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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第332回・UFO

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【閑話休題】第332回・UFO

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-10-24 17:03:00]

【閑話休題】第332回・UFO

▼未確認飛行物体のことである。あるのか、無いのか。一応、英米仏では、航空軍事用語としてのUFOは用いられており、これまでにも多数記録されているのは事実だ。それが、一般に言う異星人(宇宙人、エイリアン)の乗り物かどうかは、種別されていない。

▼かつて、1980年代、レーガン大統領が、年初の国連総会において演説をしたとき(折りしも米ソ冷戦の最後のクライマックスを迎えていたときだ)、「われわれは、明確に現実に急迫する“Outerspace(地球外)”からの脅威にさらされている。」と明言して、物議をかもしたことがある。

▼このときは、ソ連との軍拡競争に踏み切るために国内で反ソ熱を煽っていたときだが(結果、この挑発に乗ったソ連は、その後経済破綻を起こして崩壊するに至った)、そのために、宇宙空間・衛星を用いた軍拡に踏み出す(当時は、スターウォーズ戦略と呼ばれた)ことをアピールした演説である。

▼が、明らかにこの「Outerspace(地球外)からの脅威」という言葉づかいは、文法的にソ連を標的にしたものではない。不可解な演説である。いい間違ったのか。しかし、その後一切訂正はなされていない。

▼それ以前、1970年代、カーター大統領のときには、彼がまだテネシー州知事の頃、家族や側近、友人たちと何台もの車を連ねてピクニックに行ったことがある。真昼間である。そこにUFOが飛来して、上空で停止した。当然、全員驚愕して固唾を呑んで見守っていたらしいが、その後あっという間に消え去った。

▼この「事件」があったため、カーター州知事は、大統領選挙に臨んだときに、「CIAやNASA(航空宇宙局)が保有するUFOに関するすべての情報公開をする」ということを、「公約」にして立候補した。よほど個人的にもショッキングな出来事だったのだろう。

▼ところが、いざカーター州知事は、大統領になってからというもの、一向に「情報公開」に踏み切ることはしなかった。このため、民間のUFO研究団体などから、公約違反であるとした訴えられたりもしている。「事実を知ったら、とても公開できないような代物だ」ということなのだろうか。

▼はたしてこの宇宙に知的生命は存在するかという疑問をめぐっては、物理学者エンリコ・フェルミによる「フェルミのパラドックス」がよく知られている。つまり、ドレイクの方程式のパラメータを、ある程度科学的に合理的なもので仮定する。すると、地球人と接触可能な地球外知的生命体がいると期待できるのに、実際には地球人はそのような地球外知的生命体と接触していないという矛盾がある。(隠蔽されているとしたら、また話は別だが)

▼仮に宇宙人がいるとしたら、宇宙の137億年の歴史の中で人類より数万年あるいは数億年進んだ科学技術をもっている種族もいて、それらは地球を見つけて来訪するだけの時間と機会が充分にあった筈である。しかし、地球上には外宇宙から来た知的生命体の確実な証拠は一切見つかっていない(ということになっている)。

▼この矛盾に対しては、様々な解釈・意見が挙げられている。そのひとつはドレイクの方程式のパラメーターの推定値が問題だという指摘である。信頼性の高い推定は大変困難であり、大量絶滅などの最近の地球生物の進化史の研究によると、これまで用いられてきた推定値は現実と比べると高すぎた可能性があるというのだ。

▼地球生物の高度な進化、とりわけ人類の出現は、地球史上の稀有の幸運の積み重なりであって、生物は発生しても知的生物までに進化することはほぼ不可能といえるほど困難であるというのだ。人類の発生と進化、そして存続というものを、ともするとわれわれはさも当たり前のように思っており、そのため、全宇宙に視野を広げれば、当然同じような、またより高度な種族は存在していて当たり前だと思ってしまう。

▼しかし、われわれ人類のようなケースは、実は生物学的な確率からは、ほとんど奇蹟に近い偶発的なものなのだ。従って、宇宙における生命体はあったとしても、それらは原始的なバクテリアのレベルであり、人類と接触できる高い文明を持つにいたった種族は、文明的な接触が可能な距離にはいないという考えである。

▼これは論理学の問題であるから、現実からやや浮世離れした話だ。もっと具体的に迫ってみよう。一つ一つのピースをつなぎあわせるよりない。

▼実は、知人の知人に元民間航空会社のパイロットがいる。彼によると、パイロットがすべてそうであるかどうかわからないが、少なくとも自分とその周囲では、「頻繁」に得体の知れない高速度の飛行物体を目撃しているという。但し、業務報告書には一切、それを「書いてはいけない」という。事実を報告した場合、まず十中八九、しばらくして地上勤務に回されることになるからだ。実際、その彼の同僚の一人は、(きわめて危険な並走飛行を経験したためらしいが)業務報告をしたところ、1ヶ月後には地上勤務に配転となったという。

▼話ぶりからして、嘘八百を並べているとも思えなかったが、実際のところどうなのだろうか。また、これは「又聞き」ではあるが、友人の一人に、元航空自衛官のパイロットだった知人から告白された話がある。やはり、似たような話だ。しかも、そのときには、陸海空合同演習の真っ最中で、夜間のスクランブル演習についていたときだったという。十数体のUFOに僚機が包囲された格好になり、その対処を巡って指揮系統が大混乱したことがあるという。この件は、一切緘口令(かんこうれい)が敷かれたらしい。

