忍者ブログ

増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第184回・ウリナリズム(前編)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

【閑話休題】第184回・ウリナリズム(前編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-11-26 18:45:00]

【閑話休題】第184回・ウリナリズム(前編)


▼またまた韓国のことだ。読者も辟易とされるだろうが、なにしろお隣の国のことだ。多少は書く機会が多くともご容赦。加えて、在日の方々もおられるかもしれないが、どうか気を悪くしないでいただきたい。このところ、いささかお隣の国の言動が目に余るだけに、黙って見過ごすことができそうにないのだ。

▼どうも韓国人は、どっちが上でどっちが下かということを、気にしすぎる。対等という概念が希薄なのだろうか。とくに対日本人になると、何がなんでも上であり、先でないと気がすまないらしい。ウリナリズム(韓国こそが世界で一番秀でており、なんでも韓国起源に結び付ける性向)の風潮に対して、最近は韓国内部でも警鐘を鳴らす人も現れてきているが、まだまだ少数派のようだ。

▼根本的に、韓国人の優越志向というものが極端に現れるのが対日である。これは、長く指摘されてきたことだが、「小中華思想」が前提になっていると言われる。とりわけ、この世界観から言えば、日本は何がなんでも韓国よりは劣等でなければならない、という頑迷な世界観を生み出している。

▼この独特の世界観に対して、そぐわない事実が出てきた場合に、彼らは身をよじるような苦痛を感じてしまうのだろう。たとえば唐辛子だ。韓国人は、韓国から日本に伝播したと信じているようだ。キムチがあるから、そう思いたいのも分かる。が、事実は日本から伝播したのだ。

▼1613年の朝鮮文禄『芝峰縲絏』には、「倭国から来た南蛮椒(唐辛子)には強い毒が有る」と書かれている。1614年の『芝峰類説』では、「南蛮椒には大毒があり、倭国から初めて来たので、俗に倭芥子(倭辛子)というが、近ごろこれを植えているのを見かける」と記されており、イ・ソンウ(李盛雨)が『高麗以前の韓国食生活史研究』( 1978年)にて日本からの伝来説を示した。

▼伝来理由としては豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに武器(目潰しや毒薬)、または血流増進作用による凍傷予防薬として、日本からの兵(加藤清正)が持ち込んだのではないかとも言われている。韓国人が忌み嫌う豊臣秀吉の出兵がきっかけだけに、どうしても唐辛子がそのとき韓国に入ってきたという事実は認めたくない気持ちが強いのだろう。もともと唐辛子は熱帯原産だけに、ポルトガル船によって日本にもたらされたのが最初である。

▼実は、1460年に発刊された『食療纂要』にチョジャン(椒醤)という単語があり、それがコチュジャンを意味するもので、日本伝来の唐辛子とは違う韓国固有の唐辛子はすでにあったという説もある。しかし、その一方で、1670年の料理書『飲食知味方』に出てくる数多くのキムチにも、唐辛子を使用したものは一つも見られない。 韓国の食品に唐辛子を使用した記録が19世紀に少し出てくる程度であることから、その真偽はかなり疑わしい。またあったとしても、少なくとも今、彼らが多用している唐辛子ではない。つまり、朝鮮半島で唐辛子が全盛を極めたのは、たかだかこの百数十年あまりのこと、ということになる。

▼たかが唐辛子の話である。唐辛子が韓国から日本に伝播した、という話が仮に事実だったとしても、日本人なら「へえそうなんだ」といった程度で、それを受け入れるはずだ。ところが多くの韓国人は、それが出来ない。何がなんでも、唐辛子は韓国から日本に伝播したと言いたいのだ。どちらでもいいではないか。むしろ、伝播した唐辛子を使って、世界に冠たるキムチという漬物が韓国で花開いたことを、どうして誇りに思えないのか。大抵の日本人は、キムチが大好きだ。

(明日の「後編」に続く)

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




日刊チャート新聞のコンテンツは増田足のパソコン用ソフト、モバイル用アプリから閲覧可能です。

15日間無料お試しはこちらから
https://secure.masudaasi.com/landing/pre.html?mode=cs
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。