【日刊チャート新聞記事紹介】
[記事配信時刻:2013-11-28 18:45:00]
【閑話休題】第186回・暦(こよみ)の話~七曜と九曜、そして六曜
▼「あらまあ、こんなところで」と、ひょんな所で意外な人に遭遇することがある。瑣末(さまつ)なことでも、お互いの共通点に気づくと、妙に親しみを覚えてしまうことがある。それが予想しなかった時と場所であれば、なおさらだ。
▼日本人が初めて「西洋暦」に接したのは、ポルトガル人が種子島に漂着した1543年と言われる。西洋暦は、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年とした紀年法で、いま私たちが日常使っているものだ。その数年後、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが来日し、キリスト教の日曜礼拝などで「七曜暦」が使われる。これは、「日・月・火・水・木・金・土・」のことだ。
▼七曜(しちよう)とは、火星・水星・木星・金星・土星と、太陽・月(陰陽)を合わせた7つの天体のことである。「七曜星」とも言う。ちなみに、火星・水星・木星・金星・土星の5つの惑星は、「五行思想(五行説とも言う)」に対応している。五行思想とは、古代中国を源(みなもと)とする自然哲学の思想で、「万物は木・火・土・金・水」の5種類の元素からなるという説である。
▼また占星術では、「九曜(くよう)」というのもあるが、これは、七曜に日食に関係する「羅府(らふ)」、「計都(けいと)」を加えて、九曜としているものだ。ところが、日本にはすでに古来(平安時代)から七曜があり、西洋の曜日とすべて一致した。日本人はこれにびっくりしたが、同じく西洋人も驚愕した。ザビエルにしてみれば、これぞ「神の引き合わせ」と思ったに違いない。
▼日本の七曜は、もともと806年に遣唐使だった空海が、長安から密教経典とともに持ち帰ったのが由来だそうだ。当時の長安は多様な人種や宗教が混在し、ローマ帝国から逃れてきたキリスト教ネストリウス派で使われた七曜が、仏教経典にも影響したようだ。その後、七曜は中国では廃れた。しかし、日本では占星術に関連して使われ続け、740年後に西洋文化の七曜と再会したのだ。まさに、七曜は時空を超えて地球を東西に半周し、日本で再び出会ったことになる。
▼ところで、「暦(こよみ)」には、「六曜(ろくよう)」というのもある。これは、「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」の6種類の暦注(れきちゅう)のことだ。暦注とは、暦に記載される日時や方位などの吉凶、その日の運勢などのことで冠婚葬祭などの時には気にする人が多いが、これは明治以降、七曜との混同を避けるために用いられた名称らしい。
▼この六曜は、鎌倉時代から室町時代かけて中国から入ってきたようだが、民間に浸透して実用されるようになったのは、明治以降のことだ。当初、「吉凶付きの暦注は迷信である」として政府に禁止されたが、六曜だけは迷信の類ではないとされて記載が認められた経緯がある。このような紆余曲折を経て生き残った六曜は、太平洋戦争後爆発的に流行し、あたかもそれなりの“神秘性”があるかのような感覚で、日本人の生活に定着したのである。
▼どうも明治時代には、勝負事、賭博などで「縁起を担ぐ」ことから、好んで用いられていたのではないか、と言われている。仏滅や友引など、なんとなく仏事とかかわりあいがありそうな言葉が多く使われているので、そうなのかなと思いきや、実は仏教とは一切関係がない。まったくの「当て字」だそうだ。確かに、本来仏教とは、因果関係によって物事が決まるという哲学であるから、六曜そのものが直接原因となって物事を左右したり、影響を及ぼすということは、仏教的な考えからするとあり得ない。
▼しかし、まあそう堅いことを言わず、これを「迷信」というのであれば、迷信として大事にしていけばよいのではないか、と思ったりもする。なんでも「1+1=2」なら、世の中こんなつまらないことはない。時には「1+1=5」だって、いいではないか。へそ曲がりは、そう思う。
増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄
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