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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第251回・ラーメンの話

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【閑話休題】第251回・ラーメンの話

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-03-10 15:36:00]

【閑話休題】第251回・ラーメンの話

▼どうしてこうも日本人はラーメンが好きなのであろうか。国民食といっても良い。本場、と考えられがちの中国にいっても、およそ日本のラーメンのようなものは、存在しない。
中華風、であるかもしれないが、本場の中国の麺類とは似てもいなければ、当然中身もまったく違う。完全に別物だと考えてよい。

▼ラーメンを語るときに、不可避なのは、「カン水」である。カンの字は、乾のほか、わかっているだけでも、9種類あり、どれが正しいのか皆目見当もつかない。ただ、ラーメンという以上は、絶対に「カン水」が麺に含まれていなければならない。これは、法的にそうなっている。

▼カン水というのは、アルカリ塩水溶液のことだ。もともと、1700年前、モンゴルで偶然、カン水(塩湖のアルカリ塩水)を使った製麺技法が発明され、麺類の伝播とともに日本に広がったらしい。つまり、中国とはいっても、漢民族由来の食品ではなく、モンゴル発のものが、中国経由で入ってきたということにすぎない。正確には、「モンゴル麺」とか「蒙古麺」とか言わなければいけないのかもしれない。

▼ラーメンという表現も、諸説あるが、一般には、麺を引き伸ばす作業工程を指して、ラー(拉、北京語ではラーと発音する)麺と呼んだのではないか、とも言われる。ちなみに、中国で、ラーメンなどといっても、「麺を引き伸ばす(つくる)」という意味くらいでしか理解されない。ましてや食品のラーメンを想像する中国人は一人もいない。

▼また、このカン水を使った麺というのは、わたしが経験する限り、80年代の北京以北から東北地方、内蒙古などでは、まったく食した記憶がない。ほとんど、もろに小麦粉、あるいは米粉などを使った「うどん」のようなものとなにもかわらない麺だった(ちなみに、中国では、小麦粉以外を使ったものは、麺とは呼ばない。)。坦々麺などといっても、「細めのうどん」の坦々麺と言ったほうが近い。香港や広東など、南部も南部、相当の南部まで行けば、このカン水を使った極細麺を普通に食することができたように思う。

▼ちなみに、坦々麺だが、日本では「汁そば」だが、本来汁は無い。苦力(クーリー)など、重量物を背中にしょって運搬する労働者たちが、立ったまま、歩きながらでも食べることができるのが、坦々麺なのであるから(担うという字が使ってある通り)、汁があったら、坦々麺ではない。

▼カン水は、癌になるとか、体に悪いといったような俗説も、昔は流布していたが、誤解も多いし、大量に長期に摂取しなければ、問題ない。肉や魚、野菜に含まれる、さまざまな発癌性物質と、摂取頻度を考えたら、ラーメンのカン水が健康上問題にされる理由は、まったくないといっていいくらいのていどのものだ。

▼さて、そのラーメンだが、ご当地ラーメン、あるいは個人の趣向を凝らしたラーメンなど、歩けばそこにラーメン屋があるという、とんでもない乱立ぶりとなって久しい。各地には、ラーメン街を、わざわざしつらえているところもある。

▼しかし、どういうわけか「テレビも取材にキタ━(゚∀゚)━!」という触れ込みの、行列の店にいっても、「だからどうした」というていどでしかないのは、いったいどういうことなのだろうか。また、栄枯盛衰も激しく、どんどん新しい店が、さらに新しい店に取って変わられていく。やはり、ラーメンというのは、相当個人差があって、各自が一家言をもっており、おいそれと多数派の支持を持続的に得るのが難しい世界なのかもしれない。

▼わたしも例外でなく、ラーメンが好きだ。九州母体の企業に最初に就職したこともあって、小倉にしばらく棲んでいたことがある。現地採用の同僚たちと、昼に「ラーメンば食いにいこ」と言われ、とんこつ仕立てのラーメンを見て、びっくり仰天したのを今でも覚えているが、以来やみつきである。

▼面白いことに、後に、その現地の同僚が、初めて東京に出てくることがあったので、ラーメンを食べにいったが、東京の醤油仕立てのラーメンを見て、絶句していた。「おまえら、醤油飲むんか。」

▼東京で、小倉時代のとんこつラーメンを食べたいと思っても、都会的に洗練されているのかどうか知らないが、およそ本場とは大違いで、失望することが多い。東京で、とんこつラーメンを食べる気がしない。だいたいからして、臭くないとんこつラーメンなど、わたしには考えられない。

