【閑話休題】
[記事配信時刻:2018-07-20 16:20:00]
【閑話休題】第531回・夏はやっぱりラテンでしょ。
▼センチメンタルになりやすい季節感があると言われる。誰しも思うのは、秋ということなのだが、そうなんだろうか。わたしは秋にセンチメンタルな感傷に襲われるということは、ほとんど無かった。
▼むしろ夏、それも決まって夏の終わりが、一年では問答無用の感傷的な気分に襲われるのだ。夏の一日の中でも、決まって夕暮れどきが、一番深い感傷に陥ってしまう。その情緒のブレは、秋のセンチメンタリズムなど、比較にならないと思っているのだが、わたしだけだろうか。
▼基本的にセンチメンタルというのは、情緒的なという意味であるから、理性より感情や感覚のほうが優先されがちな季節ということになる。秋は、頭脳が明晰でだんだん研ぎ澄まされてくるから、読書の秋というように、感傷的な気分とはわたしにとっては程遠い。
▼別の言い方をすれば、センチメンタルというのは、モノ悲しくなるという意味でもあるから、明るかったものが、輝きを失い、熱かったものが、燃え尽きようとしていき、押し寄せてきたものが、引いていくモノ悲しさなのだ。つまり、終わっていく美しさでもある。
▼だから、わたしは、夏というと元気いっぱいの健康的なイメージよりも、夏の一日が終わっていく夕暮れ時のはかなさや、夏そのものが終わっていこうとする断末魔の風情のほうが、どうしても夏のイメージとしては、強い。
「アカルサはホロビノスガタデアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅ビハセヌ(『右大臣実朝(太宰治)』)
▼ということで、夏である。センチメンタルズとロマンティシズムにどっぷり浸っていただくために、いくつか名曲を用意した。基本、ラテン音楽だというところがポイントだ。ラテンだというだけで、「夏」を意識できるから不思議だ。
▼どういうわけか、日本はラテンというのは、あまり流行らない。60年代に、一時「麻疹」のように流行った時期はあったが、それ以来、一時的流行りがあっても、それは、ラテン風ということが多く、ラテンそのものが音楽シーンを席巻したということが、無い。日本人は、あまりラテンのリズム感や、旋律性が好みではないのかもしれない。わたしは、もしかすると日本人ではないのかもしれない。
▼別に、夏とは限らず、いわゆるラテン音楽が生まれた中南米は、一部を除いて、ほぼ一年中夏のようなところが多い。だからか、夏や、熱い季節にラテン音楽がどうしてもオーバーラップしてしまう。
▼一応、ラテン音楽に敬意を表して、まずは初めに、キューバからメキシコやフロリダなど、カリブ海湾岸で大いに広まった、「ボレロ」を紹介しておこう。フランスのラヴェル作曲による「ボレロ」とはまったく関係ない。
▼もともとはヨーロッパの舞踊曲だったが、アメリカで歌謡として大きく花開いた。キューバから始まったが、やがてキューバでは廃れ、メキシコ、フロリダへと広がった経緯がある。
▼アメリカでは社交ダンスの種目として、ボレロに人気がある。ルンバ・ダンスのパターンと、ワルツやフォックストロットの性格が結びついたもので、4拍子の、ラテンの中では最もゆっくりしたリズムのものだから、現在でも多用されている。
▼このボレロのそれこそ往年の名曲を紹介しておこう。マイアミ・サウンド・マシーンのグロリア・エステファン(キューバ出身)が、ホセ・フェリシアーノ(プエルトリコ出身、全盲の伝説的シンガー、現在72歳)とのデュエットという大変珍しい、名演だ。画像は悪いが、音源は問題ない。
https://www.youtube.com/watch?v=IH4og7yap1oカリブ海の透き通った渚と、椰子の群落、キンキンに冷えたフローズン・ダイキリを思い浮かべれば、実によく似合う音楽だと思うはずだ。ヘミングウェーが愛した世界だ。少なくおともオコチャマの世界ではない。成熟した、たくさんの思い出すものを持っている年代の世界である。夏は、今それを謳歌できる世代のものというより、かつて謳歌していたことがあると、懐かしむ者にこそ、その味わいが心に染み入ってくる。若き日の熱と、取返しがつかないうちに、終わっていこうとする今の切なさだ。だから、夏の終わりは余計その懐旧の念を深めるのだろう。
