【閑話休題】
[記事配信時刻:2019-04-19 16:29:00]
【閑話休題】第569回・ジョハリの窓
▼ジョハリの窓というのがある。サンフランシスコ州立大学の心理学者ジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリ・インガム (Harry Ingham) が発表した「対人関係における気づきのグラフモデル」のことだ。後にこの二人の名前を組み合わせて「ジョハリの窓」と呼ばれるようになった。
(ジョハリの窓)
まず「開放の窓」だが、これは、自分も他人もみんなが知っている「自己」である。
次に「盲点の窓」だが、これは他人は知っているのに、肝心の自分自身が知らないという「自己」の部分である。
さらに「秘密の窓」だが、これは自分は知っているのだが、他人の知らない「自己」である。
そして最後に「未知の窓」で、これは自分も、そして他人も、だれも知られていない「自己」である。
▼これは、「自己」を四つの自己に分割し、「誰にもまだ知られていない自己」が小さ工なれば、「フィードバック」が進んだことにより、それだけ自己開示が進んでいるということができるというものだ。
▼心理学と考えればよいのか、哲学と考えればよいのか、人それぞれだろう。この「ジョハリの窓」を最初に知ったのは、大学時代の、イタリア系のカトリック神父(教授)に教えられたときだった。
▼彼に言わせれば、この「ジョハリの窓」は非常にわかりやすく、それぞれの区分が当分となっている。しかし、実際には「未知の窓(誰にもまだ知られていない自己)」の部分は、全体の四角形を「自己」の総体だとしたら、そのほとんどを占めている、というのである。
つまり、こうなる。
(実態に近いジョハリの窓)
このように圧倒的に、「未知の窓」、誰も知ることが無かった自己というものがそこに存在することになる。これは、ある意味、フロイトの潜在意識に近い概念でもあるかもしれない。
その神父がこのジョハリの窓を持ち出したのは、決して「絶望するな」と言うことだった。かならずそこには道がある、というのだ。世の中知らないこと、わからないことだらけだが、一番知っていると勘違いしている自分自身のことでさえ、これくらいなにも知らないのだ。逆に言えば、どんなことも可能であるかもしれないということだ。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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