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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第162回・秀吉と利休

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【閑話休題】第162回・秀吉と利休

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-10-24 18:30:00]

【閑話休題】第162回・秀吉と利休


▼茶の湯というのはまったく経験もなく、よく分からない世界なのだが、活字を通して知る限り、興味の尽きない題材がとても豊富だ。

▼通説では、室町時代に村田珠光(むらた じゅこう)によって始められ(侘び茶の創設者)、武野紹鴎(たけの じょうおう)らを経て、千利休(せんの りきゅう)によって完成されたとされている。それまで日本人は、茶を飲む習慣というものを持たなかった。せいぜい白湯(さゆ)である。

▼茶道というものは、この茶を点(た)てて差し上げるという、ごく平凡な日常茶飯の行為のほんのいっときを切り取り、これに規範を定め、ひとつの礼法としたものだ。社交の規範であると同時に、芸能文化であり、総合芸術でもある。その真髄は、「おいしく点てて、おいしく召し上がっていただく」ということに尽きる。

▼このお茶の歴史の中で、昔から不思議に思っていたことがある。なぜ、時の権力者・豊臣秀吉が、千利休に腹を切らせたのか、ということだ。

▼一般には、秀吉の豪華絢爛な茶の湯の世界と、利休が到達した侘び茶の世界が相容れなかったとか、利休が秀吉を見下し、ないがしろにしたため秀吉の不興を買ったからとか、諸説ある。が、どれもとってつけたような理由にしか思えない。

▼もともと、秀吉の非公式の家臣になっていた利休は、茶湯頭として諸大名と秀吉との「つなぎ」に一役買っていた。秀吉自身が大名たちに、「公儀のことは、利休に聞け」と言っていたくらい、信頼が厚かったのは事実である。

▼それが、どうしたことか、豹変して腹を切らせたわけだ。堺の利権で秀吉と折り合いが悪かったのか。娘を妾として差し出せといわれて断ったからか。大徳寺の山門に自分の彫像を掲げさせ、秀吉が下を通ることで、権勢をこれみよがしにしたからか。さまざまな推測がだされているが、どれもいまいちピンとこない。

▼結局のところ、なんらかの権力闘争だったのではないか。茶湯頭として優れた政治力を発揮した利休は、秀吉の甥である秀次を評価していた。朝鮮出兵にも反対していた。こうしたことと、秀吉の権力への執着とが、どこかで衝突したのかもしれない。思えば、明智光秀、千利休、豊臣秀次と秀吉に殺された三人は共通して、個人的な恨みや罪で、悲惨な最期を遂げたことになっている。要するに、秀吉が自分に取って代わる者、自分を追い落とす者に対して、仮借ない仕打ちをするということだったのかもしれない。

▼実際、利休は、相当な豪の者だったようだ。秀吉の子飼いだった福島正則(ふくしま まさのり)は、その直情径行や、乱暴な所作性格はつとに有名だった。常日頃、友人の細川忠興(ほそかわ ただおき)が利休を慕っていることを疑問に思い、その後忠興に誘われ利休の茶会に参加した。茶会が終わると正則は、「わしは今までいかなる強敵に向かっても怯んだことはなかったが、利休と立ち向かっているとどうも臆したように覚えた」とすっかり利休に感服していたそうだ。福島正則でさえ臆したというのだから、その存在感たるや相当のものだったに違いない。

▼ただ、ここで書きたいのは、こうした歴史の謎のことではない。秀吉と利休の茶の世界観の違いについてである。秀吉は先述のように、絢爛豪華を好んだ。茶室も、有名な金箔張りだ。利休の侘び茶とはまったく相容れない。両者にこの点で確執があったかどうか、それほど致命的な確執だったかは分からない。個人的には、この違いが問題だったとは到底思えないのだが。

▼世界観というものは、違って当たり前。しかし、巷間伝えられる秀吉の金拍好き、絢爛豪華好きというのも、この茶室に関しては、ちょっと違うのではないか、と思う点がある。

▼ずいぶん以前のことだが、夜も開門している京都の某寺で、観覧する機会を得たことがある。夜の寺は暗い。堂内もあちこちに闇が広がっている。そして本堂に足を踏み入れたとき、現在に至るまでも、これほどの異界を感じたことはないというくらいの衝撃を受けた。

▼わずかな蝋燭(ろうそく)の炎に照らされた本尊はじめ、黄金の仏像たちのその荘厳さ、幽玄さというものは筆舌に尽くしがたいものがあった。ゆれる灯りで、仏像たちは表情さえ変える。あれは黄金であるからこそ、圧倒的な神秘性を放つことができるはずだ、と思った。

▼個人的な感想に過ぎないのだが、仏像がなぜ黄金なのか、それがそのとき分かったような気がしたのだ。読者の皆様もぜひ一度、ご自宅に仏壇がある場合、それも黄金色にしつらえてある場合は、蝋燭の灯りだけでご覧になってみていただきたい。小さな仏像でも、おそらく圧倒される崇高さが部屋中に広がる思いをするはずだ。

▼その経験からすると、秀吉の茶室も、夜が本番だったのではないだろうかと思ったのだ。黄金の茶室は、昼間見れば悪趣味以外の何ものでもなくても、夜の静寂(しじま)の中であったなら、蝋燭のわずかな灯りにゆらめく、幽玄さの極地が演出されたのではないか、と想像する。

▼私は、昔から今まで、秀吉という人物をどうしても好きになれない。英傑であることは認めるが、好きではないものは仕方がない。しかし、この夜の寺での経験によって、秀吉という人間の美意識(一般的には成金趣味とされた)を、少しばかり、理解ができたような気がする。おそらく、利休は秀吉の美意識を蔑視するようなことはなかったろう。両者の確執は、もっとずっと生々しい現実世界での話だったに違いない。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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