【閑話休題】
[記事配信時刻:2019-02-01 16:45:00]
【閑話休題】第559回・怪談二つ~『過去から来た手紙』、『やっと見てくれた』
▼今回はまた先週に引き続き、「オカルト」で行こうと思う。つまり、ネタが無いということだ。しかも、当然ながらパクリである。2つパクってみた。一つは、非常に珍しい、不思議な話。もう一つは、いかにも怪談らしいが、怖さはない。ただ、そういう世界なのだ、ということがよくわかる話だ。
▼まず、その前にイントロだが、どうでもいい枕詞(まくらことば)だ。昔から、現世利益のショートカットに、よく呪文というものが使われた。これは存外馬鹿にできないのである。なぜなら、世界はすべて波動で成り立っているからだ。光も音も波動である。原子レベルでも波動である。必ず影響を及ぼすのである。古来、日本ではこの現象のことを、「言霊(ことだま)」と呼びならわした。共鳴現象である。
▼もちろん、「マハリク マハリタ・・・」という『魔法使いサリー』の呪文から、高野山や比叡山で誦される真言(マントラ)まで、さまざまな呪文はある。
▼この呪文は、二つの重要なポイントがある。一つは、次第(形式のこと)に則って行えば、自身の意思にかかわらず、発動することがある、という点。これは、その音(おん)が持つ特有の波動効果によるものだろうと推察される。もう一つは、さはさりながら、そこに強烈な意思を盛り込めば、発動確率は数段勝るという点だ。
▼よく映画などでも使われる、「九字切り」というのがある。「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈(裂)・在・前」と唱えながら、縦横に、右手の手刀印で空を切るのである。正式には、手で結ぶ9種類の印契(いんげい)があり、「りん・ぴょう・とう・・・」と唱えるごとに、どんどん印契を組み替えていく。
▼護身法として知られるが、これは道教の六甲秘呪から来たもので、仏教本来の伝承によるものではない。が、神道・仏教と混在し、主に修験道者の間で広まった、効験(こうげん)あらたかな呪文だ。
▼この「九字切り」というのは、真言宗などでは、月輪観や字輪観の修行(禅宗の座禅に該当する)でイメージトレーニングを積むと、効験(こうげん)が発動されると言う。やはり、波動に強力な念をこめるのである。
▼口に出した言葉は、必ず成就するというのが、この呪文という世界の常識だが、縁のない場合には、自分に返ってくる。つまり、人を呪えば、成就しない場合、自身に倍加して跳ね返ってきて、自滅するというのである。
▼だから、喧嘩をするときでも、論争をするときでも、「馬鹿野郎」とか、「死ね」とかいう言葉は、相手を潰してしまえば、その怨念が返ってくることになる。また、相手を潰せなかった場合には、自分自身が放った攻撃的な念が、倍増して跳ね返ってきて、自ら滅びることになる。どちらにしても、自分は滅ぶのである。
▼だからできるだけ汚い、否定的な、暴力的な言葉は使ってはいけないのだ。使えば使うほど、自分の運気が下がること、加速が甚だしくなる。当然、健康も害する。
▼だから、仏教では「怒り」が殺人より罪が重いとされる。怒りは、相手のみならず、自分自身を殺してしまいかねないからだ。
▼ただ、仏教でも、自分のことを度外視した、人のための怒りであれば問題無いという。この点が面白いところだ。そこには、自分の欲が無いからである。それでも、汚い言葉はご法度だろう。言葉だけが独り歩きをして、悪い効験を発動してしまうこともあるからだ。
▼さて、幸せの呪文だが、一番手っ取り早く、効験を発動させる呪文は、驚くべきことになんと自分の名前だと言われている。続けて、両親の名、祖父母の名。これで、7人の名がそろう。7人の霊力を結集して、一念に込めるのである。
▼ここでは、7人の霊力と言っているが、実はそんなものではないのだ。幾何級数的に直系先祖を遡っていったとき、(その世界の人に言わせれば)400年で3万人の直系先祖が背後についてバックアップするというのである。
▼具体的な願いを発したり、思い描く必要はない。名前だけである。ここにすべてが集約されているからだ。だから、名前は大事だ。キラキラネームなどつけている場合ではないのだ。
▼その上で、自分が信じている神なり、仏なりの名を唱えて、外部的なパワーを招来する。応援団の組織である。このとき、必ず忘れてはならない呪文があるという。感謝の言葉である。理由などどうでもよい。「ありがとうございます」という一言だという。祈願成就の最強の呪文が「ありがとうございます」というのだから、灯台もと暗しである。これは、恐らく世界中のどの宗教宗派にかかわらず、同じような教えであろうかと思う。不思議なことだ。
▼要するに、気の巡りを良くするということにほかならないようだ。それには、楽観的で、前向きなダイナミズムを自分自身で生み出さなければ、なにも始まらない。立ち上がろうとするものを、「彼ら」は助けようとするのである。治りたがらない病人には、医者もお手上げ、ということと同じだ。
