【閑話休題】
[記事配信時刻:2016-10-14 17:30:00]
【閑話休題】第440回・冒頭の名文
▼このところ忙しいのだ。満足に、この閑話休題を書き込む余裕がない、ということで、今回は「冒頭の名文」と題して、またまたパクリの列挙で済ませてしまおうと思う。
▼今回のテーマはようするに、「つかみ」というやつである。講演、セミナーでもそうだが、最初の「つかみ」が一気に聴衆の気持ちを引き付けるかどうか、とても重要だ。わたしなどは、これが一番苦手なのだ。
▼昔から、小説などの冒頭の一文に、それこそ作家は命をかけるくらいの意気込みを示してきた。「つかみ」は、昔から、小説の内容より重視されていたといってもいい。
▼もっともこの「つかみ」の究極といえば、タイトルそのものかもしれない。わたしの中で強烈な印象を残している一人の作家がいる。片岡義男氏だが、70年代から80年代にかけて、バイクやサーフィンという米西海岸文化の匂いをぷんぷんさせた彼の小説は、その中身といったらほとんどからっぽに近い。あらすじすら覚えていない。が、「タイトル」だけで残るのだ。
▼全編は、イメージという風がただ吹き抜けていくような、空っぽさなのだ。真夏の砂漠に、一本のアスファルト道路の直線が伸びている。補修もされていない、ヒビだらけのアスファルトだ。路肩には、一台のシボレー・カマロがつっこんでいて、もう何年も経っているのだろう、赤さびで覆われ、廃車同然だ。時折吹く風に、ひしゃげたバドワイザーの缶が、乾いた音をたてて転がっていく。・・・そういう風景の中で、筋らしい筋というものがない話が、延々と続くのである。
▼それがかえって、当時の若者世代(70年代後半から80年代にかけて二十代の世代)の一部に、絶大な人気を博した。バイク全盛の時代だったということもあるかもしれない。それが当時の「粋(いき)」だったのである。彼の小説の命は、ほとんどこのタイトル一つだったといってもいい。つまり、「キャッチ・コピー」のうまさ、ということだ。
ときには星の下で眠る
いい旅を、と誰もが言った
スローなブギにしてくれ
ラジオが泣いた夜
スターダストハイウェイ
愛してるなんて、とてもいえない
ロンサム・カウボーイ
味噌汁は朝のブルース
俺のハートがNOと言う
ドライマティーニが口をきく
長距離ライダーの憂鬱
▼それ以前、太宰治やドストエフスキー、夏目漱石などを、額にシワを寄せながら、それこそ溺れるように読んでいたわたしが、それらとはまったく違う、今でいうところの「ライトノベル」のはしりに、やはり溺れたのだ。たまたま、毎週バイクでツーリングをしていたということもあったかもしれない。同時に、こうしたタイトルの「キャッチコピー」にまんまとハメられたような気もする。時代というのはそういう意味では、とんでもない力を持っている。わたしのような偏屈を、「乗せて」しまったくらいなのだ。
▼一つ前の世代(60年代から70年代前半に二十代だった世代)だったら、片岡に相当する存在といったら、五木寛之だったろう。彼の小説も、(ファンの方にはまことに申訳ないが)わたしからしたら、ほとんど空っぽといってもいい。一応、大衆小説としてのプロットの展開があり、それなりに読ませる作品だが、だからどうした、という感じが残る。しかし、タイトルの「つかみ」は抜群だ。
青春の門
デラシネの旗
さらばモスクワ愚連隊
青年は荒野をめざす
蒼ざめた馬を見よ
涙の河をふり返れ
戒厳令の夜
▼五木作品は、まだ安保闘争などがあった時代なので、社会問題やイデオロギーの匂いを多分に残していた。からっぽといっても、なにがしかの問題提起は文脈ににじんでいた。しかし片岡作品になってくると、もはや完全に空っぽである。大学紛争の後の、ノンポリの雰囲気そのものといっていい。が、どちらにしても、「つかみ」でほとんど同時代の若者の心を、それこそわしづかみにしたといっていい。
▼さてここで、文豪たちの「つかみ」の妙技をあらためて読み返してみよう。最初は、誰でも知っているようなところから列挙していってみる。
▼なんといっても、古典から。なんといっても古典は、冒頭からの「つかみ」は、後の近代小説など及ぶべくもないほど芸術的なものばかりだ。「枕草子」「徒然草」「源氏物語」「方丈記」「奥の細道」等、挙げられる古典という古典の冒頭文は、ついついうなってしまうほどだ。中でも誰もが認める冒頭の名文といえば、「平家物語」であろう。
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、
盛者必衰(じょうしゃひっすい)のことわりをあらはす。
おごれる人も久しからず、只(ただ)春の夜の夢のごとし。
たけき者もついには滅びぬ、ひとへに風の前の塵(ちり)に同じ。…
およそ、どんな名文を持ってきても、おそらくこれに勝るものは、そうは無いだろう。
それでは近代文学から引っ張ってきてみよう。
▼「雪国」川端康成
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 …
このあまりにも有名な冒頭の一文だが、意外に中身はなんだかよくわからない。そういう小説も多いのだ。書き出しのつかみがすべてで、あとはさてどうなんでしょ、という小説だ。川端の小説というのは、なぜノーベル賞を取ったのかいまだにわたしにはわからない。彼の小説というのは、なにか言っているようで、実はなにも言っていないようにしか読めないのだ。よく「難解な部分がある」と評されているが、難解もなにもない。これは、わたしの理解不足ゆえなのだろうか。この川端には、ほかにも有名な冒頭の一文がある。
「伊豆の踊子」川端康成
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。・・・
