【閑話休題】
[記事配信時刻:2016-07-01 16:25:00]
【閑話休題】第425回・験力(げんりき)
▼僧侶というと、日頃人間の死にかかわるのが常態という仕事なので、それこそ幽霊ともお知り合いの人が多いのではないか、などと思う。しかし、どうもそれはいかにも素人のイメージのようだ。
▼もちろん日本の坊さんすべてに聞いたわけではないから、なんとも言えない。ただ、わしが見聞きした限りでは、坊さんならだれでも幽霊と遭遇しているわけではないようだ。
▼以前、この閑話休題で、九州のとある廃病院の話を紹介したことがある。ちょっとここでもう一度書いてみよう。長年荒れるがままに放置されていたその廃病院は、いつしか心霊スポットになっていった。
▼地元のヤンキーたちが、そこで夜中に肝試しをした。屋上で酒盛りをしていたら、血まみれの女の幽霊が出て、「わたしここで飛び降りて死んだの」と言ったそうだ。ヤンキーたちは、色をなして逃げ出した。
▼以後、そうした話が頻発したので、所有者は業を煮やして、解体し、更地にしたあと、マンションにしようと建設業者に依頼した。
▼ところが、解体作業中、昼となく、夜となく、廃病院のあちこちで仕事をしている作業者たちの前に、その同じ幽霊と思しき女が出没し、作業者たちはとうとう「もう嫌だ」と作業を放り出す始末。結局頼む業者、頼む業者が次々に途中で投げ出してしまいどうにもならなくなってしまった。ほとほと困った所有者は、とうとう地元のお寺にお願いした。
▼その日(昼間だが)、一番幽霊が出たといわれる部屋に、簡単な仏壇が供えられ、所有者や業者たちが勢ぞろいして、僧侶による供養の様子を見守った。
▼ひとしきり、読経が続いたところ、後ろに控えていた所有者や業者たちは凍りついた。僧侶の横にたたずむ血まみれの女の幽霊が現れたのだ。みな、動揺し部屋がどよめいた。
▼坊さんは、構わず読経をしていたが、突然、激しい声で怒号を放った。「嘘をつくなあっ!」。みな、幽霊よりそちらの烈迫の気合にもっとびっくりしたそうだ。
▼やがて、目に見えて、その女の幽霊は、うなだれたようになり、ゆっくりゆっくりと薄くなっては、消えていったそうだ。
▼供養が終わると、坊さんをみなが取り囲み、「さすがお坊さんだ。修行を積まれた方というのは、違いますな。」と褒めちぎったのだが、坊さんの一言がふるっている。
「まあ、これで二度と出てこんでしょう。それにしても、びっくりしました。わたしは、幽霊なるものを見たのは、これが初めてなもので。・・・」
「え、初めてなんですか? しかし、見事に幽霊を退散させましたよ。そういえば、あの『嘘をつくな』というのは、どういうことだったんでしょうか。」
「いやね、横にあの女が立って、ぶつぶつ言ってたんですわ。わたしはここで飛び降りて死んだ、とかなんとかね。ところがあなた、飛び降り自殺だったら、遺体はあんなものでは済みません。わたしはね、幽霊を見るのは初めてだったが、人の遺体はそれこそ何百体とこれまでこの目で見てきた。ビルからの飛び降り自殺がどんな悲惨なものか、そのくらい知っています。あの女、頭一つ割れてもいなかったじゃないですか。手足も砕けてなかったじゃないですか。だから、うそをつくな、と怒鳴ってやったんです。」
▼さて、果たして読経が効いたのか、それとも坊さんに、激しく叱責されたからなのか、幽霊は二度とそこに現れることなく、現在、予定通りマンションが建っている。ちなみに、その病院というのは、過去、一度も飛び降り自殺などは無かった。一体、その女性の幽霊とは何だったのだろうか。
▼実は、笑ってしまうようなこんな話もある。その人(Aさんとしておく)が、ある日家の前で落ち葉を掃き集めていたときのこと。もちろん、休日の昼間だ。Aさんは初老の紳士だ。
▼そこに、一人の男を、二人の男が抱きかかえるようにしてやってきた。えらい騒ぎようなのだ。
「すみません、助けてください。お願いします。」
▼見れば、抱きかかえられている若い男は、目は白目を剥き、野獣のような意味不明の大声を上げており、自身ではしっかり立っていることができないようだった。これを抱きかかかえながらやってきたほかの二人の男は、もう真っ青な顔をして、パニック状態だ。
「どうしたんですか。癲癇(てんかん)かなんかじゃないのかね。病院に連絡したほうがいいんじゃないか」、といってAさんは、家の中に携帯をとりに戻ろうとすると、二人の男たちがこういった。