▼およそ「不幸体質」の人ほど、他人や外部環境に対して否定的・悲観的である。その不運の無限ループを断ち切るには、自身で流れを変えなければならない。呪文とは、その一念発起への宣戦布告の役割を果たす。戦いは始めた以上、勝たなければならない。動けば、人間は必ず勝つのである。仮に勝つことができなかったとしても、予期しなかった副次的な幸運に、必ず恵まれる。
▼どうだろうか。自分と直系の血縁者たち、7つの名。感謝の言葉。そして、それにトドメの一発はなにか。笑い、笑顔である。文字通り、笑う門には福きたる、のだ。
▼さて、前置きはこのくらいにして、怪談と行こう。血縁、というものの、不思議な話である。今日は、ネットラジオで聞いた話だが、当然実話である。話者はこのジャンルではかなり名の知れた人物で、北野誠などの心霊動画などの企画にもいつもかかわっている。ガチもの、マジものしかやらないことで業界では知られているので、信憑性は非常に高い。
▼彼がDVD製作事業でよく一緒に仕事をしているH氏の、ごく最近あった本当に不思議な経験だ。H氏は、編集長をしている。現在40代の男性だ。H氏自身は、幽霊とかそういったものをとくに信じるわけでもなく、否定しているわけでもない。ただ、その類の経験は皆無だった。
▼H氏は、子供のころ、不幸にして母親がノイローゼになり、子育てもできず、家事もできず、父親が代わりにすべてをこなしていた。ところが、次第に父親も仕事を休まざるを得なくなり、結果失速。困窮を極めたそうだ。
▼見るにみかねた母親の両親が、おかしくなってしまった娘(母親)を引き取っていった。そして、H氏と父親には、「申し訳ないので、娘は引き取る。離婚してください。あなたたち二人は、二人の生活を大事にしてください」ということだったそうだ。
▼頭がおかしくなった母親は、九州の実家に引き取られていき、以来、会うことはなかった。父親は復職し、H氏は鍵っ子として育った。
▼長じて、H氏が20歳を過ぎたところで、父親も亡くなった。H氏は、母親のことが気になり、戸籍を追跡したところ、実家にいることは確認できた。ちゃんと生きてくれているんだ、とある意味安心した。
▼さらに年月が経過し、H氏が40代になった。この間、結婚もし、子供もでき、仕事も順調だった。ふと、また母親のことが気になった。完全にこの頃には、母親の実家とも疎遠になっていたのだ。そこで調査を依頼した。
▼すると、母親も実はかなり以前に、亡くなっていたということが判明した。非常にショックを受けたが、これは墓参りをしなければいかんと思ったという。
▼そこで、H氏が子供のころ、母の兄(おじさん)の工場に連れられて行ったことを思い出した。工場に連絡しようと思ったのだ。工場の住所はわからないが、どういう工場だったかはうろ覚えだが、記憶にあった。
▼地元の工業会などに連絡を取って尋ねたところ、おじさんはずいぶん前に引退して、九州でも田舎のほうに帰ったという。H氏は、おじさんが帰ったという田舎の住所を調べてもらい、手紙を書いた。「突然の無礼を許していただきたい。あなたの妹の息子です」ということで、母親の墓地の場所を教えてくれ、と頼んだのだ。
▼一週間後、返信があった。「覚えていてくれてありがとう。妹もきっと喜ぶと思うので、是非墓参りをしてください。」ということで、墓地の住所、そして地図まで入っていた。
▼ところがH氏、にわかに仕事が忙しくなり、九州まで行くとなると、それなりには日にちが必要になってくる。また、どういうわけか、どこか乗り気になれず、手紙は自宅の引き出しの中に入れたままで、放りっぱなしになった。一年が経った。
▼これではいけない、と昨年、思い直し、思い切って休みを取って、九州へ行くことになった。引き出しから、くだんの手紙を取り出したところ、驚いた。とても一年前にもらった手紙とは思えないほど、紙が劣化していたのだ。
▼はっきり言って、何十年も前の手紙ではないかと思うほど、ぼろぼろになっていたのだ。地図もそうだが、手にとると、手の力で崩れたり、切れ落ちたりしてしまいかねないような状態なのだ。紙の痛みが異常にひどかったのである。
▼引き出しにある、ほかの手紙や紙類には、そうした現象が見られないので、引き出しの中の湿気やら温度の問題ではなさそうだ。
▼そこでH氏は慌てて、手紙からお墓の住所を書き写した。H氏は、ついに九州に赴いた。
▼まず、おじさんの住所(手紙に書いてあった)に行ってみて、また驚いた。そこは廃屋だったのである。それこそ何十年も放棄されたような状態だったのだ。
▼通りがかった近所の人たちに聞いてみると、口々にああ、○○さんの家だ。もう二十年くらい誰も住んどらんよ。」と言う。
▼おじさんは、とうに亡くなっていたのである。では、あの手紙(一昨年返信されてきた手紙)は一体、誰が投函したのだ?