この小説も、だからなに、という気がしてならないのだが、わずかに旅情の哀切さというものは伝わってくる。
▼「夜明け前」島崎藤村
木曽路はすべて山の中である。・・・
これなどは、長編の割りに、だからどうしたという気になってしまう典型的な小説だが、おそらく中身より、この一文で世紀を超えて残る「名作」ということになっているようだ。
さあ、どんどん並べよう。
▼「草枕」夏目漱石
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。・・・
漱石は悪文と言われながらも、多くの名文も残した。この草枕などは、知らない人はいないだろう。ほかにもある。
「こころ」夏目漱石
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。・・・
『坊ちゃん』夏目漱石
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校にいる時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事はある。・・・
▼「羅生門」芥川龍之介
或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。広い門の下にはこの男の外に誰もいない。・・・
▼「風立ちぬ」堀辰雄
それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。・・・
▼「葉」太宰治
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。・・・
太宰は、そもそも文章がうまい。どうにもならないくらい病的な自尊心と自己嫌悪のかたまりが、全作品中に炸裂しているから、好む人と忌避する人がもっとも極端に分かれる作家の一人だろう。冒頭の一文ではないが、一つ引用してみる。
「二十世紀旗手」太宰治
私の欲していたもの、全世界ではなかった。百年の名声でもなかった。タンポポの花一輪の信頼が欲しくて、チサの葉いちまいのなぐさめが欲しくて、一生を棒に振った。
この作家に、今でいうコピーライターをやらせてみたら、傑作を次々と放ったかもしれない。
▼それにしても、いやでるわでるわ、ざっとピックアップしても、すぐにこれだけ出てくる。しかし、冒頭の一文に、魂を込めようとする意気込みというのは、日本人作家独特というものでもないらしい。外国文学(訳文で読んでいるのだが)にも、この冒頭の一文に、印象の強いものがある。
▼たとえば、この閑話休題でも以前解説してみた、コロンビアのノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスなどはそうだ。
「百年の孤独」ガルシア・マルケス
長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。・・・
▼「レベッカへの鍵」ケン・フォレット
正午、ラクダの最後の一頭が死んだ。・・・
▼「白夜」ドストエフスキー
素晴らしい夜だった。それは、読者諸君、わたしたちがが若き日にのみあり得るような夜だった。・・・
▼「レベッカ」デュ・モーリア
昨夜、わたしはまたマンダレイへ行く夢をみた。・・・
▼「ボヘミアの醜聞」コナン・ドイル
シャーロック・ホームズにとって、彼女はつねに「あの女」である。ほかの呼びかたをすることは、めったにない。・・・
▼いずれにしろ、冒頭の一文というのは、作家にとって全力をかけた命の断片だということは、洋の東西を問わず同じらしい。が、どうも外国の小説の冒頭というのは、日本ほどたくさんの印象に残る一文というものが、意外に少ないような気もする。
▼それでは、ざっと気づく冒頭の一文をだらだらと書き並べてみよう。
「潮騒」三島由紀夫
歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。・・・
「細雪」谷崎純一郎
「こいさん、頼むわ。」鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、・・・
「人間失格」太宰治
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 ・・・
「金閣寺」三島由紀夫
幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。私の生まれたのは、舞鶴から東北の・・・
「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりとした白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを・・・
「パルタイ」倉橋由美子
ある日あなたは、もう決心はついたかとたずねた。わたしはあなたがそれまでにも何回となくこの話を切りだそうとしていたのを知っていたを
「富岳百景」太宰治
富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって東西及南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。・・・
「ベッドタイムアイズ」山田詠美
スプーンは私をかわいがるのがとてもうまい。ただし、それは私の体を、であって、心では決して、ない。・・・
「刺青」谷崎純一郎
それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。・・・
「永遠のゼロ」百田尚樹