「違います、癲癇なんかじゃありません。こいつ、なんか化け物に取り憑かれたんです。お願いです。なんとか助けてください。」
▼「取り憑かれる」などという言葉もおよそ日常的には、びっくりしてしまったが、ふと思い浮かぶことがあった。近くに、さる新興宗教の施設があるのだ。そこの連中じゃないか、とAさんはとっさに思ったそうだ。
▼だいたい、なんで自分のところに来たのかわからない。まったく知り合いでもなんでもない、ただの他人だ。しかも化物に取り憑かれたなど口走るなど、およそ尋常ではない。しかし、それだけ彼らが切迫した状態に陥っているということはわかった。いずれにしろ、これは完全にお門違いだ。
▼そこで、そっちの世界のことなら、やはり近くにある、お寺につれていったらどうだろうと思い、彼らをお寺まで急いでつれていった。たまたま、住職(といっても30代も若い坊さんだ)が、庭いじりをしていた。話をして、お経かなんぞを読み聞かせたら、なんとかなりませんか、というお願いをしたのだ。
▼その坊さんも、これは癲癇ではない、と気づいたのだろうか、快く、みなを本堂に案内し、さっそく読経が始まったそうだ。それが、般若心経だったのか、妙法蓮華経だったのか、それとも密教の陀羅尼や真言、調伏に使われる不動明王などの経典だったのか、このへんの具体的な点はつまびらかではない。
▼ここからは、二人の目撃者の談話である。一つは、Aさんが後で述べた話。読経が始まっても、まだくだんの「取り憑かれた男」は、獣のように大騒ぎしており、二人がそれをはがいじめにして、押さえ込んでいる。
▼やがて、10分か15分くらいして、Aさんには、「はっきり見えた」、というのだ。男の人が、本堂の隅に立っていた、というのだ。背広を着た若い男で、はっきり顔は判別しないのだが、間違いなく人がたっていたのだ。
▼最初は、本堂での騒ぎを聞きつけ、この寺のほかの関係者が見に来たのか、と思ったそうだが、そうではないと気づいた。頭の当たりと、足先の当たりが、透き通っており、本堂の板壁が透けて見えているのに気がついたのだ。
▼すると、今の今までわめいていた男が、いきなり静かになり、失神状態となった。静かになったのに気がついた坊さんも、読経をやめた。
▼ここからは、坊さんの語った話である。坊さんは、突然現れた男の幽霊(?、あるいは生霊?)と思しき存在には気づかなかった。視界に入っていない位置なのだ。しかし、自分の読経が「効いた」と思ったらしい。実際そうかもしれない。
「いや、読経が効きましたね。すごいな。わたしは生まれて初めてですよ。毎日お勤めしていますが、正直本音を言えば、効果があるのかないのか、半信半疑だったんです。しかし、今日と言う今日はわかりましたよ。ほんとうに読経って効くんですね!」
頼りないといえば頼りないが、そんな坊さんでも読経をすれば、それなりの効験を発揮するということか。
▼坊さんは、興奮気味でまくしたてていたそうだ。聞けば、その後もこの話を聞いた人が現れると、「あ、ぼくの読経の話、聞かれたんですね。すごいでしょう。読経って効くんですよ!」と大満悦らしい。よほど嬉しかったのだろう。
▼しかし、果たして、僧侶の験力(げんりき)のなせるワザなのか。それとも、経文や真言・陀羅尼などそのものに、力があるのか。あるいは、まったく別の要因で、亡者が失せることになったのか。まったくわからない。あの男は、死霊だったのか、それとも生霊だったのか、それもわからない。ただ、妙に坊さんは嬉しくて仕方が無かったようである。
▼もう一つ興味深い、坊さんの話がある。その人(女性)は実家がお寺なのだ。お父さんが坊さんだ。
▼小学校の頃、夜中にトイレに立った。住居と本堂は渡り廊下でつながっているのだが、トイレはその間に位置していた。
▼彼女は、くの字に曲がった渡り廊下を、「怖いな、怖いな」と思いながら歩いていると、本堂が明るいのに気がついた。「あれ、お父さんが、お勤めしているのかな。」と不思議に思った。なにしろ真夜中だ。
▼そこに、ぽんと後ろから肩を叩かれた。驚いて振り返ると、父親(住職)だったのだ。「なんだ、お前まだ起きてたのか。早く寝なさい。」「お父さん、本堂が明るいよ。誰か来てるよ。」「わかってる。お父さん見てくるから、お前は戻っていなさい。」
