【閑話休題】
[記事配信時刻:2017-05-26 17:09:00]
【閑話休題】第471回・何かがあった。
▼無かったことを証明することは、ほとんど不可能だが、あったことを証明するのも大変難しい。しかし、間違いなく何かがあったと想像できる事象は、歴史的にもたくさんある。
▼たとえば、ニュルンベルグ事件というのがある。1561年4月14日明け方のことだ。南ドイツのニュルンベルグ上空で、謎の飛行物体が一時間にわたって飛び交い、あたかも戦っているように見えたという事件である。これは、ニュルンベルグ市民の多くが実際に目撃している事件だけに、大変有名なものだ。
(現在のニュルンベルグ)
▼当時の有名な版画家ハンス・グレーザーが木版画にしたおかげで、後世に残った。
(グレーザーの木版画)
いくつもの十字形、球体、チューブ状の飛行物体が飛び交って戦い、最後に槍のような巨大な飛行物体が登場したという。
▼1561年というと、ちょうど前年に桶狭間の合戦で、織田信長が今川義元を討ち取っている。61年の10月には、第四次川中島合戦で上杉謙信と武田信玄が殲滅戦を行っている。ちょうどその間の事件だ。
▼当時のドイツは、カトリックとプロテスタントによる宗教戦争の時代だが、この1561年というのは、有名な「アウグスブルクの和議」で、なんとか停戦に持ち込み数年が経過したところで、つかのまの平和が続いていた時期である。
▼目撃記事によると、夜が明けたところで、ニュルンベルクの空に、2つの円筒形の物体が、垂直に滞空していたという。しばらくすると、なんとそこから、赤・青・黒といった、色とりどりの槍や円盤が飛び出してきた。それらは、1時間ほど激しく飛び交い、まるで戦っているようだった。やがて、それらは燃え尽きたように、煙を出しながら落ちてきたというものだ。実際、いくつかは墜落して爆発炎上するも煙と共に跡形もなく消え去ったというから(木版画にも描かれている)、後世になって「これは幻日のような気象現象の一種だ」というのも、説得力が無い。ただ、現代でいう円筒形UFOや、ロケットに近い形のものが多く、当時の人間からするとまったく想像を超えるような代物だけに、今からグレーザーの版画や、当時の記事を見ても、どうしても現実味が無い。立証ができない典型的な未解決事件だろう。
▼UFOにこうしたものが多い一方で、地上でやはり肯定派・否定派の論争が、一向に解決を見ない事象がある。ポルタ―ガイスト現象だ。
▼物が移動したり、空中に浮いたり、壁を物体がすり抜けたり、あるいはラップ音(騒音)が発生したり、ドアが勝手に開閉したり、とさまざまだ。
▼大変有名になり、学者など多数が何度も立ち入り調査をしたものでは、英国のエンスフィールド事件がある。1977年7月に始まり、2年以上も続いたため、国中が大騒ぎとなった事件である。
▼この事件は、ハーパー一家(母親と4人の娘)の住宅で起こったものだが、単にポルターガイスト現象にとどまらず、老女や子供の幽霊が出現したり、家族が憑依されてしまったりしている。ドアや引き出しの開閉はあたりまえで、トイレが勝手に流れる、コインが飛ぶ、壁掛け時計が揺れる、本が飛んでは落ちる、電気機器が片っ端から原因不明の理由で機能停止する、セメントで固定されたパイプが壁からはがれる、自然発火するなど、ありとあらゆる「心霊現象」のデパートのような事件だった。
▼不思議なことに、これだけ大騒ぎになった事件だが、その他のこの種の事件と同じように、あっさり現象が止まり、以来なにも起こらない。多くの専門家がかかわったわりには、結局なんだったかわからないわけだから、どうにもならない。テレビ局が介入してからは、現象の中にあきらかに「やらせ」も行われたことが確認されているから、虚実ないまぜとなってしまい、さらにわからなくなっている。
▼エンスフィールド事件ほどではないが、わたしが香港駐在中、後輩夫婦(非常に若かった)のマンションで、似たようなことがあった。
▼奥さんが一人家にいると、妙に動物の匂い(犬が雨に濡れて、発汗したときのような独特の動物臭である)がし、目の前で、ばたばたと飾って立ったいくつかの写真立てが、床に落ちてしまったのだ。
▼カメラで窓の外の香港海峡の風景を何枚も撮った。窓際には、朝顔の鉢植えがいくつか並べてあった。現像してみると、どういうわけか、すべての写真において、朝顔だけが写らず、香港海峡の風景がそのまま移っているのである。
▼友達と一階で待ち合わせし、買い物に行くためマンションを出た。ところが、忘れ物をしたのに気づき、いったん部屋に戻った。香港というのは、玄関は鉄格子のドアがあり、分厚い木のドアがあり、それには、3か所の鍵がある。うち1つは、内側からかかる鍵である。
▼彼女が全部鍵を開けたのに、ドアは開かない。内側からかかっているのだ。やむなく、修理屋を呼んだわけだが、これは壊さないと無理、ということになって、結局壊した。修理屋曰く、「中に誰かいなければ、この最後の鍵はかかるはずがない。」
▼夫婦で夜一緒にいるとき、CDの入ったプレイヤーが、いきなり鳴り出した。確かにCDは入れっぱなしだった。おそらく、これは、なにか電気的な誤作動だろうということで、もともとの電源コードを抜いた。ところが、その直後、プレイヤーは鳴り出した。慌てて二人で、あちこちボタンを押したり、からかってみたところ、しばらくして、いきなり音楽が消えた。間違いなく、電源コードは外れていたのだ。
