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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第222回・革命前に回帰する中国

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【閑話休題】第222回・革命前に回帰する中国

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-01-27 18:45:00]

【閑話休題】第222回・革命前に回帰する中国


▼私が半ば駐在状態で中国大陸で仕事をしていた頃は、ちょうど1980年台前半だから、経済開放まもなくの時分だ。その当時は、きっとこの国は偉大な成長を遂げると信じて仕事をしていたものだが、2000年以降、もはやその幻想は正直消え失せた。

▼そもそも、中国人くらい、共産主義に似合わない人々もない(ここでいう中国人というのは、漢民族のことを指している)。かつて中国には、軍人と役人になるのは「曲がった釘だけだ」という言い方があった。ちょっとたずなを緩めると、ふつうの国でも不正・腐敗が起こるのに、中国ではその規模が巨大なだけに、公人のいわば「軍閥化」に一段とギアリング効果を与えてしまうのだ。

▼かつて、毛沢東は中国人を評して、「皿の上に撒いた砂だ」と言った。皿を取ってしまったら、風次第で砂は勝手にあちこちに飛んでいってしまい、収拾がつかないということだ。もちろん砂は人民であり、皿は共産党という一党独裁体制のことを指す。

▼習近平国家主席が、このところ毛沢東主義への回帰を演出しているが、これもコントロール不能になってきている国家に対する危機感の現れとも言える。

▼為政者に同情するつもりはないのだが、確かに民族国家としての自浄作用を超えるその規模の大きさは、もはや制御不能なのではないか、とすら思える。誰がやっても、そうは簡単には収まらない。

▼「PM2.5」という数値が新聞紙上に踊るこの頃だが、大気汚染の深刻さと光景は、かつての北京ではとても考えられない。とくに北京でも北部は湿気が少ないから、晴天の日は抜けるような青空が、どこでも見られたものだ。

▼砂漠化が進んでいる国であるから、埃っぽいのは致し方ない。それでも以前は、ここかしこに残る胡同(フートン=路地)での暮らしも、貧しいながら清潔であった。人民解放軍は怖いが、常に正しかった。それがどうだろう。今では、全土が革命前の魔都上海に舞い戻りだ。あの偉大な革命は、いったいどこに行ってしまったのだ。

▼中国外交部は、米国大使館が発信しているPM2.5の数値を、「内政干渉」だと反発していた。ことほどさように自国に対して批判的なものは、すべて「内政干渉」として片付ける傾向が、ますます強まっている。いやなリスクの兆候を感じてしまうのは私だけだろうか。

▼6年前に始まった土地の重金属汚染調査は、2年前に終了している。しかし、今でもその調査結果は国家機密になっているのだ。調査に参加した人は、秘密厳守の書類に署名することを要求されたという。それでも新聞報道のスッパ抜きなのか、それとも自前の調査による概算値なのかは分からないが、中国の1000万ヘクタールもの耕地は、重金属に汚染されていることが明らかになってきた。

▼華南の一部の都市では、50%の耕地がカドミウムや砒素、水銀に汚染されている。長江デルタ(上海市を中心とした長江河口の三角州地帯)でも同じで、10%の土壌がすでに生産力を失っていると述べている。そして、重金属によって汚染された土地で、毎年1200万トン以上の食糧を生産しており、それらはいったいどこに流れたのか、考えるだに背筋が寒くなる。

▼牛乳などは、とくに乳幼児向けなどになってくると、現地では中国製の安全性を母親が信じることができず、圧倒的に日本製のものが好まれているというが、無理もない。

▼不思議なことに、汚染水を地下に流すことで処罰された経営者は一人もいない。罰金さえも徴収されていない。すべて隠蔽され、不問に付されている。抗議運動は根こそぎ実力行使で鎮圧、解散させられる。

▼人民に毒を注ぎ込んでいるのは「エリート」であるというこの構図は、革命前とほぼ何も変わらない。そこにはどこに国でも見られる悪の循環が、過剰に醸成されている。政府は地方の有力者・軍閥(事実上、そう言っても過言ではないだろう)の納税を頼りにし、腐敗幹部はその賄賂を期待している。愛人も、地方の腐敗なしには手に入らないと揶揄(やゆ)されるほどだ。

▼地方の幹部は、GDPが高ければ出世ができる。大気汚染、食の安全などは、彼らの欲の前には色褪せる。汚染が進めば進むほどGDPは上昇し、幹部の評価も上がり、昇進に結びつく。汚染がひどくなるほど賄賂の額もうなぎのぼりとなり、海外に出している子弟の生活も潤う。つまり、汚染が悪化するほど、彼らは富貴・権力を手に入れることができ、汚染地帯にいる期間も短くて済む。

▼習近平政権は、先述のように毛沢東主義への回帰を示唆しながら、制御能力の奪回に努めている。だが、旧政権はじめ、政敵は割拠しており、それぞれが腐敗の構造と結びついているだけに、おそるべき権力闘争が繰り広げられている。文化大革命は権力闘争とはいえ、置き去りにされた者と、富貴を獲た者との戦いという側面があった。しかし、今回はそれだけではない。知るものと、知らされざる者という側面が加わっている。

▼中国と一言で言うが、漢民族の支那である。支那を蔑称というのは、日本人の先入観でしかない。それなら、CHINAはどうなるのだ。支那そのもののアルファベット読みではないか。実際、当時何人の中国人に聞いても、支那という言葉に、不快感は覚えないと口をそろえて言っていた。ただ、古名なので、ピンとは来ないとは言っていた。日本でいえば、大和という感覚であろう。

▼中国というそもそも存在しない世界を無理やり作ったのが、中華民国であり、中華人民共和国である。ソ連に似ている。少数民族を内包したその人工国家が、いったいここからどこへ進むのか、外国人のわれわれはもちろん、彼ら自身もまったく五里霧中なのだろう。切に、無血革命による現状打破が成就することを祈るばかりだ。暴動だけはまっぴらである。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




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