▼彼女は、戻りかけたが、やはり気になるので、渡り廊下の端っこに立ったまま、父親の姿を目で追った。坊さんは、渡り廊下から本堂まで歩いていき、障子をすっと開けた。そのときの様子を、彼女ははっきり覚えている、という。住職は、障子を開けた瞬間、びっくりしたように、後ろにのけぞったというのだ。
▼しばらく、障子の外に立ち尽くしていた住職は、気を取り直したようにして一礼し、本堂に入り、後ろ手で障子を閉めた。そこから、延々と読経の声が聞こえてきた。彼女は、一応安心してトイレに行き、渡り廊下を戻ってきたのだが、やはり気になってずっと読経が終わるのを待っていたそうだ。
▼二十分だろうか。それとも一時間だろうか。この間、彼女は二回もトイレに行ったというから、かなり長い時間だったことは間違いない。ずいぶんと時間が経ったところで、本堂の明りが、突然ふっと消えた。それでも読経は続いている。しばらく読経の声が聞こえていたのだが、それもしばらくするとようやく終わった。
▼やがて、住職は本堂から出てきて、渡り廊下をやってきた。娘を見つけて、「こら、寝なさいと言ったろう。」と怒られ、追いたてられるように寝かされたという。
▼後年、ずっと経ってから、彼女が社会人になったころ、なにかの拍子にこのときの不思議な夜のことを思い出した。そこで、父親に聞いたそうだ。「あのとき、お父さん、なにを見たの?」
▼父親は、とうにこのことを忘れていたが、娘から聞かれて、「おお、そういうことがあったな。お前、知らんのか。そうか、話してなかったかな。」といって、住職はあの夜なにがあったか詳しく教えてくれたそうである。
▼その内容は、こういうことだったそうだ。住職が、本堂の障子を開けると、信じられない光景が広がっていた。本堂の内部に、所狭しと、牛、馬をはじめ、さまざまな獣が充満していたのだそうだ。
▼不思議なことに、みな着物のようなものまとっていたというのだ。しかも、半獣半人という体である。頭は動物なのだが、首から下はどうも人間のようだ。本当のところ、なにがそこに居たのかわからない。ただ、住職にはそういう風に見えたというのだ。
▼ただ一見して、この世のものではない、ということは見て取ったという。その獣たちが、一斉に自分を振り返るや、頭を下げたというのだ。
▼住職はすぐに、気がついた。実は、その日、寺に一つの供養塔が持ち込まれたのだ。それは、住宅かなんぞの開発をするとかで、破棄される予定になっていた、牛馬や鶏など獣畜類の供養塔だった。それこそ江戸時代からそこにあったものだったそうだ。
▼業者たちは、いかに開発とはいえ、こうした古くからある供養塔を破棄するに忍びなく、引き取り手を捜していたのだそうだ。かの住職のところにも声がかかって、「それなら、うちで引き取りましょう」と快諾し、それがあの日の昼間、寺に持ち込まれたばかりだったのだ。
▼長いこと、読経をしているうちに、背後の獣畜の霊団の気配が、ふっと消えた、そう感じたそうである。と同時に、本堂に灯っていたロウソクの灯りが、これも突然消えた。それで、住職は、満足してくれたのかな、と思ったそうだ。
▼「獣畜の類にも、心があるということなんだろうな」。そう、彼女に言って聞かせたらしい。
▼三人の僧侶の話を書いたが、いずれも霊的世界との遭遇を「珍しく」経験した人たちだ。いずれも、とくに、人並みはずれた厳しい修行をしたという人たちではない。どちらかというと、家がもともとお寺だったので、自然に名跡を継いだというだけの人たちといってもいい。しかし、ひょんな偶然から、異界と遭遇する機会を得たわけだ。
▼さて、最後の坊さんの話だ。関西の話だ。ある年の夏休みのこと。小学生だったHさんは、友達のK君と、近所の寺の境内で遊んでいた。
▼その坊さんが、寺から出てきてスイカを御馳走してくれたのだ。坊さんと、Hさんと、友だちのK君の3人で縁側に座り、蝉の声を聞きながら他愛もない話しをしていた時、友だちのK君が「幽霊って本当にいるの?」なんて質問をした。
「いるんだろうなあ。」坊さんはあっさりそう答えた。
▼「そんなものいるハズないよ」と声を張り上げるKとHさんに、坊さんは「それなら、今夜泊まりに来なさい」と言った。
▼両親に、寺に泊まる許可をもらった二人は、それこそワクワクしながら夕飯を食べ、暗くなってから寺を訪ねた。すると坊さんは麦茶を一杯飲ませてくれた後、二人を本堂へ連れて行った。
