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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第271回・魔術と奇術の境界線をたどった男

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【閑話休題】第271回・魔術と奇術の境界線をたどった男

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-04-08 15:58:00]

【閑話休題】第271回・魔術と奇術の境界線をたどった男

▼ハリー・フーディーニという、稀代の魔術師がいた。本物の魔術(超真理学的な)か、それとも奇術(マジック、手品)なのか。その境界線を、生涯辿り続けた男だ。

▼もともと、オーストリアハンガリー二重帝国の首都ブダペストで生まれたユダヤ系で、後米国で、ハリー・フーディー二という芸名で、「脱出」系のトリックで、一世を風靡した奇術師だ。

▼未だに、米国でトリックの代表的なスターとしては、一位か二位に挙げられるほどの人気がある。このフーディーニは、実母の死をきっかけに、心霊的な世界にのめりこみ、あの世を知りたいばかりに、数多の霊媒師たちに接触した。

▼ところが、どれもイカサマばかりで、信じるに足る霊媒師はまずいなかった。有名なのは、「これこそ本物の霊媒師だ」と絶賛を博していた女性霊媒師マージャリーに、母親の霊を降ろしてもらったことがある。そもそもその霊が「ハリー」と呼びかけたことでまず疑問が生じ(フーディーニの本名はエリックである。母親が芸名のハリーで呼ぶはずもない。)、最終的に死者が押すとされた呼び鈴を、霊媒師自身が押していたことを暴いてしまった。

▼この一件で、フーディーニはいわゆる霊媒師のイカサマを激しく憎むようになり、片っ端から霊媒師という霊媒師のイカサマを見破っていった。逆に、魔術師としての知識と経験や洞察力から、イカサマを暴くごとに、そのトリックを自分のショーに取り入れていくという相乗効果もあったようだ。

▼心霊術を調査するために科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」が、学者らによる調査委員会を発足させたときにも委員として参加。以来、本人の心霊への希求とは裏腹に、サイキックハンターとしての活動がいや増しに増していくという皮肉な結果となった。その本気度は、本物だった場合に支払われる多額の賞金に示されている。

▼同時代の人間として、英国の小説家コナン・ドイルがいる。彼は、英国心霊学会の発起人の一人だが、このドイルとも親交があったようだ。ただ、ドイルを評して「彼は、とても信じやすい人間だ」としている。実際、ドイルはその後、「コティングリー妖精事件」のスキャンダルに巻き込まれていく。)

▼フーディーニのトリック、奇術はいつも満員御礼だった。警官の見守る中、手首足首を縛られ、厳重な監獄に放り込まれても、また手錠をはめられて箱詰めになり、凍るようなハドソン川に投げ込まれても、わずか数分で脱出してしまうのだ。線路に縛られて、ほんのわずかの差で、轢かれずに縄をほどいて線路から転がり落ちるといったような、きわどいこともあったようだ。

▼フーディーニにとって、マジックというものは、「観客が望む夢を見せる」ということだった。それだけに、ちゃちな霊媒師に憎しみを抱き、ことごとく霊現象の嘘を告発し続けたのだが、その心中にあったものは、「完璧な夢」であったとも言える。「わたしに本物を見せてくれ」ということだ。

▼本物の(仮にそれがあるとすれば)超心理学的現象と、トリックとの境界線という尾根を、ずっと生涯辿りつづけたフーディー二の最期は、あっけないものだった。1926年10月31のハロウィンの夜、楽屋で、彼の腹を人に思い切り殴らせても平気というトリックを控えて、楽屋で学生に殴らせた。ところが、まだ準備していないうちに殴ってしまったことから、急性盲腸炎となって死亡してしまったのだ。

▼生前、フーディーニは、妻に「死んだら、君にしかわからない暗号で、連絡を取るよ」と言っていたそうだ。しかし、死後、妻は、「彼から連絡は無い」としている。もっとも、あっちに行ってみれば、なかなかこちら側の人間に告げたくても、言えない事情というのもあるらしい。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


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