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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第253回・お彼岸

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【閑話休題】第253回・お彼岸

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-03-12 15:56:00]

【閑話休題】第253回・お彼岸

▼また、彼岸が近づいてきた。春と秋の年二回のお彼岸は、それぞれ春分の日と秋分の日を中日(ちゅうにち)にしている。中日を挟(はさ)んで、前後3日の7日間を指す。初日は、「彼岸の入(い)り」、最終日を、「彼岸明け」と称する。

▼ふつうお彼岸と言うと、春の彼岸を言うと思うが、秋は、「秋の彼岸・秋彼岸」と呼ぶ。「ぼた餅」は、牡丹餅だから春の彼岸。「おはぎ」は、お萩だから秋の彼岸というのは、衆知のうんちく。

▼言わずもがなだが、「彼岸」とは、サンスクリット語の「波羅密多(はらみった)」を漢訳した言葉だ。正確には、「到彼岸」の訳だ。煩悩と迷いの世界である「此岸(しがん)」は、われわれの世界のことだ。この此岸にある者が、六波羅密多の修行をすることで、悟りの世界、すなわち彼岸に到達することができるというもの。

▼此岸から、彼岸に到るための行が、六波羅密(多)ということになる。六とあるように、それぞれ布施、持戒、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(般若)の六つである。

▼ただ、これにも異説がある。仏教からこの彼岸という漢字が当てられたことは間違いないのだが、それ以前、つまり、仏教伝来以前に、「ひがん」という言葉があったかもしれないというのだ。

▼仏教伝来以前というと、日本は原始神道であった。きわめて単純明快な自然崇拝、あるいは先祖信仰にみちている世界だった。ちょうどこの時期、季節の変わり目に当たる時期に、お日様に豊作を祈る祭りが各地で行われていた。

▼なんと言っても、収穫の良し悪しは「お日様次第」。従って、春の耕作前、秋の収穫前に、お日様に豊作を祈るお願いをしたわけだが、これを「日に願う」として、「日願(ひがん)」と言った。この「音」が、たまたま仏教伝来によって、「彼岸」という波羅密多の漢訳語とリンクしたのではないだろうか、というのだ。

▼要するに、語呂合わせだ。もしこの仮説が正しければ、日本にもともとあった原始神道やアニミズム、シャーマニズムの宗教観というものが、その後伝来した仏教と、なんの矛盾もなく重層的に一体化していったことと、話が符号する。

▼春分、秋分という、昼と夜の長さが逆転するこの時を起点として、「生から死」、「死から生」へと流転し続ける霊魂の思想や先祖信仰に、見事なくらい仏教の輪廻転生や三世思想(過去世、現世、来世)が結びついたということになりそうだ。

▼日本の仏教というのは、本来のインドの上座仏教とは似て非なるものと言ってもいいくらい、独自の発展をしてきた。上記のように、土着のシャーマニズムや先祖信仰と融合し、神仏習合・混淆(こんこう)どころか、神仏同体に近い概念が非常に強い。仏教の行事として、彼岸に墓参をするというのは、実は日本だけである。

▼こうしてみると、やはり、明治以降、神社と寺が分離させられたのは、日本文化的には致命的な破壊行為だったとしか言いようがない。本来、社寺は一体であった。神も、ときに迷い、怒り、悲しむのだ。無理やり切り離されたあまた仏神の、深い異議申し立てが聞こえてきそうだ。

▼ちなみに、冒頭の「おはぎ」だが、春・秋の呼び名が違うのはともかくとして、夏・冬の呼び名も別にまたあるらしい。夏は「夜舟」、冬は「北の窓」と呼ぶのだそうだ。まず、聞いたことはないが、しょせん同じものなのだが、季節によって4つも呼び名が変わる。洒落好きな江戸っ子らしい、いかにも粋な命名をする。売れなくなった商品を、名前だけ変えて「新発売」するのとは、わけが違う。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


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