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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第232回・遊びの生産性

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【閑話休題】第232回・遊びの生産性

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-02-10 15:54:00]

【閑話休題】第232回・遊びの生産性

▼わたしは、もともとゲームというものが嫌いだ。トランプや花札は、子供の頃によくやったが、以来、まったく興味は失せている。麻雀もそこそこだが、賭け麻雀になってしまうので、忌避してきた。というのは、賭博はパチンコも、競馬も競輪も一切やらないのだ。株だけでたくさんだ。(世の中、賭博も株も大好きという人がたくさんいるから、正直恐れ入る。そんな気合は到底無い。)

▼さて、ゲームだが、70年代のインベーダーゲーム以来、まったく食指が動くことはなかった。83年から外地に居住することが多く、最終的に93年に帰ってきて、早速パソコンを始めた。当時、インターネットが米国で盛り上がり始めており、世の中、ゲームという市場が膨張するのだろうな、と思い、テレビ用ゲームと、パソコン・ゲームの両方で、なにか実際にやってみないことには仕方がない、と思った。

▼当時はまだサラリーマン勤めをしていた時分なので、同僚の意見をよく聞いた。両方、やり比べてみようと思い立ち、PC用とTV用の両方で、カプコンの「バイオハザード」の一作目を購入したのだ。世の中、PCでゲームが広がるのか、TVで広がるのか見極めたかったのだが、これがいけなかった。PCかTVの比較など、そんな話はどこかへ行ってしまい、ただただゲームにハマってしまったのだ。完全に取り憑かれた。

▼あまり、あれもこれもといろいろなゲームに手を出すほうではなく、「バイオハザード」のほかは、コーエーの「信長の野望」だけである。それ以外は、ほぼ経験が無い。もともと自分は、かなり偏執的な性格だろう思っているが、ゲームでも偏りが相当でたようだ。

▼やがて、年齢的にかなり薹(とう)が立ってからは、バイオハザードの過激さがどうのこうのというよりも、だんだん遠のいていった。ロール・プレイングとはいいながら、けっきょくシューティング・ゲーム化したことで、反射神経やら「わざ」やらがやたらに要求されてしまうことに、だんだん嫌気が差してきたのだ。

▼疲れるのはもちろんだし、なかなか若い人たちのように、うまく操作できないのだ。コツがあるのだが、そのコツなどを練習したところで、「俺の人生に一体なんの意味があるのだ」と言いたくなる。ストレスがたまるばかりなので、このところとんとご無沙汰になってしまった。おそらくこのまま「バイオハザード」というゲーム世界は、わたしの中では静かにフェイドアウトしていくのかもしれない。

▼今、折に触れてやるとしたら、「信長の野望」だけである。これは、「わざ」も、反射神経も、何も関係ない。シミュレーション・ゲームであるから、じっくり考えながら、楽しんで遊ぶことができる。歴史オタクには、たまらないゲームだろう。

▼もちろん、戦国物であるから、軍を動かして合戦もするのだが、農業の育成や、鉄砲などの鍛冶工業、あるいは金山・銀山などの鉱業、そのほかさまざまな政策の選択、各城主の任命や他の大名など人間関係やら同盟・破約、内政ではキリシタン保護、伝馬制、法度などの政令発布、検地、本城と支城あるいは道路の整備など、およそ戦国時代という社会を動かしていたさまざまな要素が盛り込まれており、それらがみな有機的に一国の国力隆盛・衰退に影響してくるようプログラムされている。

▼すべて自分で選択していかなければならない。当然、謀反や一揆も発生するので、人心の掌握にも配慮していないといけない。合戦ともなれば、武将たちの持ち味と、軍馬や鉄砲の配備比率、要衝の確保、侵攻や防戦のための陽動など、かなりリアルなシミュレーションとなっている。

▼もともと、製作者の評価によるのだろうが、武田信玄や上杉謙信の点数が非常に高い(やや高評価しすぎる嫌いがある)。が、なにより、天下を取った信長でも、秀吉ではない、むしろ取れなかったほうの大名が面白い。大友宗麟や島津義久に自分がなり代わって天下を取るなど、歴史を書き換える作業は、アクション物のゲームより、ある意味遥かに爽快である。北海道・松前の蠣崎氏や、信州の小大名真田氏でスタートして、全国統一にこぎつけるのが醍醐味といえるが、それは、プレイヤーのシミュレーションがかなり上手いということだろう。