▼だいたいこの若い奥さんは、もともと霊感の強い人で、当時もビルが全焼する夢を見ている。夫のほうが、それを支店に出勤してきたとき、わたしに言ったのだ。
「女房がね、銅羅湾の●●ビルあるでしょう。建設中のやつ。あれが、全焼する夢を見たんですよ。」
その夜、このビルは全焼した。
▼それだけならよい。どのくらいたったころか忘れてしまったが、まだ完成していなかった時分だと思う。また、奥さんが同じビルが全焼する夢を見たというのだ。二度は無いだろう。それは、前回見た夢が記憶の深いところに残っていて、インパクトが大きいからまた見たんじゃないか、ということでわれわれは解釈していた。ところが、その夜、そのビルは再び全焼したのである。
▼このわたしの友人の件でポイントは、若い奥さんということなのだ。女性である。どういうわけかキーになっているのは、わたしの経験では女性なのである。
▼このポルターガイスト現象に関しては、世界中、どういうわけか非常に共通した一つの点がある。完全にすべてではないものの、そのほとんどのケースに、思春期の少女や、若い女性がかかわっているという点なのだ。
▼日本でもこの現象は確認されている。1741年 - 1747年(寛保から延享年間)のころ江戸で起きた次のような事例がそうだ。
▼評定所書役(現在の裁判所書記官に相当)の大竹栄蔵が幼少のころ、父親が池尻村(現在の東京都世田谷区池尻)の娘を下働きに雇った。それからというもの、家内に不思議な現象が起こり始めた。天井の上に大きな石が落ちたようなものすごい音がする。行灯(あんどん)がふいに舞い上がる。茶碗や皿などの食器が飛んだり、隣の部屋に移動したりするなど、現象は次第にエスカレート。
▼栄蔵の父は連日怪音が続いて困り果てていたが、ある老人が怪現象のことを聞きつけて大竹家を訪ね、もしも池尻村の娘を雇っているなら村へ帰したほうがいい、と助言。それに従ったところ怪現象が止まった、とされている。
▼1818年 - 1829年(文政年間)に書かれた『遊歴雑記(ゆうれきざっき)』にある事件では、与力が池袋村(現在の東京都豊島区池袋)出身の娘を下働きに雇い入れたところ、家の中に石が降ったり、戸棚の中の皿・椀・鉢などがひとりでに外へ飛び出してこなごなに壊れたり、火鉢がひっくり返、釜の蓋が宙へ浮き上がるなどの現象が起きた、といった記述がある。
▼この二例を見てわかるように、少女や若い女性が介在しているのだ。これは海外のポルターガイスト現象でも、ほぼ共通しており、思春期の女性というものが、なんらかの媒介変数になっているという推察は成り立つ。が、しょせん、冒頭の中世のUFO事件と同じく、なにかがあったことは間違いないものの、それが、UFOなのか幽霊なのかという決定的な立証はなされていない。
▼どうもこの「少女や若い女性」というのがキーワードだ。たとえば、日本の怪談では、番町皿屋敷や播州皿屋敷が有名だが、この主人公である女性の幽霊の名は「きく」である。おそらく「お菊さん」なのだろうが、実は日本中に皿屋敷の怪談はある。JR市ヶ谷駅からほど近い番町や、姫路城のお菊井戸だけではない。
▼武家に奉公していた女中が、誤って家宝の取り扱いを誤り、割ってしまう。それをとがめられて切り殺され、それが亡霊となって現れるという定番だが、これは日本中にある怪談なのだ。従って、どこが本当の発祥地なのか、それは四谷怪談のようにあるていど事実をベースにした創作怪談なのか、わからない。ただ、これだけ全国に流布しているということは、きっとそこでなにかがあったと考えるほうが自然だ。
▼しかも、面白いことに、この全国の番町皿屋敷的な怪談の主人公の女性は、どれもこれもその名を「きく」という。また、『怪談・真景累ヶ淵』(裕天上人のことで、閑話休題で書いたことがある)の中で、憑依される娘の名もお菊であった。「きく」という名には、霊の声を「聴く」という意味が込められているともいう。
▼名前はともかくとして、少女や若い女性というものが、憑依や幽霊の媒介変数になっているケースが世界的にも非常に多い。1975年ドイツの「アンネリーゼ・ミシェル事件」もそうである。女子大生だったアンネリーゼが、エクソシストさながら悪魔にとり憑かれ、カトリック神父の除霊儀式の結果、衰弱死したケースだ。
▼このケースは神父が裁判にかけられる後日談まであり、いわゆる本当の心霊事件なのか、それとも病理があくまでも原因であり、神父の介入などはまったくナンセンスだったのか。いまだに結論の出ないケースだが、そこで記録された、現場の人間の声ではない別の声や、いわゆる過激なまでのポルターガイスト現象など、なにかがそこで起こっていたことは確かである。
▼UFOにしろ、幽霊にしろ、これだけ昔から世界中で夥しい「事件」が報告されているが、そのかなりの部分が「やらせ」であったりすることは自明だ。が、わたしの場合などは、それを確実に自分の目で見、現認しているわけで、自分が見たものを信じるよりほかない。たしかに、そこにはなにかが起こっていたのである。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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