからの北方領土問題に対して、日本はどうすべきかという結論を導くだろう。

▼国際法上の四島領有の権利と、火事場泥棒されたとはいえ、北方四島を実効支配されてしまっているという現実を突き合せたとき、わたしは着地点はその間、つまり二島返還のみであると考えている。解決可能な着地点はそれしかないと思っている。

▼プーチン大統領も安倍首相に、日本語で「ひきわけ」と言ったのはよく知られる。これが、二島返還なら合意するという意思表示だと考える。

▼ただ、頭から二島返還で物事を進めるのは戦略的にどうなんだろうか、というこんどは政治的な課題が出てくるのだ。

▼それが、先述の二つの課題である。四島返還を本気で実現しようとするなら、その論拠は、必ずソ連の不可侵条約という国際法違反を訴えなければならなくなる。

▼あるいはそもそも、ロシアと今、平和条約を結ぶ必要性があるか、というと、中国という問題国家の封じ込めには、どうしてもロシアを取り込まなければならないという背景は確かにある。それが二島返還で手を打とうとするグループの、大きな動機になっている。

▼四島か、二島か、この曖昧なままに取り残された問題の解決を、政治戦略的にどう考えて、日本にできるだけ有利になるように、実現するか、これは日本国民の間でもコンセンサスはとれていないはずだ。

▼四島返還とふっかけて、結果的に二島返還になるのがせいぜいだ、という現実論もわかる。最初から二島返還で交渉したら、二島すら返ってこない、という結果もありうるだろう。

▼ロシアはロシアで、日本とこの問題を交渉する最大の理由は、できるだけロシアのアジア地域の開発や産業育成に日本の力を使いたいということにほかならない。軍事戦略的には、日本と平和条約を急ぐ理由は、ロシアにはまったく無いからだ。

▼あくまでロシアは、北方領土問題を餌にして、さんざん日本に揺さぶりをかけては、できるだけ有利な経済開発・援助の要件を引き出そうとするだけである。

▼そういう相手に対して、北方領土をここで改めて論議し、平和条約にこだわる必要も、正直無いともいえる。

▼それより、高度な政治戦略としては、日本の公式見解はあくまで四島返還であり、その論拠は、1955年の日露間での国境画定の原点に戻るだけという正論が一番、強硬にロシアを動揺させる可能性がある。そして、問題が発生したすべての発端は、ソ連による不可侵条約違反によっているのだ、と口ごもらずに、高らかに公言し、それも繰り返し、執拗に公言し、それがなければ平和条約は不可能である、とはっきりさせることだろう。

▼彼らが、「日本は第二次大戦の結果という歴史的事実に、もっと立ち返るべきだ」と言うのであれば、われわれは「そもそも第二次大戦で、交戦国ではなく、不可侵条約すら結んでいたにもかかわらず、国際法違反をしたソ連に責任がある」と言ってやるべきだろう。この点を、白日の下に明言してソ連・ロシアを非難した首相は一人もいない。すりよることしか芸が無いのが、戦後の日本の対ソ・対露外交である。

▼つまり、北方領土問題は、日本から経済開発や援助を引き出す餌にはならない、ということを、ロシアに思い知らせるしかないのだ。

▼ただただ、北方領土を返還してもらい、平和条約を結ぶことを急ぐのであれば、二島返還という着地点しか、どう考えてもない。この選択をするか。それとも、高度な政治戦略の立場に立って、日本はあくまで正論を公式見解とし続けて、北方領土をロシアの交渉の道具にはさせない、という覚悟をするか。どちらかだ。

▼日露は、国交断絶しているわけではなく、大使も交換している。したがって、北方領土が帰ってこまいと、平和条約がなかろうと、今までもそうであったように、経済関係を一気に濃密にさせていくことはできる。

▼日本が北方領土や平和条約にこだわる限り、おそらくロシアは一島と言えども返すことはしないだろう。話は逆である。北方領土や平和条約など、突き放してしまえばよいのだ。ロシアが膝を屈するようにさせるには、それしかないように思う。彼らに議論の土俵を奪ってしまうことが、一番効くのだ。

▼対中国戦略と言う意味では、確かにロシアを抱き込むのは重要な大きなコマである。しかし、これとてよく考えてみれば、中国にほとほと嫌気がさしてきているロシアであるから、(むしろ脅威すら感じ始めている)中国資本にどんどん極東アジア地域が浸食されていくのを、黙って見逃すとも思えない。日本が、交渉の土俵にまったく乗ってこないとわかれば、すりよってくるのは向うである。

▼ロシアとの付き合いは、突き放すに限るという結論になるのだが、みなさんはどうお考えだろうか。恐らく正解はない。が、歴史的な彼らとのつきあいを振り返るにつけ、向うから寄ってこなければ、すべて物事はまともに進捗しなかったという事実しかないことを考えると、「おまえなんかどうでもいいんだよ」という冷たいスタンスのほうが、高度な政治戦略としては有効のような気がする。

▼たぶん、韓国や中国という国々も、同じ対応で良いように思う。ときに誠実さを見せようとすることは、ただの欲深さにしか映らないのである。とくにロシア、韓国、中国という政治風土を持った大陸国家はそうである。

▼いずれにしろ、日本は、この交渉で最終的になにを目的として、どこに着地点を置くつもりなのか。あるいは着地点などどうでもいいのか。このグランドデザインをはっきりさせて、その実現のために、もっとも有効な政治手段やスタンスを選択するべきだろう。そのためには、ときに高度な政治戦略として、「突き放す」(最悪は断交する)くらいでも良い。それを強い信念で貫けるとしたら、再軍備をまず先に行わなければならないとは思うが。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄



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