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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第252回・漢字の話

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【閑話休題】第252回・漢字の話

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-03-11 16:11:00]

【閑話休題】第252回・漢字の話

▼漢字というのは、とても便利だ。日本語というのは、漢字という表意文字と、平仮名・片仮名という表音文字の両方をつかっている。こういう民族も珍しい。

▼もともと朝鮮半島では、漢字とハングルと両建ての発想はあったのだが、自分でつくっておきながら、下等な文字だから、といって事実上廃棄されていたのだ。

▼ハングル一本槍だとあまりにも不便であるということから、今では多少漢字を使っているものの、おざなりに近い。北朝鮮に至っては、漢字は廃止している。要するに、中国文化に飲み込まれることへの危機感が、こうした極端な行動に走らせているようだ。

▼逆に、本場の中国では、漢字しか使っていない。ベトナムには、チュノムという補助文字があるのだが、これは基本的には漢字を解体して、再合成しているために、けっきょく漢字と同じである。ただ、意味だけでなく、音の要素も強いため、若干この観点からすると、日本の平仮名・片仮名の効用とダブっている。

▼いずれにしろ、完全な表意文字と、完全な表音文字を併用している民族は、日本にしか存在しない。この違いは、とてつもなく重大な違いだ。漢字は、イメージの世界である。読めなくとも、意味は通じるのだ。平仮名・片仮名は、ロジックの世界である。言葉をつなげて、単語や文章を組成しないと意味が通じないのだ。

▼つまり、日本人は、この言語作用においては、右脳と左脳と、両方を全開にしていることになる。中国人(表意文字のみ)も、欧米人(表音文字・アルファベットのみ)も、どちらかに極端に偏った言語作用を行っているのとでは、土台発想や認識、表現、ひいては思考回路も決定的な違いとなって現れる。

▼ところが、表意文字にしろ、表音文字にしろ、日本語そのものに習熟していないと、その言語活動は、どっちつかずの水準にとどまってしまい、とても幼稚になってしまう嫌いがある。中国人からは、想像力が希薄だとなめられ、欧米人からは論理的でない、とあなどられる。

▼しかし、日本語を習熟すると、想像力も、そして論理性もきわめて高くなり、しかも両用であるから、無敵に近い。実際、世界的に活躍する人たちの多くは、日本語が「達者」である。先述のベトナム人も、両用に近いと考えられるのだが、残念ながら現在は、すべてアルファベット表記に変わってしまっているので、言語作用に関しては欧米人とあまり変わらなくなってしまっているかもしれない。ベトナムも朝鮮半島と同じように、中国文化圏に呑み込まれることを、非常に警戒している心理が読み取れる。

▼この漢字というのは、実に難物だ。なにしろ面倒だ。極端な例を挙げてみよう。とんでもない字がある。ここには書けないので説明してみると、その字は日本で最大画数の字である。オトドとか、タイトとか、あるいはダイトと読むらしいのだが、なんと人の名前らしい。

▼総画数84のこの字は、国字(日本固有の漢字)である。どう書くかというと、まず森という字を思い浮かべてほしい、木が三つ、山の形に書き並べる。これと同じように、雲という字を三つ、山の形に書くのだ。それで終わりではない。その下に、また龍という字を三つ、同じように山の形に書くのだ。雲雲雲龍龍龍で、一つの漢字なのだ。どうだろう、書けただろうか。単純だが、勘弁してくれと言いたくなるような字だ。

▼中国にも、これと似たようなやたら画数の多い字というのがある。これはもう説明不能である。ビィアンという漢字なのだが、麺類の一種のことだそうだ。総画数はしかし、56だから上記の日本の84画には遠く及ばない。もっとも、古字でホウ・ビョウというなんと128画の漢字があったそうだが、(田を16個、回を8個、組み合わせて一字なのだ。)今は使われてないそうだ。

▼実に、迷惑きわまりない。一体誰がなんの目的でこんな字を作ったのか。とてもでは無いが、自然発生的にできたとは思えない。

▼余談だが、漢字というとどうも気になっていることがある。なぜ外人は、あの刺青に、まったく意味不明の漢字を彫ってしまうのであろうか。

▼知らないということなのだろうか。彫ったら消せないのだ。当然、事前に確認しているはずであろうに。笑ってしまうのは、「万が一」「教育」「麺」「金豚」などまだいいほうで、意味不明のものもある。「勉族」というのがあったりする。プロバスケット選手の右腕に彫ってあったのだ。「勉族」とは一体なんだろうか。

▼たとえば、「生活空気愛」、「泥棒差別」、「鬼畜米英」など、いずれも白人がしていた刺青だ。文章なども彫ったりしている。「変だけど美人」。実に奇妙だ。漢字なら、なんでもいいと思っているのだろうか。

▼まあ、「体を張ったギャグ」と言えば、それまでだが、本人どこまでわかってのことか、いささか心配になる。ときに、知らないとはいえ、気の毒になってしまうケースもある。たとえば、白人の可愛い5-6歳の女の子が、「私は淫売」というプリントTシャツを着ているのを見たことがある。

▼以前、映画「ハリー・ポッター」の主演男優ダニエル・ラドクリフが、来日。インタビューしたときに来ていたシャツの胸に、「TOKYOな」という、これまた意味不明の刺繍がしてあり、話題になったことがある。

▼漢字に限らないが、このようにわれわれから見たら、不可解きわまりない刺青やシャツの刺繍、プリントなどが氾濫している。

▼これを逆に考えると、けっこう恐ろしい。たとえば、日本人の小学生の男の子が「Too Drunk To Fuck(酔っ払って、デキない。)」というプリントTシャツを着ていたり、「Eat Acid See God(ラリって、神を見ようぜ)」だったり、とかなり危ない。

▼英語だから、ちょっとカッコいいと思ったりもするのだろう。しかし、まともにそれを着て、アメリカの街を歩く勇気はわたしにはない。日本人が、外人の変な漢字を見て眉をしかめることもあるように、彼らも当たり構わず英語がプリントしてあるTシャツなどを着ているのを見て、わたしたちの品格を疑ったり、哀れに思ったりしていることもあるのかもしれない。

▼確かに、ヒッピーという文化は、70年代以来、市民権を得ている。未だに、アメリカでは厳然としてその文化は根付いている。しかし、こうしたものを体に彫っている人たちや、着ている人がすべてヒッピー文化の礼賛者ではあるまいに。むろん、わたしたち日本においては、ヒッピーは、言葉自体がもはや死語と化している。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄



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