【閑話休題】
[記事配信時刻:2017-01-27 15:34:00]
【閑話休題】第455回・御朱印ガール
▼御朱印というものがある。もともと、信者が納経した際に、その証文として寺社(もともとは寺)が発行したものがその走りだったと言われている。その後、参拝者が望めば、求めに応じて発行するようになった。
▼わたしも、10年以上、参拝には御朱印帳を携帯して、寺社に詣でた場合には御朱印をいただいている。
▼最近では、年齢は不詳だが(おそらく若年層)、あたかもコレクションのように、次から次へと寺社を「はしご」する「御朱印ガール」なるものの存在が、よくメディアでクローズアップされている。
▼たまたま、NHKの人気番組『あさイチ』で「御朱印ガール」が特集され、いろいろと波紋を呼んでいるようだ。
▼300円ほど払えばいただける気軽さもあるが、なぜ今これが急速に若年層の女性に「流行
」になっているか諸説定まらない。ただ、「パワースポット巡り」とほぼ重複しているのではないか、と思う。
▼要するに「ライト」な感覚で御朱印を集めているわけだが、これに否定的な意見も多い。
たとえば…
「スタンプラリーじゃねえっつうの」
「スタンプラリー感覚でやるのはいかがなものかと思う」
「お参りすることに意義があるわけで。御朱印集めを目的にするなんて本末転倒でっせ」
「御朱印ガールって、アニメの舞台になった土地を巡る聖地巡礼するオタクと変わらない様な気がした」
逆に、既に御朱印を集めている人たちからは
「元々好きで静かに参拝しては御朱印をいただいてる方も多いだろうし、そっとしておいてよ。」
「御朱印ガールとか呼ぶの、本当にやめてー! もう、10年近くのーんびり一冊終わらせたワタシとしては、御朱印が目的じゃないし、流行りモノにされたくなーいっ。」
「そのうちキティーちゃんとかアニメ柄の御朱印帳入れとか出てきそう。」
「自称する人もなんなのって感じやし、呼ばれたく無いわ。」
「ひっそり集めてるんで、ほっといて」
御朱印ガールは、どちらの側からも非難噴出という様相を帯びている。
▼確かに、中にはお参りもせず、その寺社がなにをお祀りしたり、奉じているのにも興味を持たず、あたかも切手やコインのコレクションまがいの御朱印集めをしている人もいるだろうから、どうかとは思う。
▼が、きっかけはなんでもよいのだ。こういう「流行」に眉をひそめる僧侶や神職もけして少なくはないだろうが、それも狭量というもの。人間、なにがきっかけになるかわからない。そうしたライトな感覚で、パワースポット巡りとダブったような「御朱印ガール」のはやりも、もしかしたら、その人にとってとんでもない信仰への導火線になるかもしれないではないか。
▼実際、御朱印は、寺社名が入っているため、寺社で授与されるお札などと同等だとわたしは思っている・したがって、自宅の神棚・仏壇に上げている人も多いだろうし、わたしもそうしている。
▼さて、その御朱印だが、「御朱印ガール」たちが血道をあげるような、実にユニークな朱印はたくさんある。
▼増田経済研究所のすぐ隣には、曹洞宗の総持寺がある。そのとき老師がいらっしゃれば、普段とは違う御朱印をいただくことができる。
(総持寺、老師の筆による御朱印)
通常の御朱印と違い、見開き左右2頁にわたる「大作」だ。
もちろん、神社の御朱印にもユニークなデザインのものがある。
(吉原弁財天)
吉原の郭(くるわ)には、吉徳稲荷(玄徳稲荷=よしとくいなり)はじめ、5つの稲荷祠があった。関東大震災で壊滅した後に、吉原稲荷として集められている。吉原弁財天もすぐ近くにあるが、御朱印はいずれも吉原神社(稲荷)でいただくようになっている。
▼しかしながら、いつもいつも感心するが、僧侶というのは達筆な人が多い。とくに、神社の御朱印に比べて、寺院の御朱印の達筆さは、驚くべきほどだ。梵字(サンスクリット)による、仏の種字が書かれているときもある。
(東寺・教王護国寺)
▼あるいはまた、その寺社のお守りで有名な文字が書かれている場合もある。早稲田の牛込・穴八幡では、冬至から節分までの間配られる「一陽来復」の文字が御朱印にかかれる。
(穴八幡)
▼寺院とも、神社とも決めつけにくい、神仏習合の進んだ東京・高尾山・薬王院でも、やはり御朱印がいただける。
(薬王院)
