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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第270回・呪文

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【閑話休題】第270回・呪文

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-04-07 15:36:00]

【閑話休題】第270回・呪文

▼水木しげるの「悪魔くん」という漫画があった。実写版も昔テレビ放映されたので、覚えておいでの方もいるだろう。主人公の少年が、ファウスト博士から悪魔を使役する方法を伝授されるのだ。

▼その呪文とは、「エロイム、エッサイム、エロイム、エッサイム。我は求め訴えたり。エロイム、エッサイム、エロイム、エッサイム。朽ち果てし大気の精霊よ。万人の父の名のもとに行う。我が求めに答えよ。エロイム、エッサイム、エロイム、エッサイム・・・」と続く。

▼そうすると、悪魔メフィストが魔法陣から登場し、「どんよりとした曇った空、悪魔日和(びより)の実に良い天気ですな・・・」と始まる。

▼このエロイムも、エッサイムも、数多(あまた)いる西洋の悪魔の名前だ。現地の悪魔を呼び出す祈祷書によると、何十人もいるこの悪魔の名前をすべて、読み上げるところから始まるのだが、その一番最初の二つの名前が、エロイムと、エッサイムなのだ。水木しげるは、その分「はしょって、割愛した」ことになる。

▼この呪文というのは、まったく迷信に近い戯言でもあり、実はきわめて有効であるとも言える。およそ無意味なものは、この世に存在しないのだ。

▼日本で昔からとても人口に膾炙(かいしゃ)した呪文といえば、密教の「アビラウンケンソワカ(大日如来の真言)」と、顕教の「南無阿弥陀仏(阿弥陀如来の念仏)」である。「●●ソワカ」というのは、もともとのサンスクリット語では、正確にはスヴァハーという音に近く、長い間、日本で伝授され続けてきた挙句、ソワカになってしまった。意味は、「成就せよ」という意味だ。曹洞宗など禅宗でこの真言を唱える場合には、ソモコーと読みならわしている。

▼実際修験などでは、神秘的な呪文には、煩雑な理屈づけや発音の正確さなどはほとんど無視されてきた。原語とは似ても似つかぬ言葉になってしまったような例もある。しかし、言葉は「器」だから、そこに「気」が入れば、効験は現れるのだろう。

▼「アビラウンケンソワカ」などは、江戸時代、覚えにくいということで、民間では、マジで「油桶(あぶらおけ)それか」と唱えて、「万病を癒しける老婆」が実際に存在したと「閑田次筆(文化3年1806年、伴蒿蹊・ばんこうけいの著作。)」に見える。

▼玄楼奥竜(江戸時代中期・後期の曹洞宗の僧)の「十六鐘鳴」には、「金剛経」の「応無所住而生其心(おおむしょじゅうにしょうごしん)」の句の部分を、「大麦三升二升五升(おおむぎさんしょうにしょうごしょう)」と読まれ、「アナリ、トナリ、アナロ、ナビクナビ」の陀羅尼の部分を、「孔(あな)の開いた小鍋」と唱えられ、十分に霊験があった例が書かれている。

▼そこで、僧がそれは間違いだと教え、正式な読み方をちゃんとやらせるようにしたのだそうだ。もっと、強く霊験を示すことができるだろうと期待したところ、なんと今度は呪文の功徳が消えて無くなったという話が出てくる。

▼これなどは、デタラメであろうとなんだろうと、本人がそう思い込んで信じきってしまえば、「本物」になるということを意味している。正しい経典の読み方や正確な呪文の発音が、必ずしも有効だとは限らない。実際、女の幽霊が出て、一生懸命に「南無妙法蓮華経」と唱え「消えてくれ、消えてくれ」と祈っていたら、耳元で「そんなもの効かないよ」と幽霊に囁かれた人を知っている。

▼民間の呪文「ちちんぷいぷい」というのは、もっと身近な、わたしたちが子供のころから慣れ親しんでいる呪文である。もともとは、「智仁武勇」から転じたものと言われているが、たとえば子供が母親に全幅の信頼を寄せていれば、母親が我が子の切り傷や痛みなどをまじなって、「ちちんぷいぷい。痛いの痛いの飛んでけえ。」と唱えるだけで、功徳は現れる。それが、呪文の世界であり、呪文の功徳なのだ。おそらく、自分のためではない、誰か自分以外の人のための祈りであれば、呪文はそれなりに効験を現すものなのかもしれない。

▼言葉というのは、昔から日本では言霊信仰があるように、ないがしろにするととんでもない負のブーメラン効果になって、自分に跳ね返ってくる反面、こうしたいい加減な部分もある。

▼ただ、これだけは知っておいたほうが良い。日本語のこうした生活習慣の「呪文」というものは、とても古くからの信仰に根付いたものが多いということだ。その最たるものは食事の前の「いただきます」だろう。

▼この「いただきます」という呪文は、生き物を殺してそれを食うわけで、「命をいただきます」というところから来ている。作ってくれた人への感謝以前の感情がそこに込められているのだ。この思いが、少しでも心によぎれば、この言葉はただの「挨拶」から、効験を発揮する「呪文」になってくる。つまり、わたしたちの明日を生かす、強烈なエネルギーと化すのである。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄




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