▼やはり、土地土地で、受け入れられ方というものがあるのだろう。未だに、よくわからないのが、札幌ラーメンという代物だ。父親の実家が北海道だったが、なにをもって札幌ラーメンというのか、よくわからない。現地の人間も、とくべつそういったコンセプトをもっていないのではないだろうか。よそ者が勝手に、そう呼んでいるだけの気がしてならない。

▼一応、調べてみると、どうやら、1954年頃、札幌の「味の三平」が味噌ラーメン発祥のルーツらしい。これがブームとなって、全国的な市民権を得るきっかけになったのが、67年開業の巨大チェーン店「どさん子」と、68年発売の「サッポロみそラーメン」だった。

▼面白いことに、「どさん子」の創業者は、札幌の味噌ラーメンを食べたことがなく、自分なりに北海道をイメージして、バターやコーンをいれて作ったのだそうだ。それがヒットしてしまったために、バターやコーンが入った味噌ラーメンが本場札幌のものと思われているらしい。

▼しかし、個人的な話で恐縮だが、北海道で食べるラーメンで、わたしが美味いと思ったものの多くは、どういうわけか塩ラーメンばかりであった。なにか、やはりわたしの味覚というのは、おかしいのだろうか。(もちろん、味噌ラーメンがまずいというのではない。)

▼近年では京都のラーメンがやたらと「のして」きているらしい。このラーメン戦争は大変だ。なにしろ、競争が激しすぎて、生き残るにはとてもではないが、並大抵の努力と運では無理だろう。

▼このラーメンの種別だが、「醤油」「塩」「味噌」ときて、「とんこつ」となるのだが、この「とんこつ」は実は、ダシであって、タレではない。ダシとタレを混同して、4種に大別されているのは、本来おかしい。だから、最近表示されている「塩とんこつ」とか、「醤油とんこつ」とかというのは、正しい。

▼さて、ラーメンの話になれば、当然具に話が及ぶ。問題なのは、「なると巻き」だろう。あれはいったいなんなのだ。おそらく、誰もが思う疑問だろう。なぜ、これがあるのか。由来は、定かではない。江戸時代後期の「五色巻」の、赤巻だけが独立して残ったという説もあるが、鳴門の渦潮から来ているというのも不思議だ。しかも、現在、全国消費量の9割は、静岡県焼津市で生産されている。

▼一般に、東京風ラーメンのトッピングには欠かせない存在だったが、最近次第に見なくなっている。なんでもない存在にもかかわらず、いざ無くなると、無性に恋しくなるこの人間の性(さが)。

▼そして、「メンマ」だ。台湾や中国原産の麻竹(まちく)という筍(たけのこ)を茹(ゆ)でた後に乳酸発酵させ、それを乾燥して細かく裁断し、日本に輸出されたものだった。

▼昭和21年に、外務省が「支那は中国の蔑称なので、使用は極力避けるように」という主張をし(この一つだけでも、東大出というのは、根本的には頭が悪いのではないか、と思ってしまう。東大出の人には、申し訳ないが。)、以来、「しなちく」という名前は無くなっていく。

▼昭和27年、丸松物産で、「しなちく」という名称に代わるものを、とみんなで頭をひねっていたところ、会長が「麺の上に乗せる麻竹だから、メンマでいこう」と突然言い出し、これが全国区で支持を得ていった。

▼わたしなどは、明らかな戦後生まれだが、両親が古い世代だからか、子供のころからひたすら「シナチク」である。未だにそうだ。メンマと言う人がいれば、ことさら「シナチク」と言うようにしている。こうなると意地だ。

▼前にも書いたが、支那は、中国の古名だ。日本を、大和(やまと)・敷島(しきしま)・秋津嶋(あきつしま)・瑞穂(みずほ)というのと同じ。この支那という歴史ある古称を、蔑称だと言う日本人にこそ、実は中国人を蔑視している本音が見え隠れしていて、あざとさすら感じる。

▼支那(Zhina)が由来のChinaはどうなる。中国が、一度でも、「Chinaは蔑称だから、使うのを止めろ」と言ってクレームをつけたか。いい加減、日本の外務省も、去勢された宦官のようなおべんちゃらはやめたらどうだろうか。ラーメンの話が、とんだ話に行き着いてしまった。お粗末。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄




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