「これから夜の御勤めをするから、そこに正座して静かにしてなさい。」
▼二人は坊さんの後ろに並んで座り、嫌々ながら読経につき合わされるハメになった。子供にとってそれは恐ろしく退屈で、苦痛な時間だ。だが悪ふざけをする訳にはいかない。
▼読経が始まってしばらく経った時。本堂の入り口、つまり二人のすぐ後ろで物音がしたそうだ。何の音だろう、と耳をすましていると、どうも人の足音のように聞こえる。しかも靴の中にたっぷり水を入れたまま歩いているような、グチョッ、グチョッ・・という足音だ。
▼それから、誰かにジッと見られているような嫌な感覚。思わず背筋がゾッとしてKの方を見ると、彼も同じものを感じたように、目を丸くしてHさんを見ていた。
▼「和尚さん・・・」助けを求めるようにわたしたちは、読経を続けている坊さんに、小声で呼んだ。が、坊さんは読経を続けながら、左手をちょっと揚げて彼らを制した。そのまま大人しくしていろ・・・そう合図しているようだった。
▼読経の間中、その不気味な足音と視線は続いた。それもすぐ後ろである。これからどうなってしまうんだろう、二人は訳もなく不安になり、ほとんど半ベソ状態だった。目の前に、和尚さんがいるというたったそれだけで、辛うじて踏ん張っていたといっていい。
▼やがて読経が終わると、正体不明な音も視線も、綺麗さっぱり消えた。二人は緊張の糸が切れた勢いで、坊さんにしがみついた。
▼その坊さんによると、夜、御勤めの読経をしていると、成仏できない仏様がたまにやって来るらしい。「今夜来たのは、おそらく3年前に近くの川で身投げした身元不明の女の人だ。毎年、いつもこの日、同じ時間にやって来る。」
▼そのとき、坊さんが二人に言ったことを、Hさんは今でもよく覚えている。
「幽霊がいるかいないかは分からない。信じる人も信じない人もいる。だが、こういう奇妙な体験をしてしまうと、坊さんを続けなくちゃならんな、と思う。」
坊さんは静かにそう言ったそうだ。
▼過去、歴史的に余りにも有名な、僧侶が深く関わった怪談というと、「耳なし芳一」があるが、実話としては「累ケ淵(かさねがふち)」がなんといっても一番有名だろう。江戸時代からずっと語り継がれてきた話だが、明治になってから三遊亭円朝が「真景累ケ淵」を作り上げている。
▼この話の原本は、仮名草子本「死霊解脱物語聞書」だ。この本は、慶長17年・1612年から、寛文12年・1672年までの60年間にわたって繰り広げられたおぞましい因縁を、残寿という僧侶が逐一、関係者に取材してまとめた、いわばルポルタージュである。しかも、江戸時代を通じて、何度も再版された大ベストセラーである。
★現在の茨城県常総市羽生町(下総国岡田郡羽生村)の娘、菊(きく)が、なにものかに憑依され、大騒動になった事件である。
★菊に取り憑いたのは、累(もともと‘るい’と名づけられていたが、後、祟り・因果が‘かさねる’ということから、‘かさね’と呼ばれた)という女だ。
★少々、家系が複雑なので、整理しておく。話の発端は、百姓の与右衛門(よえもん)と、お杉の夫婦がいた。お杉には連れ子がいた。助(娘らしい)は生まれつき肢体不自由であったことから、与右衛門は嫌い、川に投げ捨てて殺す。
★翌年、与右衛門とお杉の間には、また女児をもうけたので、累(るい)と名づけたのだが、それが、助に生き写しだったことから、因果が重なったとして「かさね」と呼ばれるようになったわけだ。
★その累は、両親が相次いで亡くなり、谷五郎(やごろう)を婿に迎えている。ところが、その谷五郎は、累を殺して別の女と一緒になる計画を立て、正保4年・1647年8月11日に、累を川に突き落とし、残忍なほうほうで殺害している。
★その後、谷五郎は何人もの後妻を娶ったが、ことごとく死んでしまった。6人目の後妻・きよとの間に、ようやく女児が生まれた。これに、菊と名づけた。そこに、累の亡霊が現れるのである。
★累の亡霊は、菊の体をつかって、「自分は、谷五郎に殺された」と暴露。庄屋をはじめ、駆けつけた村人たちを驚愕させる。
★その有様というのは、とんでもないもので、ちょうど米国映画「エクソシスト」で、悪魔に取り憑かれた少女が、ベッドの上から宙に浮かんでは、ベッドに何度も叩きつけられる、あの様子そのものである。
