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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第225回・魔の山

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【閑話休題】第225回・魔の山

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-01-30 18:45:00]

【閑話休題】第225回・魔の山


▼トーマス・マンの小説ではない。谷川岳のことを指して、そう書いた。谷川岳は人食い山とも、死の山とも評される。なにしろ、遭難死者の累計が、エベレストの178人を抜いて、800人近いというダントツのトップなのだ。

▼群馬・新潟の県境にあり、首都圏からも近いこの山は2000メートルにも満たない標高にもかかわらず、急峻な岸壁と複雑な地形に加え、中央分水嶺のために天候の変化も激しい。気軽さから経験未熟者にとっては、ともすると餌食になりやすい魔の山とも言える。しかも、谷川岳の遭難のほとんどは、一の倉沢で起きている。

▼山で死地となる場所は、往々にして決まっている。たとえば、富士登山などは、登山者数自体は富士吉田口(山梨側)が多いにもかかわらず、遭難件数は静岡側が山梨側の10倍近いのである。登山道の安全性や、登山者の技術的な練度などが理由ではないことは明らかだろう。しょせん、そのような条件は大同小異である。

▼強いて言えば、富士登山の場合は富士吉田口に山小屋が多く、小屋に救援を求めることができる。そのため、警察沙汰になる以前に解決されてしまう例が多いということは、容易に想像できる。

▼しかしそれでも、つきつめれば疑問は残る。富士宮口でも、吉田口ほどではないものの、山小屋は多いのだ。5合目から山頂まで、標高差1300メートルあまりの間に山小屋が9箇所あるのだ。十分すぎるくらいの数だと思うが、このように死地がほぼ決まっているという疑問は、なかなか解けない。

▼ここ数年の山岳遭難者のパターンを見ると、転倒が28%前後。滑落が11%前後。意外に多いのは、なんと発病である。だいたい16%前後が発病によるものだが、2011年までの5年間に限れば、発病による遭難者は全体の2割で、遭難原因の1~2位を占めている。

▼ということは、つまり行ってはいけない人が、山に登った結果命を落としているというケースが、ざっくり2割近くあり、この人たちさえ山に入っていなければ、遭難者数はそれだけ減っていたわけだ。

▼専門家(医師)によると、標高2450メートル(たとえば館山・室堂付近)では、気圧と空気中の酸素量が平地の約8割に下がる。酸素量が減ると、心拍数は多い人で2~3倍になり、最高血圧は200程度まで上がる。狭心症や不整脈などの持病を持つ人は、心臓に血液を送る冠状動脈の血流量が減り、発作を起こす危険が高まるという。

▼また、血糖降下剤を服用する糖尿病患者も注意が必要らしい。運動量の多い登山では、想像以上に血液中の糖分を消費するため低血糖に陥り、意識がもうろうとして昏睡したりすることがある。脳や肺に水がたまる脳浮腫や、肺水腫などの急性高山病を発症することもある。寝不足や風邪気味だと症状が悪化しやすく、ひどい場合には呼吸困難や神経麻痺に陥ることすらある。

▼谷川岳はそこまで標高があるわけではないが、持病を持っている登山者にとって、山と平地との差は思った以上に命取りになるインパクトかもしれない。ただ、これもあくまで遭難者数が減るかどうか、の問題であって、なぜそこでみな斃(たお)れるのかの説明にはなっていない。

▼「山の安全対策」というサイトにある問題集は、ある意味、とても示唆に富んだものが多いので、ちょっと引用してみよう。これは登山の話だが、おそらく演繹(えんえき)していけば、登山だけに限らないのではないかと思う。

●遭難者を救助しても喜ばれないのはどのような場合か?
●登山者にさまざまな注意やアドバイスをしても、あまり効果がないのはなぜか?
●危険を冒してまで、人はなぜ山登りを行うのか?
(危険であればあるほど近づきたがるのはなぜか?)
●遭難から生還した人が再び同じ場所へやって来て、本当に遭難してしまう例が多いのはなぜか?
(遭難者は現場に戻る)
●遭難してパートナーを失った人が、短期間に後を追うようにして遭難死する例が多いのはなぜか?
(後追い遭難)
●大きな課題を前にして、比較的やさしい場所で遭難する例が多いのはなぜか?
●連続した目標(七大陸、8000メートル峰、100名山など)のある人が遭難しやすいのはなぜか?
●新たな会に所属した直後に、事故が発生しやすいのはなぜか?
●一つの遭難現場で、過去の遭難者や別の遭難者を同時に発見する例が多いのはなぜか?
●立て続けに似たような遭難が発生するのはなぜか?
(遭難が遭難を呼ぶ)
●長期間の捜索にもかかわらず発見できなかった遭難者が、初めて現地を訪れた肉親によって発見される例が多いのはなぜか?
●登山者や周辺の者が事前に遭難をほのめかしたり、冗談を言ったりしたことが本当になるのはなぜか?
●二重・三重遭難や救助活動・講習会に伴う事故がわりと発生しやすいのはなぜか?
(大勢いるほど事故が発生しやすいのはなぜか?)
●パーティーの中でも、リーダーが比較的事故を起こしやすいのはなぜか?
●登りよりも、下山途中で事故が発生しやすいのはなぜか?
●遭難することがほぼ分かっていても、止められないのはなぜか?

▼上記に引用した設問の答えは一つではない。だが、これが山に限らず、多くの示唆を含んでいることは、一読すればよく分かる。

▼山は、日常のすぐ近くにある非日常の世界である。山岳登山は、私たちが日々の生活の中で遭遇する、さまざまな非日常の問題を克服したり、リスクを回避したりするためにも、多くの教訓を与えてくれる。

▼要するに、山の危険・リスクは山にあるのではなく、登山者自身の内にあるのだ。これは投資の世界についても、まったく同じことが言えるのではないだろうか。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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