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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第107回・げんなりする名前

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【閑話休題】第107回・げんなりする名前

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-08-05 17:30:00]

【閑話休題】第107回・げんなりする名前


▼なんでもそうだが、名前をつけることくらい難しいことはない。子供の名前でも、親は何日もウンウン唸りながら考えているのだろうが、地名や商品名、題名などもピンとくる名前をつけることは大事業だ。

▼東京ディズニーランドの最寄駅は舞浜だが、これなどは傑作中の傑作だろう。実際、駅名を考えるとき関係者は大変困ったそうだ。「ディズニーランド前」では、まったく味も素っ気もない。そこで、本家ディズニーワールドがあるマイアミビーチにちなんで、「マイ=舞」、そして「ビーチ=浜」と置き換えて、「舞浜」と名づけたそうだ。これなら、外国人でも発音からくる連想で、覚えやすい。洒落た地名をつくったものだ。

▼近年は市町村合併でさまざまな新しい地名ができたが、中には首をかしげたくなるようなものも多い。私が一番嫌いなのは、やたらと「ひらがな」地名にする傾向だ。「さいたま市」などというのは、その最たるものだろう。「埼玉市」でいいじゃないか。これに文句を言う人がどうかしている。

▼同じような地名は、いくらでもある。たとえば、「むつ市」「いわき市」「つがる市」「つくば市」「ひたちなか市」「かすみがうら市」「さくら市(栃木県)」「みどり市(群馬県)」「みなかみ市」「あきるの市」「さぬき市」「えびの市」「いちき串木野市」「南さつま市」「あぶくま市」「ひだか市」「こだま市(埼玉県)」「ひらいわ市」「あかいわ市」「とくのしま市」・・・。おいおい、いったい日本はどうなってしまったのだ、という感じだ。

▼北海道のアイヌ語や沖縄における当て字からきた地名なら、私も理解はできる。ところが、上記のような類いは、いったいどうにかならないものだろうか。私が絶句したのは、「あっぷる市(青森県)」だ。当地が林檎の名産ということで、気持ちはよく分かる。が、それは横に置いておき、やはり私などは、う~んと唸ってしまう。

▼見た目、「やさしい」のかどうか知らないが、地名に「ひらがな」を乱発乱用するのだけはいただけない。私などには「やさしい」どころか、「幼稚」にしか見えない。そもそも、なんでも「やさしい」という形容詞を使いたがること自体に、なんとも納得できない思いが残る。

▼施設の名前もそうだ。「ふれあい~」「ゆめ~」「~みらい」とか、やたらに多すぎる。実に安易で、ただ無難なだけの「ひらがな」流行語をくっつけただけのネーミングは、やっつけ作業としか考えられない。

▼もっとも私が嫌悪するのは、「エコ」という言葉だ。何がエコなのだろうか。エコバッグのどこがエコロジー(生物学、生態学)なのだろう。「エコ上手」が、いかにも流行のようになったりしている風潮は、私のようになんでも斜に構えてみてしまう人間からは、おいそれと受け入れられないのかもしれない。

▼ペットボトルを一生懸命分別して、リサイクル用に活用する、などと謳っているが、けっきょくのところペットボトルの88%が、最終的には焼却処分をされているという事実はどうなるのか。世の中のトレンドなどというものは、フタを開けてみればそんな程度の実態であることが多い。

▼エコ・キャップ運動などというものもある。某朝日新聞などがずいぶんと熱を入れていたのを思い出す。ペットボトルのキャップをリサイクルして、途上国のワクチンにする。ワクチン一人分が20円。ペットボトルのキャップを1000個集めてリサイクルすると、その費用をまかなえる。リサイクルで途上国の援助ができるからすばらしいという理屈だ。

▼その実、たったの20円の資金をつくるために、回収用の宅配料金、トラック輸送のガソリン、かかわるすべての人件費、こういったことを考えていくと、いかにも資本主義の論理に大衆が上手に踊らされているという構図しか見えてこない。

▼膨大なコストと排気ガスを撒き散らしながら、20円のワクチン代を捻出することに、ああエコでいいことをしたと思うのは、土台大変な矛盾を孕(はら)んでいることに気づいてないからだ。そんなことをするなら、個人が直接、ユニセフや赤十字、現地にでもお金を送ったほうがよっぽどエコで、美しい。ペットボトルが嫌なら、水筒を使えばいいじゃないか。話は実に簡単だ。

▼話がそれた。名前のことだった。要は、エコという言葉が嫌いだというだけのことなのだが。企業が売りたい商品名なら、いかようでも構わない。しかし、歴史と伝統が息づく地名や、生々しい人間の行為に、判で押したように「ひらがな」で「馴染みやすさ」を押し付けるのだけは、勘弁してほしいものだ。

▼日本人は、字を書かなくなったのだ。読まなくもなったのだ。新聞で「じゅうりん」などという言葉を見ると、もういてもたってもいられなくなる自分がいる。確かに「蹂躙」という字は難しい。しかし、戦前の新聞はすべての漢字にルビが振ってあった(戦後生まれの私でも知っている)。だから当時は、それほど高学歴ではない人でも、今のわれわれよりよっぽど難しい字を知っていた。

▼一つの新聞は、新書本一冊分の活字で埋まっている。本など読まずとも、新聞を読むだけで、十分日本語が鍛えられた時代があったのだ。国語という教科も、愚にもつかない例文を使って訳が分からない授業をするくらいなら、日経新聞一つを速読して、原稿用紙一枚に感想文を書かせるだけで十分、日本語能力は鍛えられるはずだ。だから、まずは、新聞という日本語の旗手が、「ひらがな」を安易に使わないようにして欲しいと切に願う。まずは、当用漢字という劣悪な制度の改変から始めるべきだろうか。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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