▼ちなみにということで、グロリア・エステファンとホセ・フェリシアーノのボレロ・デュエットの傑作も、紹介しておこう。Tengo Aue Decirte Algoだ。
https://www.youtube.com/watch?v=HNYNY7VxF3Y&list=PLOTC9WZhmoeoIbFyVKBpaQp0x-CeNYTxl▼まったりバラードばかりが能じゃない。サンバも常夏のブラジルを想起させるという点では、外せない。サンバというのは、リズムがきわめてアップテンポのものが多いので(もちろんバラードもあるが)、いかにも明るい内容かと思いきや、そうでもない。その歌詞の内容と合わせて味わうと、じわりと哀歓を漂わせた佳作が多いのだ。たとえば、やはり名曲に、Tristeza(悲しみ)というのがある。こんな内容だ。
Tristeza
Por favor vai embora
Minha alma que chora
Esta vendo o meu fim
Fez do meu coracao a sua moradia
Ja e demais o meu penar
Quero voltar aquela vida de alegria
Quero de novo cantar
【日本語訳】
悲しみよ、どこかに去ってくれ
私の魂は泣いている
私の終わりが見えているから
悲しみは私の心に住み着いてしまった
苦しみはもうたくさん
楽しかった日々に帰りたい
もう一度歌いたい
名曲ゆえ、多くのアーティストがカバーしているが、こんなのはどうだろうか。オーソドックスな音源だ。
https://www.youtube.com/watch?v=T6grhXw-E0oプロではない、アマチュアのソロ・ギターと歌唱だが、結構いい感じが出ている。彼はサンバというより、ボサノヴァ(ささやき)風に演奏・歌唱している。ときどきミスったりしたところで、見せる表情が、「っぽく」てむしろ好感が持てる。サンバで聴くか、それともこうしたボサノヴァで聴くかで、ずいぶん違う。これまでのスペイン語ではなく、ブラジルなのでポルトガル語だ。考えてみれば、夏の哀愁というものは、エネルギッシュな季節感の裏に息づいているアンニュイ(倦怠感)のことでもある。コインの裏腹だ。ヒグラシの声は、そういうことだ。ボサノヴァは、この夏のアンニュイの部分を体現しているとも言えそうだ。
▼中南米のラテンばかりでは、だんだん飽きてきたという向きには、日本の幻のラテン・バンド、「カリオカ(Carioca)」のナンバーから、Before you goを紹介しておこう。インスツルメントだけである。歌ではない。
▼カリオカは、高中正義らと組んだ、ラテン・フュージョン・バンドといったほうがいいかもしれない。和製ラテン音楽としては、わたしは個人的にはかなり思い入れが深い。ここで紹介するBefore you goは、ちょうど1980-81年頃、わたしが学生から社会人になっていくころの曲だが、わたしが知る限り、夏の哀切さの美しさという点では、これに勝る曲はいまだにお目にかかっていない、と思っている。ハーモニカが、いかにも夏の夕暮れのセンチメンタリズムをいやが上にも増幅させている。
https://www.youtube.com/watch?v=H0JMAtGOMiE▼さて、あんまり、まったりした、おセンチ・ムードばかりでは飽きると思うので、最後に、一発、元気になる一曲をお届けしよう。これも、カリオカのBefore you goと同じ頃によく聴いていた。有楽町にあったクラブに、生演奏を聴きにいったものだ。本多俊之の、I Never Forgetだ。
https://www.youtube.com/watch?v=pCU6iouh4qg夏とは関係ないのだが、夏のエネルギーを感じさせるという意味では、申し分無いだろう。完全にラテン・ビート、サンバである。この曲でも聴いて、夏の暑さに負けないように。サックスが実にいいパンチを出している。ゴキゲンの一曲だ。そうだ、夏は、まだ真っ盛りなのだ。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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