【日刊チャート新聞記事紹介】
[記事配信時刻:2013-12-30 18:00:00]
【閑話休題】第207回・一年の終わりに
▼毎月の月末の日を「晦日(みそか)」と言う。年末だけはその日を「大晦日」と呼ぶ。別の呼び方では、「つごもり」と呼び、大晦日は「おおつもごり」とも言われる。
▼さて、大晦日には「年越し蕎麦」を食すが、これは江戸時代からの風習。江戸時代の金細工職人が、仕事で飛び散った金粉を集めるのに、そば粉で作った団子を使用していたので、大晦日にそばを食べると、金運に恵まれるという言い伝えがある。
▼つまり、最初は今日のような蕎麦ではなかったのだ。蕎麦を使った団子だったことになる。実際、団子から、次第に蕎麦切りを食べるようにと変わっていったらしい。
▼年越し蕎麦と切っても切れないのが、除夜の鐘。108あると言われている人間の煩悩を打ち消すために、全国津々浦々のお寺でつかれる。31日に107回打ち、歳が明けて、最後の1回を打つ慣わしがあるようだが、年越し蕎麦は、日が変わる前に食べ終わらなければならない。持ち越してはいけないものらしい。
▼ところで、大晦日には徹夜をする人が多い。戦後は、テレビ番組を見るため、などという人が多かったと思われるが、実は昔から大晦日には、徹夜をするしきたりがあった。なぜ徹夜をしなければいけないかと言えば、これには、とても大切な意味が込められている。
▼大晦日は古い年から新しい年に変わる、一年の境に当たる日なので、色々な物を、次の年に引き継がなければいけない。中でも、生活の必需品である「火」を絶やすわけにはいかないため、徹夜で火の番をしていたわけだ。もう一つはご先祖様が正月にお帰りになられるのに、寝ていたら失礼だと言う説もある。
▼この正月に欠かせないのが、お供えする「鏡餅」だ。この語源は、形が平たい円形で当時の手鏡に似ていることから名づけられたもの。12月28日の末広がりで幸福を意味する「八」の字の付く日にお供えされ、通常1月11日にこれを雑煮や汁粉にして食べる(鏡開き)。もともとこの鏡餅は、魂を意味したと言われる。歳神(としがみ)がやって来て宿る大切な依り代(よりしろ)だ。依り代とは、神霊が依り憑く(よりつく)対象物なのだが、それを食することで生気を新たにするわけだ。
▼お年玉はどうやら、中国の唐の時代( 712年から750年ごろ)に宮廷で始まったらしい。その後、庶民階級にも「圧歳銭」(ヤースイチェン)という習慣として広まったようだ。これは今の日本のお年玉と似たような習慣だから、おそらく間違いなくこれが起源だろう。現在の中国でも、お年玉は「紅包」(ホンバオ)と呼ばれるものがちゃんとある。韓国にも似たような風習があると言われる。
▼ただ、日本のお年玉と中国のそれとは決定的に違う点がある。それは先の鏡餅との関連だ。中国の紅包は文字通り、お小遣いの意味で、年齢にも関係がなく、ご祝儀的な意味合いが強い。対して、日本のそれはもっと奥が深い。
▼日本で「おとしだま」と呼ぶ、この「たま」とは「魂」、つまり霊魂のことである。そもそも、このお供えの精神は、各家々の先祖霊や歳神を迎えるための、「御魂祭(みたままつり)」に由来している。鏡餅を切り割りして、家族みんなで分けて食するのだ。それがいつのまにか、現金になり替わってしまったのだが、本来の意味は、きわめて宗教的な儀式に関係した言葉だということが分かる。
▼さて、ここで鏡餅とお年玉の話が融合する。もし、餅が魂なら(実際、由来はそうなのだ)間違いなく、鏡とは魂を映す鏡という意味のはずだ。どこの神社でも、鏡が祀(まつ)られているのをご存知だろう。鏡が御神体の場合もあるが、普通はそうではない。神の霊(先祖の霊)を映し出してくれるものが、鏡である。だから、鏡を祀るのだ。それに寄って来たものが、餅に宿る。そのパワーを食して、一年の振り出しとしたのである。
▼こちらは、まったく気にかけていなくとも、「彼ら」はちゃんとやって来ているのだ。墓参りも大事かもしれないが、何より彼らのことを忘れない、そして“感謝する”ことに意味がある。
▼この一年、皆様にはどのような意味があった一年だろう。私の年齢になってくると焦りを覚えるほど、あっという間に時が過ぎるようになる。二十代の頃には永遠と思えた時間が、限りあるものだと思い知るこの頃だ。過ちもある。失敗もある。だが、それはそれでいい、と思う。
▼アメリカの有名なプロボクシングチャンピオンに、記者がこう問いかけた。
「なぜ、あなたはそんなに強いのか」
「さんざん負けたからさ」
▼やがて始まる一年。ただ悔いのない一年を過ごせたらと思う。皆様にも、そのような充実した一年でありますように。
▼一年の終わりに、何か来年に向けて、気の利いた言葉がないかと考えたが、これといったものが浮かばない。そこで、ふと浮かんだものがある。それを使うことにしよう。
▼1961年、「アルバトロス号」遭難事件というものがあった。ホワイト・スコール(ダウン・バーストとも呼ぶ)によって不運にも帆船が遭難、乗組員19名のうち6名の犠牲者を出した事件である。これは『白い嵐』という米国映画にもなっているが、生還者たちの回想が基になった原作がある。
▼この原作は、非行や引きこもりなどの問題を抱えたアメリカの少年たち10人と、9人の教師や船乗りたちが、洋上訓練を通して心を通じ合う実話だ。ガラパゴスからカリブ海に至るまで、南米を周回する行程だった。その帰途、フロリダまで目と鼻の先、バミューダ海域でホワイト・スコールに遭い、遭難する。
▼ホワイト・スコールは、未だによく解明されていない。バミューダ海域では古来、船舶や飛行機が、突如として行方不明になっており、「魔の三角海域」とも呼ばれているが、相当数がこのホワイト・スコールによる事故ではないかと言われている。このアルバトロス号事件のときも、フロリダの観測所では、嵐のようなものは一切記録されていない。
▼いずれにせよ、この航海の前には、いがみ合い、ぶつかり合い、バラバラだった19人が、最後に一つになった。航海は、悲劇に終わったが、犠牲となった6人も含めて、航海の真の目的は達成されたのだ。アルバトロス号の舷側に刻まれていた標語がある。
We go one,
We go all.
私たちは、一つになれる。
やれば、きっとできる。
* * * *
良いお年を。
増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄
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