★あのシーンは、戦後映画の名だたる恐怖シーンとして、画期的なカットだったが、それと同じ有様を、なんと今から遡ること3百年も前に、残寿は関係者からの取材でリアルに書き残しているのだ。その迫真性は凄まじい。
★このとき、近隣の飯沼の庵に滞在していた祐天上人が、村人たちの頼みでかつぎだされた。祐天上人とは、浄土宗の高僧である。この頃は思うところあって、宗門から離脱し、いわば僧侶浪人をし、全国を行脚していたのだ。
★祐天上人は村人たちの求めに応じて、菊と面談した。もちろん村人たち衆目の真っ只中である。
★問答が繰り返されるや、次第に累(菊の体に入り込んだ)の要求はエスカレートしていく。最初は、「自分の供養の石仏をつくれ」と言っておき、村人側が「金が無い」と難色を示すと、「もともとあたしの土地だったんだから、その分を売れ」と言い出す。
★村人たちが、それでも要求を跳ねつけようとすると、累は、村人たちやその先祖たちが、隠れてどういう悪事を働いていたか、片っ端から暴露し始めたのだ。村人たちは戦慄した。累の怨念は、たんに恨みを晴らすだけにとどまらず、村そのものを全滅させるつもりではないのか、と。この騒動や、先祖の悪事などが、代官などの耳に達すると、村ごと取り潰しになる危険性もある。
★祐天上人は、6人の僧侶を伴い、大掛かりな浄霊を試みるが、まったく効かない。そうこうしているうちに、菊の衰弱が甚だしくなり、危険な状態となった。
★祐天上人は、これが効かないのであれば、仏法を捨てると覚悟して望んだ最後の浄霊は、腕力で累自身に、「南無阿弥陀仏」を唱えさせることだった。上人は、菊を羽交い絞めにし、髪をわしづかみにし、数珠を押し付け、念仏を強要。ついに、累が念仏を唱えたところで菊は救われる。累が、菊の体から去ったのである。
★ところが、話はそれで終わらなかった。後日、再び菊に異変が起こったのである。みな、累が再び降臨したのかと思ったが、そうではなかった。実は菊の父親は、殺した前妻の連れ子・助(すけ)だったのである。
★こうした一連の、菊の父親の悪事というものを、村では知らなかったことというより、むしろ全員が見て見ぬ振りをしていたということもルポルタージュでは示唆されている。
★助は、累が祐天上人によって成仏させられたのを見て羨ましく、自分もと思って菊に取り憑いたのである。これには、周囲みな涙した。祐天上人はこの助も成仏させ、江戸時代を通じて震撼させた一大オカルト事件も幕引きとなった。
★祐天上人は、後、徳川幕府将軍綱吉やその生母・桂昌院らの帰依を有卦、幕命によって芝増上寺36世法主となり、大僧正に任じられている。
★晩年は、江戸目黒の地に草庵を結んで隠居し、そこで没した。この庵が、その後、現在の祐天寺になる。現在東横線の祐天寺駅に、それはある。
★一方、鬼怒川沿いの法蔵寺に、祐天上人が浄霊に用いた数珠などが収められており、現実に助、累、そして菊らの位牌も確認されていることから、なんらかの「事件」が実際に起こっていたと思われる。
★前段で例に挙げた僧侶たちは、どちらかというと、わたしたちとそれほど大きな違いのある人間ではない。が、祐天上人となると、それこそ約束された宗門における栄達を捨てて、浪人となって修行を続けた人物だけに、その験力たるや常人の及ぶところではなかったろう。
★それでも、最後の最後に上人は、これがだめなら仏法を捨てるとまで覚悟したほどであるから、結局大事なのは、覚悟一つなのかもしれない。数珠でも、経文でも、なんでもないということだ。
★東京・高尾山、薬王院は昔から飯縄権現(いづなごんげん)の呪法で知られた霊場だが、そのふもとに祈祷所を持っている僧がいる。彼はこう言う。
「経典や祈祷の次第がちゃんとしていれば、験力は発動すると言う祈祷者も多い。が、わたしはそうではないと思っている。教典や祈祷の次第というものは、いわば大砲の大筒だ。砲弾が無ければ、威力はない。砲弾とは、どうしてもこの人を救いたいのだという菩提心(ぼだいしん)だ。」
祐天上人が見せた覚悟のほどと、通ずるものがあるように思う。
形は大事だが、最後は形ではない、ということだ。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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