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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第216回・囲碁の世界

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【閑話休題】第216回・囲碁の世界

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-01-17 18:45:00]

【閑話休題】第216回・囲碁の世界


▼囲碁はその頭脳戦のイメージから、理詰めでものを考える人のほうが有利なように見える。実際、欧米では数学・物理を専門にした人や、コンピュータ・プログラマーなどに囲碁高段者が目立つようだ。理系の頭脳を持った人のほうが碁の才能がありそう、と考えるのはごく自然かもれしれない。ところが、日本では昔から文壇に碁の強い人が多くいた。

▼そもそも日本では、枕草子や源氏物語にも囲碁の場面がよく登場する。ある人の研究によると、その文章表現から推測して、清少納言や紫式部は少なくとも現在の初段以上の棋力はあったらしいという。また、江戸時代に碁の強い人と言えば、「坊さん」と相場が決まっていた。

▼古代女流文学と囲碁。そして、仏教と囲碁。囲碁は、もしかすると感覚的な要素が強いゲームかもしれない。頭脳戦だという先入観で入門すると、最初はとまどうかもしれないのだ。理屈で考えようとすればするほど、分らなくなってしまう。そして挫折する。

▼それは、碁が打てるようになるためには、図形的なパターン認識に慣れることが重要だということに気づかないからだと、プロは言う。言ってみれば、超初心者の段階では、まず「ひと目でアタリがわかる」ということが上達のポイントになるらしい。次の段階は、基本の定石が、やはり考える以前に、ひと目で「見えるようになっていく」ことなのだそうだ。

▼つまり論理的に考える(左脳の機能)よりも、視覚的にとらえる(右脳の機能)ことのほうが圧倒的に大事だということになる。極論をいえば、中級レベルまでは考える人ほど上達が遅れる、ということになりそうだ。

▼年齢が高くなってから入門した人ほど、碁を理屈で考えようとする傾向がある。入門・初級段階にある方は、「碁は8割以上が右脳を使い、左脳(論理)を使うのは2割以下」だということを肝に銘じるべきなのかもしれない。要するに直感が大事だということだ。

▼碁はパターン認識であり、感覚的な要素が強いといっても、要所、要所では形勢判断と、それに基づく戦略、戦術が必要になってくる。碁の理論や勝負勘のようなものが生きてくるわけだ。

▼碁を戦略的に考えられるようになるのは、アマチュアの三~四段になってからのこと。それまでは、「ああ来たらこう打つ」といった部分的な読みの力と、勝負勘がものをいうらしい。

▼勝負勘は持って生まれた才能のように思われがちだが、囲碁以外のゲームでも養える。さまざまな賭博性の高いゲームに慣れ親しんでいる人は、囲碁も初段近くまではすぐに到達できるようだ。その意味で、俗に勝負事の好きな性格の人は、囲碁も強くなる資質があると言えるだろう。

▼プロはどんなに穏やかな性格の人でも、芯は負けず嫌いだ。負けず嫌いでなければ強くなれない。負けた悔しさの度合いが強い人は、局後の敗因分析を熱心にやり、またその後の勉強に集中力を発揮する。逆に、負けても何も感じない人には、進歩はゆっくりとしか訪れない。

▼それでは、負けず嫌いの人は皆、碁が強くなれるのだろうか。残念ながら囲碁や将棋の場合は、「逆も真なり」というわけにはいかない。むしろ、上達を妨げる場合がある。資質が裏目に出て、上達が遅れたり、挫折したりすることがるのだ。

▼モノの本によると、次のような人は強くならないとなっている。私にはよく分からないが、ひとまず紹介しておこう。

・人を避け、パソコン対局ソフトを相手にする。
・目先の勝敗にこだわりすぎる。
・仲間よりも上達が遅いので、悔しくて碁から遠ざかる。
・置碁(ハンデ付ける)をさせてくれるような相手を避ける(強い相手と積極的に対戦すべきだ、という意味らしい)。
・人に教えられるのが嫌い。

▼定石は、ある程度上達してきてから有効性が発揮されるが、これは居合いのような武術などと同様に「型」が重要になる。定石に固執するとろくなことはないが、定石や型を身に付けることで、自然に即時対応ができるようになる。定石や型通りに戦いが行なわれることはほとんどない。しかし、それらを身に付いていれば、自然と変化に応じた上手(うわて)を打つことができるのだ。「定石は覚えて忘れよ」は、いわば鉄則なのであろう。

▼だから、定石についてプロに尋ねると、「覚える必要がない」という答えが多いようだ。武宮正樹九段などは、自分が定石を知らないことを自慢するがごとく語ったことがある。小林覚九段も解説会で、「僕は定石をあまり知らないので……」などとのたまう。

▼彼らは、憶えたての定石がもたらす先入観が、勝負を邪魔するマイナス面について言っているのであろう。だが、定石や型が本当に身についていれば、先入観にはなり得ない。白紙の状態で(無心で)盤面全体を見つめて考えよ、常識を疑え、ということだろう。

▼いやはや、勝負事というのは調べてみればみるほど、「投資の極意」に近いようだ。かくいう私は、勝負事にまるで弱い。ジャンケンでさえ苦手だし、ゲームというゲームも下手である。それが投資の世界の事柄について、偉そうなことを書いたり話したりしているのだから、恐れ入る次第。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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