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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第293回・第七騎兵隊全滅

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【閑話休題】第293回・第七騎兵隊全滅

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-05-13 15:28:00]

【閑話休題】第293回・第七騎兵隊全滅

▼ジョージ・アームストロング・カスター。南北戦争では北軍騎兵を率いて勇名を馳せた男だ。自ら先頭にあって、強硬な突撃を繰り返す「カスター・ダッシュ」は南軍をことのほか苦しめたが、事前に熟慮された上で実行されており、一般に語られるような命知らずな無鉄砲という訳ではない。なにしろ、南北戦争中、ただの一度の負傷もなく、「不死身のカスター」と異名を取ったほどだ、われわれが思っている以上に、計算しつくされた戦闘の出来た男だろう。

▼その後のインディアン討伐でも、白人たちの圧倒的な人気を博したこの一代の伊達男は、1876年(明治8年)6月25日、モンタナ州リトルビッグホーン河畔で、1800人以上(詳細は不明である。ただ、目撃者たちの一致した証言では、最低1800人である。)のインディアン部隊に、本隊の到着を待たず、自ら率いる先遣隊300名前後で攻撃をしかけた。結局、包囲され全滅。(副官らと二隊にわかれた。副官らの部隊は、大損害を被ったものの、離脱して生還。)

▼インディアン側にしてみれば、白人との戦いの象徴的にして、唯一といっていいくらい決定的な勝利だったが、この後のインディアンへの報復的な弾圧政策は苛烈をきわめていくきっかけになった。

▼インディアンの間では、以来一貫して、カスターは悪の象徴であり、白人の側では、1933年昭和8年に死亡した未亡人のリビー・カスターの生涯にわたる努力もあって、英雄とされてきた。戦後は、次第にリベラルな見方が白人の中にも浸透し、映画などではほとんど「悪玉」として描かれる。ようやく近年、白人の中で、より中立的に、より真実に迫ろうという動きがでてきているようだが、まだ声は小さい。

▼カスターは死後、ずっとアメリカという社会の「民族差別」の「映し絵」として、その評価は善か悪か、あまりにも一方的なものに終始してきたのである。

▼この男、おそらくそんなに単純な人間ではない。文明というものへの認識と、政治的圧力と、激しい自尊心と強烈な名誉欲、さまざまな思惑が互いに相克する中で、任務遂行という結論だけが歴史に残されたのだ。真意はいまだに闇の中である。

▼おそらく、今わかっている事実をベースに、できるだけ公平に、そして真実に迫る映画としては、名優ロバート・ショーが主役を演じた「西部のカスターCustar of the West( 1968年製作。ロケは、スペインで行っている。)」だけだろう。

▼そこには、答えはない。ただ、アメリカという白人国家と、土着のインディアン社会との狭間にあって、軍人としての任務を全うすることに、内心激しい相克があったことだけは間違いなさそうだ。

▼1867年、カスターは、陸軍中佐となり、有名な第七騎兵隊の連隊長に就任した。しかし、シャイアン・スーの連合軍の攻撃に参加したところ、途中、キダー大尉の部隊が移動中に襲撃されたとの報告を受ける。カスターは急遽援軍に向かったが、現場にはすでに殺害されたキダー隊の遺体だけが残されていた。そもそもこの時点でカスターは、インディアン討伐戦争にあまり乗り気ではなかった。だから、この直後、無断で家に帰ってしまい、軍務放棄している。軍は、カスターに1年の謹慎処分を懲罰として与えたが、南北戦争当時の元上司シェリダン将軍のとりなしで、減刑されている。

▼翌1868年(明治元年)、カスターは、歴史に残る虐殺を行った。オクラホマのウォシタ川の戦いと呼ばれるものだ(坂本龍馬暗殺の13日後)。戦いというより、一方的な虐殺である。インディアンたちが、和平派のブラック・ケルト酋長に率いられて野営していた。白旗を掲げており、戦意は無かった。

▼カスター隊は、女子供の見境無く銃撃を加え、これを全滅させた。30人が殺されたとも言われるが、カスターの報告では103人となっている。200名死亡という説もある。カスター側は21人が戦死している。生き残った50人のインディアンたち(シャイアン族が多い)は、すべて奴隷として連行された。

▼このウォシタ川の虐殺以降、白人側はインディアンとの和平交渉を打ち切り、保留地に入ろうとしないインディアンたちに、容赦のない軍事絶滅作戦を行使する方針を取ることとなる。その後も、カスターは虐殺を繰り返していった。

▼あるとき、休戦交渉の際、インディアンの代表との会談で、パイプタバコを勧められた。カスターは断った。帰り際、インディアンはそのパイプの灰をカスターのブーツに落として、呪いをかけた。「約束を破ると、命はない。」カスターは協定を破り、再び虐殺を繰り返した。

▼しかし、殲滅を命じたのは軍上層部である。カスターがやったことは、虐殺に間違いない。ありもしない場所に、さも膨大な埋蔵量の金鉱脈があるかのように新聞報道をして、ゴールドラッシュを巻き起こし、インディアンたちを窮地に追いやったのも、カスターだ。とにかくスタンドプレイが大好きな男だったのだ。長い金髪をなびかせ、華美な軍服で騎兵隊を装備させていた。

▼しかし、本音がどこにあったかは、また別の問題だ。少なくとも、彼自身の肉筆で書かれた次の文章からは、インディアンへの人種的偏見は、奴隷制度がまた厳然として存在していたような時代にあって、稀有なほど公平である。