ここは、本尊が薬師如来である。ところが、飯縄権現も本尊として並び祀られており、これは不動明王をはじめ、5つの尊仏の合体といってもよいお姿をしている。しかも、摂社としてある福徳稲荷の祠は、ダキニ天である。同院でいただける勤行次第書によれば、唱える真言(マントラ)は、まさにダキニ天である。天狗伝説でも有名で、ほとんど全面に出てきている主張は、天狗そのものであるように見える。飯縄権現と書かれている薬王院の御朱印というものは、とてもそう言う意味では、わたしたちに、仏とはなにか、神とはなんなのかという問題に、大きな課題を与えてくれるものだろう。
▼そういう「考える」きっかけをわたしたちに与えてくれるこの御朱印というものは、ライト感覚でもなんでも、やって悪いことはないと思うものだ。御朱印は、異界への扉のようなものであるから、粗末に扱えば、そのような応験が報いとして返ってくる。
▼仏罰というものは、無い。ただ道を踏み外すと、その因果が巡ってくるのだ。仏そのものは罰を与えない。救済こそすれ、貶めることはしないのだ。しかし、神罰はある。これがバチというものだ。神罰は強烈である。ないがしろにするならまだしも、敵に回すと直撃を食らってしまうから気を付けたほうがよい。
▼おそらく「御朱印ガール」なとは、以前映画化された「陰陽師」の影響もあろうが、京都の清明神社(京都一条戻橋)などには、殺到しているのであろうと思う。
(清明社)
この清明社にからんで、最後にあるバスガイドさん(女性)の心霊話を一つ余談で書いておこう。
▼そのガイドさんは、ある団体旅行に添乗して、京都巡りをしていた。彼女が、運転手や添乗員にあてがわれる部屋に宿泊したのだが、夜中に突然目がさめた。
▼部屋の中に、かなり大きな音が響いているのだ。それは、合戦のような、群衆の雄たけびのような音だった。
▼最初、「なになに? 火事? それとも地震でもあったの?」と飛び起きようと思ったのだが、なんといわゆる「金縛り」に遭ってしまったことに気づいた。体がぴくとも動かない。
▼そのうちに、ずんとお腹から胸のあたりが重くなり、そこに5-6人の男女がのしかかってきているのが見えた。
▼なんとか振り払おうとするが、なにしろまったく動けないのだ。そのうち、この5-6人の男女の会話がよく聞こえるようになってきたそうだ。
▼見たところ、どうも時代としては、かなり古い。明治や大正どころではなく、もっと昔の「なり」をしていたという。年齢も、みなかなり年配、あるいは老人に近かったらしい。
▼こんな会話が聞こえてきたという。
「このおなご、どうしてくれようか」
「はやいところ、やっておしまいよ」
▼恐ろしくなった添乗員さんは、必死で般若心経を唱えたそうだ。彼らは一瞬、ぎょっとしたような顔をしたように見えたが、すぐにこう言ったそうだ。
「意味も、わからぬくせに」
「そんなものを唱えて、効くものかは。」
▼困った困ったと思って、脂汗が出てきたが、そこで急に一人の老婆が言った。
「あいや、このおなご、堀川の加護を受けておるぞよ。」
「それでは、去らねばなるまいの。」
「おい、おなご。意味を知りゃれ。意味をな。」
そう言って彼らは消えていったというのだ。
▼あとで添乗員は、考えた。「堀川ってなに?」 自分は仕事がら、京都にも頻繁にやってくるが、堀川というとすぐに思い浮かぶのは、一条戻り橋あたりの異名の一つ「堀川」である。そこには、清明神社がある。以降、その添乗員さんは、清明神社に詣でるのを欠かさないようだ。言うまでもなく、安倍晴明の旧跡であり、祀られているところだ。母は、狐と言われている。
▼こういうのを、夢告による縁というのだろう。それぞれの人には、それぞれのサポーターが後ろにいらっしゃるらしい。今をはやりの「御朱印ガール」たちも、のべつまくなしに寺社巡りをしているうちに、もしかしたら、自分が誰の加護を受けているのかがわかる、きっかけをつかめるかもしれない。個人的には、ああいう流行りには閉口するものの、けして全否定するものも、心が狭いという気がする。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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