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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第21回・国連のジョークと壁の花

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【閑話休題】第21回・国連のジョークと壁の花

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-04-01 16:30:00]

【閑話休題】第21回・国連のジョークと壁の花


▼国際連合を舞台にしたジョークというのがある。かなり有名なものが多いから、ご存知の方もいるはず。たとえば、国連でもっとも難儀とされている課題が2つある、という。1つは、「インド人をいかに黙らせるか」。もう1つは、「日本人にいかにしゃべらせるか」、ということだ。

▼こんな他愛のないジョークだが、一瞬笑みがこぼれてしまうような、そして何やら痛かゆいような、妙な気持ちにさせられるジョークだ。こんなのもある。アメリカ人が、「青いシマウマ」を見つけた人に100万ドル出すと言い出した。アメリカ人がやりそうなことだ。それを聞いた各国の代表は、それぞれ違った行動に出た。まずドイツ人は、果たしてそんな「青いシマウマ」などいるのだろうかと疑問に感じ、いるならどこに生息して、どういう習性を持っているのかを調べるために図書館通いを始めた。イギリス人は、さっそく銃砲店に行き、猟銃とテントを買い込んだ。やる気まんまんだ。フランス人は、面倒臭いと言って動物園からシマウマを引っ張ってきた。そして、青いペンキを頭からぶっかけた。日本人は、同じようにシマウマを連れてきたが、ご丁寧にも一本一本の毛を、青く塗り替えていった、という。

▼最も有名なジョークの1つにこんなのもある。豪華客船が座礁した。沈没は時間の問題である。悠長に構えている乗客たちに船員が、「海へ飛び込め」と言うが、誰も一向に腰を上げない。そこで船員は、それぞれの国民に、説得を試みた。アメリカ人には「あなたには、ものすごい金額の保険がかかっているそうです」と言った。アメリカ人は血相を変えて海に飛び込んだ。ドイツ人には、「国際法上、そう決められています」と言った。ドイツ人も、やむなく飛び込んだ。イギリス人には、「紳士は飛び込むものです」と言うと、済ました顔で飛び込んだ。フランス人には、「海に女がいますよ」と言うと、目の色を変えて飛び込んだ。イタリア人には、「海に飛び込むのはモテる男だけです」と言うと、それは俺だと飛び込んだ。そして日本人には、「みなさん飛び込みましたよ」と言ったら慌てて飛び込んだ、という。

▼こういったジョークは、かなり極端にデフォルメされているものの、一面の真実を伝えているから、チクリと心にくるものがある。さて、冒頭で引用した、「いかに日本人にしゃべらせるか」という話だが、実際にこういう場面に出くわしたことがたびたびある。それを書いておこうと思う。

▼80年代の中国は、まさに改革開放経済が始まってまもない頃だった。当時の北京はレストランも営業時間が決まっており、それを逸すると食事ができなかった。メニューに書かれてあっても、実はたいていのものがなかった。注文しても、忘れられることがしょっちゅうだった。やがて面倒になった私は、店に入るなり厨房に行き、オーダーミスで行き場のなくした料理を指差し、これとこれをくれといって、待ち時間ゼロで食べるようにしたものだ。

▼貧困がここかしこに存在していたが犯罪は少なく、清貧という言葉がぴったりの国だった。今のような、生き馬の目を抜くような血走った金権社会ではない。現在は近代的な高層ビルが立ち並び、最悪の大気汚染に被われている。過日を振り返れば、胡同(フートン)と呼ばれる網の目のようなレンガ造りの路地が懐かしい。北京の空はどこまでも抜けるように青く、春には街路樹の柳が燃え盛っていた。

▼あの頃、駐在する外国人にとって娯楽らしい娯楽はなかった。せいぜい、ホテルの一室を借り切って集い合い、飲み明かすというパーティのようなものが、唯一の娯楽だったといっていい。私も商社の連中といっしょに何度か参加したことがある。欧米人、アフリカ人、華僑入り乱れての集いは、共通語が北京語だった。しかし、いつも不思議に思ったのだが、日本の商社の若い駐在員たちは、たいてい壁の花になっているか、日本人同士で話し込んでいた。彼らの中国語のうまさは、私の比ではない。専門職として送り込まれ、学んだ人たちだから流暢なものだった。しかし、外国人たちとの交流は限定的だった。同じことは、香港に長くいたときにもよく経験した。英語は話せるのだが、どうにも溶け合わない。

▼なぜだろう? 私は不思議に思ったが、彼らと話してみてすぐにその理由がわかった。それは、話すコンテンツ(内容)がないからだった。日本のことをまず知らない。日本と日本人についての知識も見識も、外国人にそれを分かりやすく説明できる技も何も持ち合わせていないのだ。外国人たちが日本人から聞きたいのは、レディ・ガガのことでもなければ、パリの流行のことでもない。日本と日本人のことだ。それに日本人はまったく答えられないのだ。

▼私は、子供が小さいころから英語を学ぶことに、決して反対ではない。しかし、何より重要なのは、日本語なのだと痛感している。結局、人間というものは、母国語のレベル以上に外国語を習得することはできない。母国語の語彙・表現力の水準を上げなければ、外国語はそれ以下のものでしかない。そして、習得した外国語があったとしても、話す内容を持っていなければ、『彼は、英語がうまいね』とは言われるだけで、敬意を持って接してくれることはない。「一目置かれる」ことが大切なのだ。それを考えずに、大金を使って英会話教室に押しかける日本人をいつも残念に思う。

▼自分や日本のことを説明できなくては、国際性など得られない。「日本人にしゃべらせるのがいかに大変か」というジョークは、引っ込み思案になる性格を言っているだけではなかろう。要するに、主張すべき話の内容と信念を日本人は持っているのか、ということをつきつけられているような気がするのだ。

増田経済研究所
コラムニスト 松川行雄


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