【日刊チャート新聞記事紹介】
[記事配信時刻:2014-04-04 15:18:00]
【閑話休題】第269回・絵画の値段
▼最近、イタリアで、台所に掛けていた安物の絵(昔3200円で買った)が、ほかの一点も併せると、15億円になるゴーギャンの盗品( 1970年、英国で盗まれた)だったことが判明した。持ち主もびっくりだ。
▼実際にその絵を見てみると(静物画である)、それがボナールの作品といっしょにしても、とても15億円するようにはわたしにはまったく見えない。芸術作品、とくに絵の値段のつきかたというのは、見当もつかない。
▼ゴーギャンと言えば、もともとはパリで証券会社に勤めていた株のブローカーだ。そこそこ優秀で、将来も嘱望され、家族も安泰だったが、日曜画家の趣味が人生を狂わせていく。
▼ゴッホとの同棲生活も有名だが、同性愛とは関係ない。なにしろ昔から、絵描きは飯が食えないのだ。しかし、生理的欲求は耐え難く、それを彼らは「衛生費」と呼んだ。春を買いに行く費用のことだ。どんなに金がなくても、「衛生費」は必要だったのだ。二人は切りつめて、「衛生費」を捻出していた。
▼絵では食えない、というのは、今でもそうだろう。わたしも昔、子供の頃に絵を習っていた頃、初日、まずは小便小僧の彫像のデッサンを木炭で描いてみろ、と言われてやってみた。
▼それが初めてにしてはなかなかの出来だったのだろう。今見ても、そのデッサン画はわれながら「これが自分で描いたのか」とびっくりするほど上手なものだ。ところが、その絵の先生(ずっと後に、日展でトップに立つことになる。)は、わたしに言った。
「絵描きにはなるな。みんながバターを食うところをマーガリンだ。みんながステーキを食うところを、おまえはナスしか食えんぞ。」
▼絵に対する考え方の違いから、ゴッホとゴーギャンの共同生活は破綻する。「食事に絵の具が混じるようなやつと、一緒に生活できない。」と言い残して、ゴーギャンはゴッホを「見捨て」た。そして、フランスも捨て(たつもりで)、南海のタヒチに楽園を見出していく。
▼これも、考えようによっては、どこまでタヒチに溶け込んだのか、どれだけタヒチの文化を評価したのか、かなりの疑問が残る。実際彼の絵のどれを見ても、キャンバスに描かれていたのは、パレオをきた褐色の聖母マリアであり、熱帯雨林のイエスにほかならない。
▼南洋をモチーフにしながら、色調はそれと矛盾するがごとく余りにも暗い。現実には、原色がそこかしこに、眩しいほど溢れ返っているにもかかわらず、である。ゴーギャンは、海の果てまで放浪してなお、キリスト教文化をずっと引きずって生きていたことになる。
▼そこに、タヒチやその人々への愛情があったかどうかわからないし、精霊信仰にもどれほどの理解や共感があったか、実に疑わしい。
▼遺作のつもりで描いた、作品は縦139cm、横375cmの大作だが、そのタイトルは、「わたしたちは何処から来たのか。わたしたちは何者なのか。わたしたちは何処へいくのか。」となっている。南太平洋まで、理想を求めながら、得られた最後の答えとは、この人生最大の問いであったことは皮肉なことだ。
▼わたしはゴーギャンの絵が昔から好きだったが、このことに気づいてからやや冷ややかに彼を見るようになってしまった。七転八倒した人生の挙句、ほとんど生前評価されることもなく逝ったこの絵描きが、もしもフランスにずっととどまっていたら、どういう作品を残したのだろう。
▼ゴッホもそうだ。もし、ゴーギャンに「捨てられなかった」としたら、発狂しないでも済んだかもしれないが、その代わりどういうゴッホとして、無難に人生を送ることになったのだろう。よじれたモミの木や、炸裂する星の輝きは描かれなかったろう。
▼ゴーギャンの盗品が、列車内で見つかって、価値もわからず競売に付され、3200円相当で買われ、40年近くも台所に飾られていたのだ。こんな皮肉な話も無い。芸術の価値を決めるのは一体なんなのか。
▼生涯、「生きたい、生きたい」と思って、聖書を離さなかったゴッホは、早々と自殺し、一方で、世捨て人にして、反キリスト的、なおかつ「俺は死ぬ、俺は死ぬ」と呟き続けていたゴーギャンは地球の反対側に行ってまで、その重い旅に執着した。自殺を試みるも未遂に終わり、最後は事実上、悲哀に満ちた「のたれ死に」に近い。
▼19世期後半、極貧をなめていたゴーギャンのあの絵が、15億円相当で売れていたら、どうなっていたろうか。はっきりしているのは、その場合、あの横幅4m近いくだんの傑作「わたしたちは何処から来たのか。・・・・」が描かれることはけっしてなかったということだ。
▼ちなみに、個人的には、「わたしたちは何処から・・・」よりも、その直後に描かれた、同じ横長大作の「ファア・イへイへ(タヒチ牧歌)」のほうが、わたしは好きだ。ゴーギャンの気持ちが、どこか壁を突き抜けている。死を前にして、なにかが見えたような絵なのだ。ひょっとすると、答えが、少し垣間見えたのではないか、という気にさせられる作品になっている。「わたしたちは何処から・・・」の答えが。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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