▼目撃者であろうと、又聞きであろうと、いずれにしろわたし自身がそこにいたわけではないから、にわかには信じがたいものがある。しかし、わたし自身に妙なものを見た経験が、実はあるのだ。

▼一番最初は、以前も書いたことがあるが、横浜の実家(当時一戸建て)にいたころのことだ。小学校高学年だったと記憶している。夕方、母親が大声でわたしを呼ぶので、一番奥の部屋からすっ飛んでいった。西の窓(すぐその外は、住宅街の道路だ)から、空を指差して「あれを見ろ」と言う。月が出ていた。

▼夕焼けの時分だ。真っ赤な月が、宙に見える。「月じゃん。」と言うと、「馬鹿、なんで月がこっちにあるのさ。」そうだった。西に月が浮いているのだ。真っ赤な月が。

▼気がつくと、わたしたちだけではない。近所の人たちが家々から出てきていたり、通行人も足をとめて、「ありゃなんだ」とみな口々に言い合っていた。10分ほどの時間だったと思うが、だんだん真円状のその「月」は、小さくなっていき、やがて、まったく見えなくなった。今でも思いだすが、あれはいったいなんだったのだろうか。翌日の新聞には、まったくこれに関する記事は無かったことだけは確かだ。

▼次に見たのは、大学のときだ。伊豆高原に夏休みに行った。小さい頃から、別荘というにはあまりにもみすぼらしいバンガローがあったのだ。電気が無いので、ランプ生活だ。水道とトイレだけは辛うじてあった。風呂も無い。従って、毎日当時500円だったと思うが、すぐ裏手の大田区の保有所の大風呂に、外来で入りにいったのだ。

▼そのときは、友達二人で文学談義をするために、バンガローに長逗留していた。そのあたりは城ヶ崎から八幡野港まで、ずっと東尋坊なみの断崖絶壁の景観が続いている。急峻な自然岩を利用した階段があり、そこそこの磯が広がっているところがある。ちょっとした潮溜まりがあり、背も立たないくらいの、ちょっとした天然のプールになっている。時折、大波が入ってくるから、海水は常に循環していて清潔だ。

▼現地では、二つの潮溜まりを、大淀、小淀と呼んでおり、その大きいほうに二人で飛び込んだのだ。着いたのが夕方だったから、ひとしきり水遊びをしていると、もうあたりは真っ暗になっていた。

▼二人で、岩場に上がって休んだ。外海の先には、大島の島影が見える。元町の明かりが点々と見える。晴天の見事な星月夜だった。イカ釣り船も出ている。そこで二人で、同時に発見したのだ。大島の真上を、一つの光が飛んでいるのだ。最初は、飛行機かヘリコプターかと思ったが、そうではない。なぜなら、その近くの上空を、飛行機が点滅しながら飛んでいたからだ。

▼それと比較すると、とんでもない速度であることがわかった。大島の右から左まで、ジグザグに行ったり来たり、すさまじいスピードで飛行している光なのだ。しかも、ニュートンの法則もくそも無い。反転するときに、R(アール)を描くこともない。まるで、電気のプラスとマイナスのスイッチを切り替えるように、一瞬で反転して、島の反対側まで飛んでいっているのだ。

▼このジグザグ飛行は、記憶ではやはり10分以上は続いていたと思う。その間、飛行機はおそらく羽田に向かったのであろう、近辺をゆっくりと直線的に飛行していったのだ。どう考えても、人間の作り出した機械的な運動ではない。それは、やがて、それまで以上のとんでもない速度で、上空目指してひゅんと飛んでいき、見えなくなった。それから、バンガローに戻って、二人で朝まで「あれはUFOだ。」「いや違うだろうか」とずっと話こんだことは言うまでもない。文学の話など、あっちの世界だ。

▼三回目は、社会人になってから、夜まだそれほど遅い時間ではなかったが、東京から横浜に帰る途中、国道246号線を車でひたすら南下していたときのことだ。ちょうど、二子玉川の橋にさしかかったとき、前方上空(つまり、東京からみて神奈川県側)に月が二つでていたのだ。二つである。

▼小学校のときの記憶が思い出された。しかし、このときは二つの月とも、普段のあの青白い月だった。しかし、右側の月は気持ち、どんどん真円状のまま小さくなっていっているように見えた。残念ながら、運転中で、橋の上で止まるわけにもいかず、そのまま口惜しい思いを抱いたまま、横浜まで帰った。

▼以前、幽霊を見た話を書いたが、どうも世の中で言われているものと、ずいぶん出方も、消え方も違っていたのを覚えておいでだろうか。このUFOも、世に言われる円盤であるとかいうものと、いささかわたしが見た三つのパターンは、異なっている。もっとも、大島上空に見たものは、遠すぎて、光だけであるから、形状まではわからない。ただ、前後の二回の「月」のほうは、奇妙奇天烈ではあるが、同じパターンを二回見たことになるので、自分としては、かなりこのほうが信憑性が高い事実なのだ。

▼幽霊のほうは、自分としてはあらかた正体が読めてきたが、このUFOだけは、まったくお手上げである。だれか真実を知っている人がいたら、こっそりわたしだけに教えて欲しい。こっそり、だ。おおっぴらに喋っていると、正体不明の黒服が何人か、突然訪問してくるかもしれないからだ。わたしはまだ、行方不明にはなりたくない。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄




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