あれはたしか終戦直前だった。正確な日付は覚えていない。しかしあのゼロだけは忘れない。悪魔のようなゼロだった。
▼外国文学の場合は、日本のそれと違って「冒頭の一文」というのは、やや理屈だったり、説明的であったりする点が多いような気がする。日本の場合は、一言で切り込んでくる印象が強い。
「風と共に去りぬ」マーガレット・ミッチェル
スカーレット・オハラは美人というのではなかったが、双子のタールトン兄弟がそうだったように、ひとたび彼女の魅力にとらえられると、そんなことを気にするものは、ほとんどいなかった。・・・
「ブリキの太鼓」(ダンツィヒ三部作)ギュンター・グラス
うん、そうとも、ぼくは精神病院の住人だ。看護人が見張っている、ほとんど目を離さない。・・・
「郷愁」ヘルマン・ヘッセ
はじめに神話があった。・・・
「アンナ・カレーニナ」レフ・トルストイ
幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである ・・・
「カラマゾフの兄弟」ドフトエフスキー
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネによる福音書12章24節)
「スタンド・バイ・ミー」スティーブン・キング
なににもまして重要だというものごとは、なににもまして口に出して言いにくいものだ。・・・
「怒りの葡萄」ジョン・スタインベック
オクラホマの、赤茶けた土地と、灰色の土地の一部に、最後の雨が、やわらかに降ってきた。それは傷あとだらけの大地を切りくずすことはしなかった。・・・
「狭き門」アンドレ・ジッド
ほかの人たちだったら、これをもって一冊の本を書き上げることもできただろう。・・・
「若きウェルテルの悩み」ゲーテ
ひと思いに出かけてしまって、ほんとによかったと思っている。人間の心なんて、変なものだね、君。・・・
「異邦人」アルベール・カミュ
きょう、ママン(母)が死んだ。 もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。・・・
「初恋」ツルゲーネフ
客はもうとうに帰ってしまった。時計が零時半を打った。部屋の中に残ったのは、・・・
「肉体の悪魔」レイモン・ラディゲ
僕はさまざまな非難を受けることになるだろう。でも、どうすればいい? 戦争の始まる何か月か前に十二歳だったことが、僕の落ち度だとでもいうのだろうか?・・・
「罪と罰」ドストエフスキー
七月はじめのうだるような暑さだった。ある日の夕暮れ近く、一人の青年が、・・・
「八月の光」ウィリアム・フォークナー
道端に坐りこんで、馬車が丘をこちらに登ってくるのを見まもりながら、リーナは考える、『あたしアラバマからやってきたんだわ。アラバマからずっと歩いて。ずいぶん遠くまで来たのねえ』。・・・
「ハリー・ポッターと賢者の石」JKローリング
プリベット通り四番地の住人ダーズリー夫妻は、「おかげさまで、私どもはどこからみてもまともな人間です」と言うのが自慢だった。・・・
「悲しみよこんにちは」フランソワーズ・サガン
倦怠感と甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。・・・
「哲学のすすめ」デカルト
私たちはたまたま生き残ってきた。・・・
「老人と海」アーネスト・ヘミングウェイ
かれは年をとっていた。メキシコ湾流に小舟を浮べ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが、一匹も釣れない日が八十四日もつづいた。・・・
「モンテ・クリスト伯」アレクサンドル・デュマ
一八一五年二月二十四日、ノオトル・ダム・ド・ラ・ガルドの見張所では、三本マストのファラオン号が目に入った。・・・
「白鯨(モーヴィ・ディック)」ハーマン・メルヴィル
わたしのことはイシュメルと呼んでほしい。・・・
「失われた時をもとめて」マルセル・プルースト
長いこと私は、早くから床についた。時には、ろうそくが消えるとすぐ目が閉じてしまって、さあ眠るぞと思うひまもないほどだった。そして、半時間もすると目が覚めるのだった。・・・
「嵐が丘」エミリー・ブロンテ
1801年のこと。――いましがた、大家(おおや)に挨拶をして戻ったところだ。今後
面倒なつきあいがあるとすれば、この人ぐらいだろう。・・・
「アッシャー家の崩壊」エドガー・A・ポー
雲が押しかかる様に低く空に掛った、物憂い、暗い、そして静まり返った秋の日の終日、私は馬に乗って唯一人、不思議なほどうら淋しい地方を通り過ぎて行った。そしてとうとう夕暮の影が迫って来た頃、陰鬱なアッシャー家の見える所までやってきた。・・・
「キリマンジャロの雪」アーネスト・ヘミングウェイ
キリマンジャロは標高6007メートルの雪におおわれた山で、アフリカの最高峰である。西側の山頂はマサイ語で「ヌガイェ ヌガイ」、神の家と呼ばれている。その「神の家」近くに、一頭の干からびた豹の屍が凍りついている。豹がこんな高地に何を求めてやってきたのか、理由は誰にもわからない。・・・
「夜間飛行」サン=テグジュペリ
機体の下に見える小山の群れが、早くも暮れ方の金色の光の中に、陰影の航跡を深めつつあった。平野が輝いてきた。しかもいつまでも衰えない輝きだ。・・・
▼ときに、わが身を振り返って、自分のこの閑話休題の冒頭というのは、どうなのだろう。本人の性格そのままに、はじめから終りまで、だらだらである。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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