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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第583回・ゴジラの変化に、人間の本質が見える。

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【閑話休題】第583回・ゴジラの変化に、人間の本質が見える。

【閑話休題】

[記事配信時刻:2019-08-02 16:45:00]

【閑話休題】第583回・ゴジラの変化に、人間の本質が見える。

▼ゴジラというと、日本が生んだ世界的なキャラクターだ。1954年昭和29年に、東宝で公開した特撮怪獣映画だ。その後一連のシリーズ作品は、日本の子供たちのみならず、世界中の子供たちを熱狂と興奮の渦に巻き込んでいった。

▼やはり1950年代の作品はモノクロだけに、着ぐるみの怪獣映画とはいえ、現在のCGを駆使した、よりリアルな映像よりも、妙に生々しく迫真力がある。不思議なものだ。リアルなら迫真力が増すというものでもないらしい。

▼このゴジラは、時代の申し子である。もともとは当時社会問題となっていたビキニ環礁の核実験に着想を得て製作された映画だ。だから、ゴジラは人間にとっての恐怖の対象であった。

▼第1作「水爆大怪獣映画・ゴジラ」の監督をつとめた本多猪四郎は、「戦後の暗い社会をことごとく破壊、無秩序に陥らせる和製キングコングをつくりたかった」と述べていたそうだ。

▼つまり、ポイントは二つ。核兵器という恐るべきものへの恐怖と、敗戦後の日本という認めたくないほど惨めな社会状況(敗戦からまだ10年も経過していない)の全否定だ。

▼この非常に深刻な設定のゴジラ映画であったが、次第に怪獣vs怪獣のパターンになっていくにつれて、ゴジラは人類の見方、正義の味方に変質していった。

▼近年は、それこそCGを駆使したハリウッド版「ゴジラ」が世界的にヒットを飛ばしている。今年5月に日本でも公開された「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」は、いかにいもハリウッドらしい、娯楽映画としてはよくできた内容だ。

▼が、驚いた点がある。設定がまったく初代「ゴジラ」のころとは、真逆になっているということだ。

▼なにを言っているかというと、キングギドラとの闘いで衰弱した瀕死のゴジラを復活させるのに、渡辺謙が扮する芹沢博士が自ら犠牲となって核爆発を引き起こすのである。

▼本来、核の脅威の象徴であったはずの「ゴジラ」が、地球や人類を救う救世主としての核の象徴に、完全に話が入れ替わっているのである。

★戦後、ビキニ環礁のほか数多の核実験が行われたエニウェトク環礁には、厚さ45cmのコンクリートで放射能汚染土壌を格納したルニット・ドームがある。

★ご存じのようにプルトニウムの半減期は2万4000年だが、コンクリートの耐用年数はながくて100年。すでにルニット・ドームには亀裂が生じ始めている。そもそも一時投棄との位置づけで建設された施設なので、サイクロンなどが環礁を直撃した場合には崩壊する危険性がある。つまり、汚染物の海洋流出のリスクが指摘されているわけだ。

★初代「ゴジラ」は、架空の大戸島に古くから伝わる伝説の怪獣「呉爾羅」に由来しており、海中深くジュラ紀以来生き延びていた巨大生物が、放射能を浴びて巨大化(50m)したという設定だった。力強い「ゴリラ」と、体の大きな「クジラ」の合成語だ。

★ゴジラ誕生から65年を経て、その象徴的な意味合いは、180度転換してしまったことになる。この皮肉な現実が、時代の流れや変化というものなのかもしれない。つまり、人間はまったく学習効果というものが無いということの証明を、「ゴジラ」がしてみせたということにでもなるだろうか。

日韓チャート新聞編集長 松川行雄



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