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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第168回 続・東と西(後編)

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【閑話休題】第168回 続・東と西(後編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-11-01 18:30:00]

【閑話休題】第168回 続・東と西(後編)


▼ブリをきっかけに日本東西の違いを比べているわけだが、年末の天然ブリにしても京都の魚屋では頭を上にして縦に並べ、東京では頭を左にして横に並べるのが一般的である。しかし、際立っているのは「日常の食習慣の違い」と、正月の「伝統行事の違い」である。伝統行事は昔の習慣を再現することだから、当然、東西の差が顕著になる。

▼問題は日常の食習慣である。食生活は保守的だというのが、一番受け入れやすい回答になっている。だが実は違う。「食は思想」なのだ。関西のウナギは「腹開き」で蒸さずに焼く。関東は切腹を連想させる腹開きを武士が嫌ったと言われ、「背開き」で蒸してから焼く。すき焼も関西は肉を鍋で焼くが、関東は肉を煮る牛鍋に近い。これら食文化の違いは、現代でも東日本と西日本の間に、思考方法や精神風土の違いが存在していることを意味する。

▼聖徳太子は“厩戸(うまやど)皇子”と言われ、醍醐天皇の「醍醐」は乳製品を、蘇我氏の「蘇」は練乳を表す。現在でも、西日本に律令制を持ち込んだ人々は、家畜に依存した生活をしていたのではないか思わせる現象が多い。例えば、西日本の牛肉消費量は現在でも際立って高いのに対して、納豆の消費は東日本のほうが圧倒的に多い。ただし、家計調査で見る食の傾向は非常に保守的で、20~30年程度ではほとんど変化しない。

▼関西は食パンの消費が多く、関東は調理パンの消費が目立つ。特に、兵庫の朝食はパンが多い。奈良の朝粥(かゆ)は有名である。朝が忙しい昔の商家では夕方に飯を炊き、丁稚たちの朝食は前夜の飯で作る粥で済ませたという。この「朝に飯を炊かない」習慣がそのまま残り、兵庫は貿易港の関係で粥が食パンに変わったのである。これは、関西が商業活動の風土や気風を色濃く残したことを示している。

▼東日本で納豆と調理パンの消費量が高いのは、東日本には「朝に飯を炊き、昼は田畑にむすびを持参」という農耕型生活のスタイルが、現在でもそのまま残っているからだろう。納豆は炊き立ての朝飯に合うし、調理パンはその昔、昼に野良で食ったむすびの現代版だと言えなくもない。

▼こうした違いは食に始まり、さまざまな行動様式、そして先述した「思想」の違いにも発展する。たとえば、電鉄事業のあり方一つとっても、およそ「違う」としか言えない東西の差が、随所に垣間見られる。

▼原武史著の『鉄学概論』によると、その違いは相当なものだ。象徴的なのは「官に対立」する阪急と、「官に依存」する東急の違いだという。東急の渋谷ばかりか、西武や東武の池袋、小田急や京王の新宿、京急の品川、相鉄の横浜などのターミナルも、既存の旧国鉄駅に従属するような構造になっている。しかし、関西の私鉄を見ると、旧国鉄駅からは独立した駅舎の構造を堅持している。

▼関西の私鉄では、車内アナウンスの乗り換え案内を聞いても、旧国鉄であるJRを強く意識していることがよく分かる。大阪、宝塚、三宮は、阪急もJRも通っているが、阪急はJRへの乗り換えを案内しない。三宮では、阪神、地下鉄、ポートライナーの案内はするが、JRに触れることはない。梅田では、「次は終点、大阪梅田」としか言わないという。関東ではこんなことは考えられまい。

▼反骨精神が旺盛な関西の電鉄と、国家主義的な関東の電鉄の違いというと大げさかもしれないが、ことほどさように東西の違いというものは如実に存在する。駅などのエスカレーターで、歩かない人が右に立つか左に立つかは、岐阜県の大垣あたりが分水嶺となっていると言われる。

▼こうしてみると、日本人はやはり同じではない。まったく違う人間が住んでいると考えたほうが現実に近いだろう。この小さな小さな国で、これだけの違いがあるというのも、世界的には珍しいのではないだろうか。だが、この違いこそ、実は文化の豊かさの証明にほかならないのだ。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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