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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第343回・年明けにあたって、いきなり美輪明宏

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【閑話休題】第343回・年明けにあたって、いきなり美輪明宏

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2015-01-09 16:00:00]

【閑話休題】第343回・年明けにあたって、いきなり美輪明宏

▼せっかくの年明けなので、わたしの駄文よりも、美輪明宏の名言を。そのままそっくり拝借して貼り付けた。どうも、昔の丸山明宏のほうが、わたしの中では、通りが良い。「ヨイトマケの唄」の登場とともに、わたしが小学校に上がったからだろうか。
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▼「負けるものか」が口癖になっていた。・・・・

終戦の年、私は10歳の少年でした。その後、国立音楽大付属高校に入学するため郷里の長崎から上京しました。

確か15歳か、16歳の頃です。実家は比較的裕福だったので、仕送りをしてもらっていましたが、戦後のドタバタでついに親の仕事もうまくいかなくなり、破産。家は没落しました。以来、仕送りは完全に停止しました。

当時、国鉄の駅は夜になると家を焼け出された人々が寝泊まりしていました。私も一時その集団に潜り込んで雨風をしのいでいましたが、何もしなければ死んでいたでしょう。とにかく働き口を探し、食い扶持を稼がないと……。

新宿駅なんかに立っていると、手配師から声がかかりました。それで、楽器を弾ける人や歌を歌える人はトラックに乗せられて立川や座間などの米軍キャンプに連れていかれた。運のいい人は、そこでバイト代のほかにコンビーフ缶などをもらえた。将来のことなど、誰も考えられません。ひたすら今を生きる。それで精一杯の日々でした。

少しして安いアパートを借りられるようになったときのこと。私がドアの鍵を差し込むと一緒に帰宅したボーイフレンドが「ほーら、また言った」と。「え、何を? 」と聞くと、教えてくれました。私は無意識に「負けるものか」としばしばつぶやいていたのです。戦争には負けたけれど、私は負け犬にならない。絶対、負けてなるものか。そんな思いが口癖となったのでしょう。

好むと好まざるとにかかわらず、人は「現実」に晒され翻弄されます。人生は順風の時もあれば、逆風の時もある。そうした真理は古今東西共通です。

ただ、戦前・戦中・戦後の苦難を肌で知る私が言いたいのは、現代の人はすぐ弱音を吐いたり、心が折れたりしやすいのではないかということです。

上司に怒られ、同僚には足を引っ張られ、得意先に理不尽な注文を浴びせられ、営業成績もさっぱり上がらない。四面楚歌だ。俺はダメなヤツだ、と。

厳しいようですが、私に言わせれば、そんなの平和ボケの時代の贅沢な悩みです。災難を災難と受け止める意識があるうちは生ぬるいんです。

火の粉はふり払わなければ、火傷します。だから必死にふり払う。自分が置かれた立場を悲観している暇はない。

ああだこうだと、弱音を吐いている人は、一度すべてを放り出せばいいんです。禅の修行で、絶食したり水断ちしたりして極限まで追い込まれると、おしんこ一枚、水一滴がありがたいと思えるように、試しに、落ちるところまで落ちればいい。ある種のリセットをすることで、風景もまったく異なって見えるはずです。

生きるか死ぬかという段階になれば、例えばかつてはプライドが許さなかった「人に頭を下げる」ことさえ、簡単にできるようになるものです。

私が自信を喪失した人によくお伝えするのは、「自分の手や足を鏡に映して、よく見てみなさい」ということ。ずうずうしく、でんっと生き続けてきた自分の姿がそこにはある。ものはついでです。今まで生きてこられたのだから、この先もきっとやっていけるはずです。

そして、これからは、「温室育ちの花や野菜」ではなく、「波打ち際の防風林」のような存在になる、と誓うのです。海からの強烈な潮風に絶えず吹き付けられていると、根っこが張り、強くなる。耐久力がつきます。結局のところ、人生は経験や慣れがモノを言うところがあります。船が沈まないよう、その都度何かを打ち付けて補強する。そうやって経験値が高くなるごとに自分の中に手札も増える。それこそが自信となるのです。

そして経験値を上げ、転ばぬ先の杖ともなるのが「文化に触れる」習慣。例えば、日本の文豪の本を読み、歴史上の人物の生き様を知り、CGやドンパチばかりの今の映画とは正反対の胸にじわりと残る昔の映画を見る。そうした作品には、今、私たちが試練を迎えたときの生き方のお手本となり、背中をそっと押してくれる「ストーリー」が満載なのです。

火の粉がふりかかっているときは、悩んでなんていられない。
悩みがあるのは、まだ余裕がある証拠。

とにかく行動あるのみ。
この方法がダメならこっちとか、生きる方法を考えること。
そうしていくうちに、自然と手札が増えていく。
結局、人生はすべて経験、慣れなのです。

自信がなくなったら、鏡を見なさい。
ずうずうしく生き続けている自分の姿が見えるでしょう。
今まで生きてこられたのだから、この先も十分生きられる。

尊敬される人とは、感情を理性でコントロールできる人。
知識や教養のない人は、感情的になって、なんの手立てもできない。

個人の考えはたかが知れている。
いろんな人たちが残した事物事象を参考にすればいい。
ネタがないとガソリン切れになりますよ。

▼万巻の書を読むより、この人の言葉のほうが「がつん」と来る。ちなみに、美輪姓は、読経中に浮かんだ名前だそうだ。余談だが、話の中に出てきたコンビーフ缶といったら、わたしらの世代以上の人間にとっては、格別な思い入れがあるはずだ。そういう時代だったのだ。いわゆる肉など、手に入らなかったのだ。そういえばいつの頃からか、若い人でコンビーフ缶を買ったことが無いという人ばかりになった。きっと、みんなコンビーフを食えば、元気になるだろう。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


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