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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第280回・百年の孤独

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【閑話休題】第280回・百年の孤独

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-04-21 15:21:00]

【閑話休題】第280回・百年の孤独

▼「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したに違いない。・・・・」

▼ガルシア・マルケスの最長編小説「百年の孤独」の冒頭部分だ。三代に及ぶ長い年月と、絶望と至福、無感動が微妙に交錯する瞬間を、この一文でマルケスは表現した。

▼17日、世界的なラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなったこの「百年の孤独」の作者で、ノーベル文学賞を受賞したコロンビア人作家、ガブリエル・ガルシア・マルケスが、メキシコ市の自宅で死去した。享年87歳だった。

▼その作風は、「魔術的(マジック)リアリズム」と称されるが、日本でも一時期、これを読まなければ知識人ではない、と言われるほどの評価だった。しかし、意外なことに日本全体として、これが流行となったり、一世を風靡したりといったようなことはなかった。むしろ、日本人にはほとんど読まれていない、というほうが事実に近い。

▼恐らく、映画化された作品も多いから、それで知っている人もいるかもしれないが、当然南米系の映画であるから、それほど日本で有名な映画作品という印象はないだろう。

▼1928年コロンビア生まれ。ボゴタ大学中退後、新聞記者としてローマやパリに駐在するかたわら創作を始める。独裁政府の弾圧で新聞が廃刊になるが、55年に初の作品集「落葉」を刊行した。

▼マルケスが、結婚のために帰国した際に、友人が放りっぱなしになっていた「落葉」の原稿を発見して、本人には無断で勝手に出版社に持ち込んで世に出たという。その後、「大佐に手紙は来ない」「族長の秋」など、傑作を量産していく。

▼キューバでは、カストロと知り合い、1959年のキューバ革命後もずっと親交を結ぶが、政治とは一線を画している。最も有名になった「百年の孤独」は、1967年に刊行。18ヶ月連続でタイプライターを打ち続けて書いたという作品だ。奇想天外な事件や大洪水、錬金術、そして一族を支配する予言など、神秘的な出来事が起こるマコンドという仮想の村を舞台に、ある一族の誕生と栄光、そして滅亡の歴史を描いた物語で、世界的ベストセラーとなった。

▼ブエンディアの一族は、予言によって運命づけられている。そして、一族はそれぞれの立場とやりかたで、その死と滅亡の謎を解こうとする。それによって、けっきょく自らの破滅を実現させていってしまう。このパンドラの箱は一体なんだろうか。マルケスの小説のプロット(筋書き)は、おおむねこの理不尽な謎、至福と絶望の人間模様を一貫して描き続けたものだ。

▼日本では、どちらかというとひねくれ者なのか、わたしはかなりマルケスの小説やその原作の映画化には、ハマってしまったものだ。「百年の孤独」は、おそらく一般にはとっつきにくい作品だ。が、映画化された小説には、映画化されただけに映像に耐える、もっと不思議な感動を呼ぶ作品がけっこうある。

▼ラテン系の文学というのは、マルケスだけではないのだが、「ラテン系だという」印象とはまったく違う。ともすると、寸分の影も無い明るさや、単細胞、荒削り、いい加減さ、といったような偏見をラテンという世界に対しては持ちがちだ。わたしもついそう思ってしまう。ところが、マルケスの小説は、実に繊細で、胸が痛くなるくらいだ。なおかつ気が遠くなるような年月の経過に意味をもたせる骨太のドラマを描いているものが多い。

▼そして、なによりその真骨頂は、人間の意志と運命の微妙なバランスだろう。この二つの振り子が、螺旋(らせん)構造を描いていく。なにが正しく、なにが真実なのか。それは最後まで明かされないことが多い。それはわからなくても良いことなのかもしれない。しかし、人間はその謎と迷宮の中で、自分は一体誰だったのかと立ち尽くす。

▼ある意味、わたしなどは、「俺が、俺が」病にとり憑かれたような欧州文学の実存主義に対する、強烈なアンチテーゼではないかという気がしている。マルケス本人のことをよく調べたことがないのでわからないが、彼の小説には、不思議とキリスト教的二元論ではなく、仏教にも似た「輪廻」が非常に意識されているようだ。執拗に因縁が襲い掛かり、登場人物たちはみな翻弄されながら、これまた凄まじい執念で、ある意味、人間という地獄からの解脱に向かって抗い続ける。

