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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第292回・書生さま

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【閑話休題】第292回・書生さま

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-05-12 15:33:00]

【閑話休題】第292回・書生さま

▼明治時代、大学というものが出来たころ、学生は書生さまと呼ばれ、労働という社会生活の執行猶予期間(モラトリアム)を与えられていた、まさにエリートの階級だった。今も、モラトリアムには変わりないのだが、当時彼らはそれを負い目に感じていた。今の学生は、負い目どころか当然と思っているだろう。

▼それはヤクザと同じである。ヤクザも、昔は「ごくつぶし」と呼ばれ、圧倒的に食料需給が逼迫していた時代だけに、社会貢献をしていない「余計者」としての意識が、ヤクザにもあった。だから、けっして堅気(かたぎ)には手を出さないといった不文律が守られていたが、いまや飽食の時代になって、まるで実業家きどりだ。学生もそれと意識ではなにも変わらない。

▼今と違って、高校全入と言われているのと違い、当時旧制高校(これが今の大学に相当するが)、そして大学といったら、その人数自体が少なかった。自身の気負いも、また周囲の見る羨望と期待の度合いも、現在とは月とすっぽんだ。

▼エリート(選良)と言うが、まさにエリートは存在したのである。今、エリートなどというものがいるだろうか。わたしなどは、社会のデリート(delete、削除)だ。

▼もちろん明治の学生たちにもさまざまなタイプがあり、バンカラと、ハイカラと、ナンパがいた。ナンパなどは甚だしいもので、とくに日清戦争1894年以降はナンパも相当増大したようだ。

▼遊蕩に走り、実家からの仕送りをすべて使い込んでしまうから、学費を保管する会社まで出てきたという。ゆすり、たかり、「お嬢様」をかどわかしては金を貢がせて、学費どころか遊蕩費をまかなうなど、まだ可愛いものだったようだ。内にこもるタイプの場合、やたらに世をはかなんで自殺するといったケースも多発した。日露戦争前年には、一高生の藤村操(みさお)が日光華厳の滝に身を投げたのが、その嚆矢だという。それこそ「おもしろいように」次から次へと身を投げた。

▼なにも男子学生だけではない。女子学生も同じなのだ。当時の新聞などを読んでみるととんでもない事件ばかりが目に飛び込んでくる。女子学生が、友人宅を泊まり歩いて売淫する者、各種飲食店のいわゆる酌婦には、ハイカラを称する女学生あがりがわんさかいたというのであるから、どうも、その日常の生態たるや、エリートとはいえ今とあまり変わらないらしい。

▼もちろん硬派は硬派で、これまたステレオタイプのようなのがいた。借家をシェアして、牛鍋をつつきながら大酒を浴びる。「梁山泊」を称して大声で天下を論じる。そんな集団も珍しくなかった。

▼ただ、実生活がバンカラだろうと、ハイカラだろうと、またナンパであろうと、旧制高校や大学の講義というものは、間違いなく今とはまったくレベルが違っていた。なにしろ、すべて原書なのだ。そもそも日本にはまだ高レベルの学問などというものが未成熟であったから、すべて教材は原書だ。それを、辞書を片手に文字通り読み破ったのである。

▼学生は、バイリンガル(二ヶ国語通用)や、学部によってはトリリンガル(三ヶ国語通用)が求められた。なにしろ原語が通じなければ、授業にならないのだ。とくに明治前半の大学は、外人教師が多かったから、話にもならない。

▼そのハイレベルぶりは、エルウィン・ベルツが書き残している。ベルツは、ドイツの内科医だが、東京帝国大学で教鞭をとっている。在日27年。のちに宮内省御用掛となった。「蒙古斑」の名づけ親だ。

▼このベルツが、故国への手紙にこう書いている。

「講義はドイツ語でしますが、学生たちはドイツ語がよくわかるので、通訳は単に助手の役目をするだけです。」

▼旧制高校というものも、どうやら今でいえば、中学三年生が東大などの難関大学を受験するくらいの学力を求められたということらしい。

▼本来、日本の大学というものは、近代化のために一気に官僚を育て上げようという意図のもとに始まったもので、純粋にアカデミズムというものとは違い、実学的な色合いがきわめて強かった。しかし、それでも、社会の意識がこれに馴染まず、苦労して育て上げた大学生たちの就職率は、当初大変低く、路頭に迷う卒業生も多発した。

▼伊藤博文らが、必死でこの問題を解消し、官僚に自動的に押し込んでいくための仕組みが、いわゆる国家公務員試験というスキームだったのである。

▼いまや、明治は遠く、大学も本来の創設意図・目的からずいぶんと乖離した存在になっている。社会自体が変わってしまったのだから当然だ。しかし、学問をする現場の真剣さというものは、変わっていないはずなのだが。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


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