▼H氏は、その後、母親の墓参を無事終え、東京に戻ってきた。そこで、この話をしてくれたのだそうだ。H氏はこの不思議な出来事を振り返って、こんな風に言っているという。
「わたしね、あれは過去から送られてきた手紙なのではないかと思うんですよ。お墓参りをしたいと書いた手紙が過去に届いて、過去から返事が来たのではないかと。この一年で、20年間の時間分、全部を取り返したから、もうその役目を終えて、こんなにボロボロになってしまったのではないかと。」
そのボロボロになった手紙は、まだH氏の机の引き出しに大事にしまってある。
・・・
▼この話は、非常に珍しい「怪談」だが、ポイントになっているのは、やはり「名前」なのだろうと、わたしは思っている。名前が、生者と死者、現在と過去をつなげている、唯一の糸なのだ。幼いころに分かれて、面影の記憶もほとんど数えるほどしかない状況で、名前だけは、絶対に切れない絆としてつながっているのだ。
▼さて、ついでだから、たまたま最近聞いた「怪談」の中から、もう一つ蛇足で書いておこうと思う。これは、内容ががらりと変わる。「過去からの手紙」では、直接の生者と死者の会話というコミュニケーションが無い。が、ここから書く、蛇足の話は、あたかも生者と死者が、まったく正常な会話のコミュニケ―ションを取った例である。
▼場所は沖縄。今、お笑い芸人をやっているU氏の話。実家・沖縄にいる祖母はユタである。ユタというのは、こちらでいう霊能者だが、沖縄におけるユタの地位というものは、社会的に確立されている。こちらのような得体のしれない存在ではない。
▼ユタは8-9割が女性で、どうも隔世遺伝が多い。十二支のうちでは、現実には存在しない動物、辰年生まれの人に多いとも言われる。
▼このU氏は、祖母から「お前もユタになれ」と言われたほど、死者を日常的に見る。が、U氏は子供のころから、そう言われ続けたものの、一貫して拒否。
▼U氏は、知っているのだ。祖母の日常生活の有様というものを。毎日、3ヶ月待ちの相談者に対応し、休む暇もない。タバコを一本吸っては、また対応に追われている毎日だ。
▼祖母の、精神的肉体的疲弊たるや、はたからみていても尋常ではなく、それを小さい頃からみてきたU氏は、絶対こんな生活は嫌だ、と思ったという。
▼ある日、U氏は沖縄の58号線を車で走っていた。昼間のことである。いきなり若い男が歩道から飛び出してきた。一本道で、絶対に人はいなかったのである。
▼U氏は急ハンドルを切ったが、轢いてしまった。が、衝撃が無いのだ。音も無く、その男とすれ違ってしまったのである。
「こりゃ、嫌な奴に出くわしてしまった」
そう、U氏は思った。
▼U氏の心配はその次だった。こちらが避けたので、「あいつ」は、俺が「あいつ」のことが見えているということに、気づいた。これが心配だったのだ。
▼祖母からは、「おまえは中途半端に見えるからタチが悪い。だから、絶対彼らと目を合わせるな。絶対に口をきくな。相談にも乗るな。お前は修行していないから、なにもしてやれない。処置ができない。問題が大きくなるだけだ。」と口うるさく言われおり、U氏はずっとそれを守ってきたのだ。
▼しかし、あたりを見回しても、くだんの男が見当たらない。そこで、今のうちとばかりに車に戻って発進した。
▼走り出してすぐ、いきなり助手席から「すみません。ちょっとだけこっちを見てもらえませんか。」と声を掛けられたのだ。ぎょっとした。もう乗り込んでいたのである。
▼U氏は、助手席のほうを見ることなく、無視を決め込み、走り続けた。
「あの、すみません。見えてますよね。」
幽霊は、自分の前に手をかざして振ってみせたりした。まるで漫画のような情景だ。U氏はあまりに幽霊がしつこいので、うっとうしくなってきた。
「すみません。こっち見てください。見えてるんですよね。ちょっとだけでいいんです。こっち見てください。」