▼「コレラの時代の愛(映画化されている)」では、初恋の女性を51年9ヶ月と4日待ち続けた男の壮大な愛の顛末を描く。男は、自分のその一途な愛を裏切るように、偏執的とも言えるような背徳行為を延々と繰り返す。価値の統一を許さない、倫理の混乱と思想の液状化現象だ。しかし、その矛盾こそが、人間という存在そのものにほかならない。

▼人間の中では、つねになにかが壊れ、なにかが死に、なにかが生まれてこようとしている。そして、その混乱のなかに落ち込んでしまえば、そこにはじつに細密に練りあげられた価値体系が底に存在していて、理性では理解不能な秩序が息づいていることを思い知らされる。本人も気がつかなかった秩序だ。

▼「予告された殺人の記録」は、実際に起きた事件をモチーフにして書かれたものであるが、あまりにも描写が精緻であったために、事件の真相を知っているのでは、と当局に疑われたという逸話を持っている。

▼ガルシア・マルケスが、読者に放つ謎は解けない。致命的に、謎は謎であり続ける。しかも、非日常や、通常考えられないようなことをまるでなんでもない常識のようにさらりと描く。これに違和感を覚える人はいるだろう。ただ、そこで描かれる人間の苦悩は、まさにわたしたちが現実に直面しているものそのものと言っていいほど生生しい。

▼先の「予告された殺人の記録」は、ガルシア・マルケスの小説らしさが一番出ていると思う(これも映画化されている)。本人も生涯最高傑作だとしているくらいだから間違いないだろう。話は、こんな感じだ。

▼この物語は、犯人も、動機も、場所も、手口も全部が街中の人に知られた中での言わば公開殺人である。事件で惨殺されることになる男サンティアゴは、かつて町の少女アンヘラを弄んだことのある(とされる)地元の金持ちの息子だ。アンヘラはその後、美しく成長して、よそ者としてやってきたモダンな都会の男・サンロマンの玉の輿(こし)に乗る。しかし、初夜のベッドで処女でないことを知られそのまま実家に追い帰されてしまう。

▼大恥をかかされた女の家では、向こう見ずな二人の兄弟が激昂する。アンヘラを手篭め(てごめ)にしたのは誰だと問い詰め、アンヘラは、「サンティアゴよ!」と口走る。兄弟は「サンティアゴを殺す」と町中に触れ回り、一日中泥酔し、延々とナイフを研ぎ続け、人々に誇示。そして、予告どおりに殺人事件が起こる。サンティアゴは二人に滅多刺しにされ、なにがなんだかわからないうちに死ぬ。サンティアゴの母親や、女中ですら、結果的には知らないうちに、殺人に手を貸すハメに陥った。

▼「自分たちに後悔することは何もない」と悪びれない兄弟は「男であることが証明され」、当局からも寛大な判決を受けて、離れた街で短い刑期を終える。初夜に女を実家に帰した男サンロマンは、事件後、娘時代の妻を犯した男に「何の復讐も出来なかった男」として町中の哀れみを買う。

▼しかし初夜に追い返された女アンヘラを犯した男がほんとうにサンティアゴだったかは、作中では明らかにされていない。アンヘラはじつは本当に愛していた男を庇(かば)っただけの可能性が高いことが、作中では示唆されている。しかし、ずっと後年になってもアンヘラは「サンティアゴだったのよ、これ以上頭をめぐらすのはよして」というばかりだ。サンティアゴは冤罪だったのかもしれない。

▼その一方で、自身、もともとはサンロマンとの結婚を望んだわけではなかったアンヘラは、追い返されたその日から逆に、サンロマンに激しく焦がれていく。十七年の間に二千通もの手紙を書く。しかしその手紙はサンロマンに届くものの、一通も封を開けられることはなかった。

▼次第に老いが彼らを襲い始める頃、その膨大な手紙の束を持ってサンロマンがアンヘラをたずねてくる。道に一通一通、落ちている。驚いてそれを、拾いながら、アンヘラが辿って行った先に、サンロマンがたたずんでいた。・・・このエピソードの行方は最終的には作中では示されていない。サンロマンとアンヘラの、あまりにも遅い、しかし、新しい出発があるのかどうかは謎のままだ。

▼混沌・・・その一言でしか表現できない、この人間と言う不可解な存在に、ガルシア・マルケスはある一定の価値観を押し付けたり、決め付けたりしない。彼の作品は、残念ながら日本では未だに、それほど読まれることがない。人間という謎に、敢えて謎かけをしてみせることで、その本質を炙り(あぶり)出そうとした、20世紀という混乱が生んだ世界文学の至宝である。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄




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