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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第226回・節分〜鬼とは何か

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【閑話休題】第226回・節分〜鬼とは何か

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-01-31 18:45:00]

【閑話休題】第226回・節分~鬼とは何か

▼相場の世界では、節分天井などという言葉が昔から格言としてあったが、近年は節分( 2月3日)から5月まで、米国の税還付金の好需給を背景として、むしろ上昇していくパターンが多い。格言というものは、説明不能な現象や事柄(アノマリー)であることが多いが、今年はどうだろうか。

▼さて、その節分だが、江戸時代以降は立春の前日を指すことが多くなったようだ。節が変わる月日の大晦日だから、実質的にはここがある意味、本当の年越しと言っても良い。ちょうど、大寒の最後の日だから、寒さもこの日がピークになる。

▼節分と鬼との関係で言えば、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じるということから、祓(はらい)の行事が多く執り行なわれるようになった。豆で鬼を封じる風習は、室町時代から始まったらしい。豆まきの掛け声とやり方には、地方によってかなりバリエーションがある。

▼後ろに撒くところもあるようだし、「鬼も内」と言うところもある。一般家庭では、お父さんが鬼の役をやって豆まきを盛り上げたりしているのだろうが、本来は家長である父親、あるいは年男が豆を撒いて鬼を追い払う。豆まきが大好きな子供たちでは、小学校5年生が年男・年女にあたる。

▼以前も書いたが、食習慣としての節分というのは、鰯(いわし)が絡んでくる。柊(ひいらぎ)の枝に鰯の頭を刺したものを、戸口に立てておいたりする習慣だ。こういうしきたりには特殊な食習慣がつきもので、恵方巻きなどもその一つである。

▼そもそも豆を炒るのは、鬼がその火の気を嫌がるからだとされているが、この鬼というのが問題だ。鬼とはいったい何者なのか。

▼鬼という漢字は、もともと「かみ」「もの」「しこ」などと読まれていたようだ。一定ではなかったのだ。鬼という字が入ってくる前に、何者かをそうした呼び方で呼んでいたわけだ。

▼後に「おに」と読まれるようになったわけだけれども、これは「隠れる」の「穏」から来ているという説がある。「おぬ」から転じたのが、「おに」だというわけだ。

▼鬼は夜の闇に紛れて、いわば空間の裂け目に出現する。自然現象、現実の社会問題、何でもよいのだが、すべて都合の悪いものは「鬼」や「きつね」のせいにしてきた日本の風土習慣がある。

▼もともとは「かみ」でもあった鬼だが、不都合な部分をすべて鬼に押し付けて話を片付ける智恵が、発達していったのだろう。そもそも、神は「いいもの」とばかりは言えない側面もあり、それゆえ畏怖されていたとも言える。それが鬼という言葉の登場によって、その恐ろしい側面を鬼がすべて引き受けた格好だろうか。

▼裏読みをすれば、鬼はこの世のものでないにしても、社会からはじき出され、極限に追い詰められた生身の人たちにしろ、人間的な絆の回復を求める哀切な祈りがこもった行事だという見方もできる。

▼さて、節分がそこまで来ている。この日以降、初めて吹く強い南風を「春一番」と呼ぶわけだが、黄砂やPM値が高くても、やはり待ち遠しいものだ。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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