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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第429回 パラダイム・シフト

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【閑話休題】第429回 パラダイム・シフト

【閑話休題】

[記事配信時刻:2016-07-29 16:45:00]

【閑話休題】第429回 パラダイム・シフト


▼民主主義は、今や制度や合法的な手続きを守るというだけの意味に、堕落している。
もともと民主主義というのは、そういうアキレス腱を内包しているイデオロギーだった。少数派の意見を尊重するといいながら、出来上がった民主主義制度というものは、つねに少数派の意見を蹂躙してきた歴史のオンパレードである。その手続きによって、少数派意見を無視する正当化がなされる制度といっても良いからだ。

▼そもそも民主主義は、正しい選択をするとは限らない。典型的な例は、ナチス・ドイツである。ナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)は、1923年のミュンヘン一揆に失敗するも、後継組織が国会議席を初めて獲得する。

▼1928年には、12議席を獲得。30年には第2党に躍進。32年7月31日の国会議員選挙では230議席を獲得し、第1党となっている。そして33年に、ヒンデンブルク大統領によって(周囲に説得されてなのだが)、ヒトラーを首相に任命し、ナチス政権が成立している。

▼明らかに、民主主義的な手続きを経て、化物が誕生したのである。この後、正当にして合法的なヒトラー政権は、「長いナイフの夜」など粛清を経て、独裁制を完成させていくことになる。

▼このプロセスは、ロシアのプーチン政権にも通じるものがある。いろいろ根深い問題はあるものの、なにが起こるかわからない民主主義制度という危うさの上に、かろうじて文民統制が生きている米国大統領制とは、似て非なるものだ。

▼だいたいからして、民主主義制度というものが、暴力を否定するといいながら、その獲得にどれだけの暴力が使われ、流血を続けてきたか思い返せばよい。英国のマグナカルタしかり、フランス革命しかりである。暴力で得られた制度が、暴力を否定すること自体、ある意味滑稽である。

▼最近、中東の要衝トルコで、軍事クーデータ未遂があった。エルドアン大統領に対して牙をむいたトルコ軍の一部が、反乱を行い、結局一夜明けてみれば、失敗であった。6000人に及ぶ軍属が拘束されたとされているが、半分近くが軍属ではなく、司法関係者など各分野多数にわたる。ここが問題なのだ。

▼もともとトルコ軍というのは、ケマル・パシャ(アタチュルク)初代大統領以来、オスマントルコ帝国の最大の問題は、イスラム主義であったという反省に立った建軍思想を持っている。いわゆる政教完全分離主義である。

▼一方エルドアン大統領は、近年次第にイスラム色を強めている。たとえば、女性のヒジャブ(スカーフ)着用や、飲酒禁止などに動いているのは、その表面に現れたものにすぎない。かつての大オスマン帝国の再現とも言うべき、イスラム主義復興が根底のイデオロギーにある。

▼エルドアン大統領の特異なところは、そうはいいながら、非常に現実的な政治の功利を重視していて、イスラエルと劇的な和解をしてみたり、都合が悪くなると、殺人国家だと罵ってみたり。反ロシア的である一方で、プーチン大統領との対話を試みたり。米国との関係重視を歌いながら、イランと接触してみたりと、非常に毀誉褒貶が激しい。

▼このエルドアン大統領とかつて盟友であった、ギュレン師は、トルコのイスラム宗教界では重鎮の一人だ。ところが、近年エルドアン大統領とはたもとを分かつようになっている。ギュレン師というのは、トルコのイスラム宗教家のリーダーの一人であるものの、むしろイスラム主義という観点では、エルドアン大統領よりはるかに穏健、つまり、世俗的である。ケマル・パシャ以来の政教分離に組みしているほうだ。

▼このギュレン師の息のかかった司法関係者たちが、エルドアン大統領の身辺を漁ったところ、汚職などの腐敗がどんどん出てきた。これが、エルドアン大統領とギュレン師の衝突の直接的な原因らしい。

▼結果、ギュレン師は米国に亡命。エルドアン大統領は、今回のトルコ軍のクーデタ未遂事件の背後には、ギュレン師がいたとして米国に身柄送還を要求している。当のギュレン師はこの嫌疑を否定している。

▼さて、再び政治の世界にありがちな、藪の中だ。一説には、エルドアン大統領が意図的にクーデタを起こさせ、これを鎮圧するという自作自演だったのではないかとも言われる。いわば「やらせ」である。なにしろ、逮捕者が多い割には、クーデタの規模が小さい。そして、司法関係者など、軍属以外の逮捕者が半分を占めるなどということは、あまりにも不可解だからだ。

▼要するにこの見方は、先述のギュレン師の影響を受けている司法関係者や学界・メディア、とくにエルドアン大統領の腐敗を調べ上げている関係者すべてを、根こそぎ拘束したのではないか、ということなのだ。

▼クーデタを鎮圧し、軍の力を弱めようという意図も明白だ。逮捕者の中には、シリアやクルド反政府地区を攻撃する拠点であるインジルリク空軍基地の司令官が含まれている。また、エルドアン大統領の軍事補佐官も拘束されたという。さらに、シリア、イラク、イランの国境を担当する陸軍第2軍司令部のトップも拘束されたというのだ。最前線のトップが軒並み拘束されているということだ。