▼これが、10分続いた。あまりにしつこいので、U氏はとうとう堪忍袋の緒が切れた。車を路肩に寄せて停め、怒りにまかせて、「なにっ!?」と助手席を見た。若いスーツ姿の男が座っていた。男は、やったとばかりにガッツポーズをしたそうである。
「やっと話してくれた。有難う。聞きたいことがあるんです。ぼくって、死んでるんですかね?」
▼U氏は、もううんざりという感じだったが、ふてくされたように言った。
「まあ、たぶんそうだと思いますよ。」
▼本人は気づいていないのだ。もうこうなってしまった以上しょうがないとU氏は思い、話を聞いてみたそうだ。するとこの男は、ある日、会社に行ったら、突然、誰も自分を気にかけず、無視をするというのだ。おどけたり、おちゃらけたりしても無視された。
▼人間、透明人間になると(とくに男であれば)、だれしもやりたいような、たいていのことをやったそうだ、そのうち飽きてきた。夕方になり、夜が近づいて、家に帰るのが怖くなってきた。家族にも無視されるのではないか、と。
▼自分は、死んでいるんじゃないか、と思うと、怖くなってきて、なおさら家に帰れなくなった。それで、一週間たったのか、一か月たったのか、もう時間もわからなくなってきたという。
「どうしたらいいんですか。どこへどうしたら、どうやって行けるんですか?」
男は、もう悲壮感が漂っていたそうだ。
▼U氏は、祖母に電話した。すると、いきなり開口一番に、「あんた、見たね。あいつらと話したろ?」とお見通しだった。そして、お前じゃ処置できんから、とにかく連れておいでと言われた。
▼U氏は、男に事情を話、祖母の家に車でそのまま連れて行った。そこで、3人で話をした。
▼男の住所、名前、家族構成などは、はっきりしていた。男の父母と、男の妻、子供たちと同居である。父が、持病を持っていて、ある時、突然倒れたのだ。購入したばかりの家の借金を返すのに、父親の分まで男は必死に働いた。
▼ところがそのうち、男も同じ持病が発症し、死んでしまったようだ。どうも寝ているうちに、死んでいたらしい。本人はそれに気づかず、「働きにいかなくちゃ」という思いが強く、死んだことがわからないまま、会社に出勤した、ということである。
▼そこで、3人は相談した。どうしたものか、と。最終的に祖母がこういった。「とにかく、あんたの家に行こう。そこで、正直に話て分かってもらおう。あんた自身が、納得しなければ、なにも始まらん」3人は、U氏の車で、男の実家に向かった。
▼呼び鈴を鳴らすと、男の母親が出てきた。祖母は、「ごめんなさいね。お尋ねしますが、オタクの息子さん、亡くなってませんか?」応対に出た母親は、むっとしたようだ。彼女には、老婆とU氏の姿しか当然見えていない。
▼「何なんですか?」母親は、なにかの嫌がらせか、詐欺かなんかと思ったのか、けんもほろろだった。玄関でのやりとりを聞いて、父親のほうも出てきた。聞けば、病は回復し、今は仕事に復帰しているという。
▼祖母は、自分がユタだと名乗り、「実はね、うちの孫(U氏)が、おたくの息子さんを拾ってしまってね」・・・ようやく、納得してもらい、3人(2人?)は家に上がらせてもらった。
▼そこで、家族そっちのけで、3人だけが意味不明の会話を始める。3人は、男の仏壇に連れて行き、そこでこんこんと諭したそうだ。「父親の持病も回復して、今は、仕事に復帰している。お前はもうこの家の借金のことを心配しなくていいんだ」・・・そうして祖母は、男を成仏させた、という。
▼この話は、沖縄のユタが絡む話ならではの、きわめて鮮明な生者と死者との、直接会話が、長時間にわたって成立した例である。
▼さて、こうした事例を、信じるか、信じないか。それはあなた次第だ。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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