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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第185回・ウリナリズム(後編)

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【閑話休題】第185回・ウリナリズム(後編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-11-27 18:45:00]

【閑話休題】第185回・ウリナリズム(後編)


▼もっと凄い話がある。朝鮮半島の最古の歴史書は、1145年に書かれた『三国史記』だが(当時の日本は源平合戦から鎌倉時代)、これまた韓国では都合のいいところだけ事実だとし、都合の悪いことはすべて嘘だと平気でのたまう。

▼同書の伝承では、新羅建国に大功があった重臣に「瓠公(ここう)」という人物がいたことになっている。が、この瓠公が倭人(日本人)だと書かれているのだ。新羅初代王「赫居世居西干」の姓が「朴」と言うのだが、この「朴」と瓠公の「瓠」という字が同じ意味なので、瓠公が新羅初代王だという説もあるらしい。

▼同じ新羅で、四代目の王「脱解尼師今」も、倭の多婆那国の王の子だと書かれている。これはえらいことだ。それを認めたら、韓国は日本より「下」になってしまうではないか。なんとしてでも、古代日本は朝鮮半島の属国だったという無理な解釈をしようとしているので、新事実が出てきたとしても、都合が悪ければそれは闇に葬り去られる。

▼ところが、どうも古代日本が朝鮮に支配地域を持っていたという伝承は、事実かもしれないのだ。俗に言う「任那日本府(みまなにほんふ)」と呼ばれるものだが、これまで物証がなかったために、ただの伝説だとされていた。韓国人にとっては、笑って取り合わない戯言(たわごと)に等しい。ところが、その韓国で、前方後円墳が発掘されたのだ。ご存知のように、前方後円墳は、日本独自の墳墓形式である。韓国にあってはならないのだ。

▼現在、前方後円墳が集まる全羅南道を流れる榮山江流域は、墳丘形態と円筒埴輪などの外部施設、甕棺(かめかん)による独特な埋葬法や九州北部でも発掘されている鳥足文土器による副葬から、この地域は周囲とは異なる文化を持つ地域であったことが見受けられる。このことから、被葬者について、大和朝廷によって当地に派遣された官吏や軍人、大和朝廷に臣従した在地豪族、あるいは倭人系百済官僚であるとする見解や、いずれも倭国と縁のある東城王・武寧王に随伴した倭人有力者とする見解などが出ている。榮山江流域に倭人が住んでいたという説もある。

▼韓国では、古代文化は朝鮮半島から日本へ、一方的に移動したとする先入観が強い。日本人も案外そう思いがちだ。だから、前方後円墳を「里帰りによる逆輸入」などと考える研究者は徹底的に売国奴として糾弾されてきたが、こうした事実が出始めてしまうと、どうにもならない。さすがに韓国の考古学界でも、近年は前方後円墳を倭人の墳墓(ふんぼ)と認め、倭の軍事勢力が栄山江流域で活動していたという事実を認定した。その上で、百済に服属した倭系官僚がこの地を支配していたと、従来の観念から脱却しつつある韓国人学者も出てきているらしい。

▼朴天秀氏などは、韓国の前方後円墳が在地首長の墓を避けるように単発的に存在し、石室を赤く塗るものもあり、九州の古墳と共通点が多いことから、その被葬者は九州出身の豪族である可能性を提起している。また、当時の先進文化は韓国から日本に渡ったものであり、前方後円墳もその一つであるという認識が1980年代の韓国にはあった。しかし、それは間違いであり、韓国の前方後円墳は5世紀から6世紀に日本から韓国に伝わったものであると指摘している。

▼にもかかわらず、公式な発表では、話が捻じ曲げられた。韓国におけるこの複数の前方後円墳が発見された事実について、事態は次のように進展した経緯がある。

・韓国で前方後円墳が見つかった。
・内部調査をすることになり、日韓共同での調査チームが作られた。
・調査が進むうちに、日本の古墳より新しい物である可能性が高くなった。
・埋葬された人物が日本人である可能性が高くなった。
・韓国側調査団がこの事実の発表に待ったをかけた。
・韓国側が、「朝鮮の豪族に仕えていた日本人家臣の墓」として発表。
・内部調査及び発掘品の運び出しが終わり、元に戻される。

つまり、最終的には「なかったもの」として、埋め直してしまったのだ。開いた口がふさがらないとはこのことだろう。

▼実は韓国では、前方後円墳が見つかった時点で慌てふためき、どうしたものかと呻吟した結果、「前方後円墳の起源は朝鮮、日本に教えてやったのは朝鮮」としたかったのだろう。苦肉の策で、そういうシナリオを立てたのだ。ところが、調査するうちに日本のものより新しく、しかも日本人の墓らしい、ということが分かってきた。これはつまり、朝鮮を日本人が支配していたということの証明になりかねない。墳墓というのは、その地の支配者しか造れないからだ。そんなことを発表したら、韓国では大問題になる。韓国にとって歴史研究と言うのは、事実の検証ではない。国威発揚のための裏付けでしかない(この点中国も同じである)ので、韓国に都合の良いことしか発表できないのだ。

▼しかし、日韓合同調査チームを作ってしまった以上、発表しないわけにはいかない。そこで日本調査チームに発表しないでくれと頼み込み、先に韓国側に都合の良い仮説を発表したというわけだ。そして、何食わぬ顔で調査終了とし、埋め直してしまった。さすがに学者の良心がとがめたのか、破壊はしなかったのだが。

▼韓国側の解釈は、「日本人の家臣がよく働いたので、朝鮮の豪族が褒美に日本式の墓を作らせてやった」というものだが、これは無茶すぎて笑える。一基だけ出土したのなら、無理してそう考えなくもない。が、その後の調査で韓国には、まだまだ前方後円墳があることが判明している。

▼そうなると、韓国側の解釈で言えば、墳墓を造ってもらえる特別重要レベルの日本人家臣がやたらといたことになってしまうわけで、そんな説が通るわけもない。韓国歴史学界は、この問題で頭を抱えているらしい。そもそも、家臣レベルの人間の墓として、述べ労働人員10万人とも言われる大事業の前方後円墳を、果たして造るものであろうか。明らかに、支配的な地位、王族などの墳墓以外には考えられまい。

▼唐辛子然り、前方後円墳然り。いいではないか、歴史的事実は事実だ。肝心なのは、それで今、自分たちはどうなのか、ということのほうだ。日本人は、歴史観においては、まじめな人ほど自虐的に過ぎるが、一方韓国人は、自大主義に過ぎる。韓国に黒船が来航した1845年(英軍)、1846年(仏軍)まで遡り、そこから日韓併合の1910年に至る、彼ら自身の空白の60余年というものを、まず率直に振り返り、何が問題だったのかを真摯に検証することが必要だろう。過去の事実にまともに向き合えない文化に、けっして明日は来ない。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄


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