▼これだけの大掛かりな軍の人脈であったなら、そもそも大統領の身柄確保ができないようなクーデタなど、およそ考えにくいのである。過去、軍は3回のクーデタを行っている。いずれも、政権がイスラム色を強めようというときに限って、発生している、いかにもトルコ軍の建軍の思想そのままの行動原理だ。そしてその度に、政権が交代した後、軍は民政移管してきたのだ。

▼もし、これがエルドアン大統領の自作自演だとしたら、今後起こるであろうクーデタを、大統領が未然にその芽を摘んでしまおうという荒療治に出た、ということになる。その先に待っているのは、アメリカ型の大統領ではなく、ロシア型、つまりプーチン型の大統領ということになるはずだ。あるいは、エルドアン独裁化を阻止しようとした一部軍の関係者のクーデタが失敗し、これを奇貨として、エルドアン側が一気に独裁化に道を開く口実にしたのかもしれない。だとすると、かつて日本で起こった226事件に非常に似たものになってくるわけだ。

▼メディアというのは、クーデタというと、判で押したように、ファシズムの脅威とか、民主主義の敵に怒り、とかそういった見出しで記事を組むのだが、ことの本質がわからないうちにそうした「余計な綺麗事による解釈」は止めてもらいたい。

▼トルコ軍の今回のクーデタが一体、なんだったのか、もちろんまだよくわからない。ちょうど、戦前の日本の226事件のように、80年経ってもいまだに、ファシズムの烙印を押されてしまっているように、歴史上いったん評価が固まってしまうと、その本意が正当に評価されるのには、とてつもない年月がかかるのだ。本人たちの意図は、まったく違うところにあったにもかかわらず、である。

▼一体、あの時代に、国民も含め、日本が丸ごと大陸へ大陸へと歩みを進めていった中で、一体誰が、命懸けでそれを止めようとしたのかといえば、あの226の青年将校たち以外にだれもいなかったという事実は、けして「正式な歴史と世論」が未だに認めようとしないではないか。暴力に訴えたという一点で、226事件はファシズムの烙印を押され、現在までその汚名をそそぐことがない。

▼こうした、行動パターンが暴力である場合に、どうしても否定がまず先にたってしまうのは、考えものだ。しかし、こうしたパターンはほかにもあるのだ。タイなどは典型的だが、何度かくりかえされた軍のクーデタは、政局の混乱が極まった場合につねに発生した。そしてそれは、国王の勅令によって完結し、事態沈静化とともに、軍政から民政移管がなされてきたのだ。

▼軍の実力行動が、つねに悪しきものだという考えは、やはり捨てたほうがよい。クーデタ未遂事件の直後、エルドアン大統領は驚くような強圧的処理を始めている。トルコの高等教育評議会が全国の国立・私立大学の学部長1577人に辞職を求めるなど、その最たるものだが、辞職を求める理由は伝えていないのだ。また、一方で私立校の教員2万1000人の免許も取り消した。ブルームバーグの集計では、クーデター未遂以降、退職・停職・追放処分ないし専門資格剥奪といった粛清の対象者は、一週間も経たないうちに5万9628人に達している。

▼クーデタばかりが、その暴力的行動を否定する余り、非難され、一方でその直後のエルドアン現政権の強圧ぶりはともすると見過ごされやすい。民主主義の真価がこういうときにいつも問われる。手続きさえ合法的なら、なにをやっても許されるのか、ということだ。

▼とくに遠い日本のメディアはそうだ。もしかしたら、軍はこうしたエルドアン政権が、イスラム色をどんどん強めていくことに建軍の伝統よろしく、歯止めをかけようとしたのかもしれない。上記のように、エルドアン政権が教育界に猛烈なメスを入れているということは、まさにその証左なのだろう。もしそうだとすると、エルドアン政権が強圧政治を強めれば強めるほど、トルコの政情不安はかなり危険な状況に陥っていくと危惧される。

▼トルコが揺れているのだ。現代の火薬庫・中東にあって、この大国だけはかろうじて磐石な理性と合理によって安定が保たれた、いわば要石だった。それが、揺れている。ここが、収まらないということになると、わたしたちが想像している以上に、国際政治は混乱の度合いを、一気に深めていってしまう恐れがある。

▼片や、国連の常任理事国(五大国)でありながら、公然と国境を書き変えてクリミアを併合したロシア。同じく、常任理事国でありながら、そして国連海洋法条約を批准していながら、今回の南シナ海での国際仲裁裁判所の判決を、「無視する」といい、「我が国は完全に国際法を守っている」といけしゃあしゃあと言ってのける中国。

▼いつまでたっても、異常なカルト集団・ISIS(イスラム国)を殲滅できずに、ぐずぐずしている国連。どうも、世界のパラダイムが、もしかしたら本当に大きな転換をしようとしているのかもしれない。当然と思われていた価値体系が、根底からくつがえってしまう、パラダイムシフトが起ころうとしているのだろうか。

▼ただ、どう見ても、それは良い方向への転換には見えない。きわめつけは、米国大統領のトランプ共和党候補の優勢という事実だろう。それぞれの国の勝手なナショナリズム優先という動きにしか見えないのだが、これはただの杞憂だろうか。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄



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