▼この、「歴史を書き換える」という作業は、意外に馬鹿にならない。というのも、明治の頃、日本にドイツ帝国から、戦術論の権威・メッケル少佐が陸軍大学教官としてやってきた。ドイツ参謀本部の、あの大モルトケ(ビスマルクの片腕)の推薦によるものだ。本人は、極東の野蛮国になんぞ行きたくない、といってゴネたらしいが、ヒンデンブルグ(後年のドイツ・ワイマール共和国の大統領になった)まで引っ張り出して、説得した結果、いやいや日本に軍学を教えにきたのだ。

▼この日清戦争前の話なのだが、ある時、1600年関が原合戦の東西両軍の布陣図を見せられ、「どっちが勝ったと思うか」と聞かれて、迷うことなく「西軍に決まっている」と答えた。歴史の事実は、もちろん東軍である。地形の利用、総動員兵力、基本的なパターンでは、どう考えても確かに西軍圧勝のはずだった。徳川家康が、石田三成に、なにをやっても勝てる可能性は無かったといえる。しかも、家康の背後は、上杉と真田が脅かしていた。

▼ところが、実際にはご存知のように東軍(家康)が諜略を駆使して奇蹟を起こした。西軍の主力・毛利隊の一部(吉川広家、南宮山麓に布陣)を裏切らせ、合戦が始まっても一向に動かず、その本隊(南宮山の山上に布陣)の移動ができないように釘付けにした。また、小早川隊をも裏切らせて、西軍の中央に内部崩壊を引き起こしたことで、完全に負けを勝ちに変えてしまったのである。

▼メッケルは、これを聞いて、以後の講義では、単なる図上演習のみならず、これに情報戦の項目を組み入れて重視した講座になっていったという。

▼およそ、ゲームというものには、「快感」以外に、生産性が無いことが特徴だと言われる。余戯であるから、当然生産性が無くてあたりまえ。遊びなのだ。ところが、ゲームを動かしている理論は、明らかに生産性につながるものもある。それが件のシミュレーションだ。

▼もともとシミュレーション・ゲームは、上記のような軍隊の机上演習から始まっている。それ自体に生産性は無いのだが、明らかにその経過と結果から、現実における戦闘遂行目的を成就するための鍵を得ようとしているわけだ。

▼1941年の真珠湾攻撃についても、海軍軍令部では、事前に何度も机上演習を行ったが、そのたびに失敗、敗退し、どうしても勝つことができなかった。この問題をひとつひとつ解決していった結果が、あの史上空前の機動部隊のみによる先制攻撃が成功を導いたのは言うまでもない。

▼そういう意味では、ソーシャル・ゲームで有名な「ぼくのレストラン」などのように、いろいろな料理を覚えたり、内装をデコレーションしたりと、ネット利用したゲームならではの社会性の向上に結びつく可能性のあるものも、少なくない。実際、企業内部における経営や営業ノウハウの訓練や判断能力の向上のために、すでにビジネス・ゲームとして取り入れられている部分がある。

▼普通ビジネスでは、体験型研修が知られている。ビジネス上の能力のブラッシュアップに、数十年前から日本でも行われてきた。一時有名になった「地獄の特訓」などもそうだろうが、基本的にはそこでなにか成果があるわけではなく(人間、そうも簡単に変われるものではない)、一番重要なのは「気づき」である。この「気づき」こそが、ビジネスであろうと、日常生活であろうと、人間の根本的な「動機」を沸き立たせるトリガー(引き金)にほかならない。

▼こうしてみると、普段馬鹿にしているゲームだが、ほとんどの時間は「惰性」の産物でしかないような気がするのだが、それでもほんのわずかにせよ、とんでもない「気づき」がそこにあるかもしれない。そう思うと、頭から否定するのも、気が引けてしまうこのごろだ。しかし、その「気づき」がテトリスやパズドラ、あるいはスーパーマリオで獲られるか、と言われると、わたしも正直頭を傾げてしまうかもしれないが。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


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