『・・・・私はしばしば、自分がインディアンだったら、「白人の作った保留地に閉じ込められ、やりたい放題で悪徳だらけの文明のお情けにあずかって生きながらえるより、自由で遮るもののない平原を仲間と守り、運命を共にすることを選ぶほうがずっとずっと楽しいだろう」と考えたものだ。

我々白人は、長らくインディアンを美しいロマンで包んでいた。しかし、一度それを剥ぎ取ってしまえば、彼らは「気高き赤い勇者たち」とは呼ばれなくなり、インディアンという人種は残虐にして野蛮そのものとみなされることとなる。けれども、同じような境遇に生まれ育てば、白人だって彼らと同じなのだ。人間というものは沙漠の野獣同様に、残酷かつ獰猛になれるものなのだから。

この土地は、インディアンたちが長い間自分たちのものだと思い、狩りをしてきたところだ。それを「文明」というこの貪欲な怪物から明け渡せと要求されたとしても、誰の助けも得られない。

彼らはただ降服するしかない。さもなくば彼らは、この「文明」という怪物に無慈悲にも踏みにじられ粉砕されてしまうだろう。運命は、それを望んでいるようだ。』

▼白人の側に身を置きながら、自分たちがやっていることに対する強烈な皮肉と苦渋が、冷静を装う文章の行間ににじみ出ている。この文章を書いた同じ人間が、虐殺を繰り返したのである。これを、カスターの当時直属の上官だった、シェリダン将軍(南北戦争以来、カスターに目をかけてきた)の言葉と比べてみたらよい。

「世界に良いインディアンと悪いインディアンがいる。良いインディアンとは、死んだインディアンのことだ。」

これが、当時の白人の対インディアン認識の一般的なものだった。カスターの文章は、明らかにこれらとは一線を画している。

▼リトルビッグホーンでは、カスターは死の間際に、「万歳!野郎ども、奴らを片づけて本隊に戻ろうぜ!」と叫んだと伝えられている。輸送馬車に24000発もの弾丸を残し、一人一人には124発しか装備させずに突貫した第七騎兵隊の最期というのは、一体どういうことなのだろうか。

▼インディアン側は、当初戦闘準備をまったくしていなかった。攻撃は、一方的にカスターによって仕掛けられている。4倍の銃を備え、6倍以上と考えられるインディアンに対してである。南北戦争以来歴戦の、最も戦場をよく知悉していた男の判断でこんなことが起こるのだろうか。

▼運命の6月25日。その日は、日曜日だった。正午までに、カスター隊はインディアンの野営のそばに到着した。一方、インディアン側もすでに斥候の報告で、カスター隊の接近にとうに気付いていた。

▼朝から彼らの野営のあちこちには、近づく戦に備えて準備するように、との伝令が回っていた。が、インディアンたちは夜遅くまで踊り(サンダンスの儀式)に参加していて、昼前まで寝ているものも多かった。昼頃になると、暑さのためにインディアン達の動きは一層緩慢になり、のんびりと馬に草を食ませたり、年少の戦士は川で水浴びをしていた。まさか300名そこそこで、最低でも1800人ものインディアンの大部隊に攻撃をしてこようとは、思っていなかったようだ。

▼実際、カスターが属していた本隊は、三方から現場に接近中だったが、事前に上官からカスターは「戦功を欲張るな」と釘を刺されている。総攻撃の日も、27日とあらかじめ決定されていた。カスターは帰順した多数のインディアン斥候兵を雇っており、彼らも予定より一日早くついたことで、一様に「敵が多すぎるから注意して行動するように。」と進言している。カスターの副官も「慎重にいくべきだ。」と自重を促している。

▼にもかかわらず、カスターは攻撃に入っていく。翌日には、本隊が三方から到着し、インディアンを包囲殲滅することがわかっているにもかかわらず、である。攻撃後、わずか1時間でカスター隊は当然ながら窮地に陥り、2時間のうちに全滅している。ただ、この2時間、戦いは壮烈であったようだ。インディアン連合軍も、スー族で判明しているだけでも136人が戦死し、160名が負傷している。遮蔽物の無い平原・丘陵地帯である。両者ともまったく無防備状態の衝突だけに、相当の接近戦だったということだろう。おそらく、インディアン側の戦死傷者は、第七騎兵隊と同数か、それ以上であったと推測される。第七騎兵隊で生き残ったのは、馬一頭だけだった。

▼インディアンからも、白人からも、いまや「悪玉」としてしか扱われないカスターだが、リトルビッグホーンの戦いに参加したインディアンたちは、不思議なことに異口同音に第七騎兵隊の猛戦を讃えていた。その一人、シティングブル酋長はこう述べている。

「わたしは死んだ者のことで嘘はつかない。彼らは、今まで見たなかで最も見事に戦って死んでいった。・・・」

▼翌日、本隊三軍団が戦場に到着したときには、ほとんどの騎兵隊員は衣服を脱がされていた。カスターも裸だったが、頭の皮ははがされていなかった(敵の死者にこの行為をはじめたのは、白人の側が最初である)が、千枚通しで両の耳を刺し貫かれていた。かつてかけられた呪いである。「これからはちゃんと警告を聞くように。」

▼致命傷は、心臓とこめかみの銃弾だった。もしかすると、こめかみの一発は、自決したものかもしれない。カスターの近くには、二人の弟、そして甥、さらに寄り添うように騎兵隊員の遺体が斃れていた。義弟は、やや離れた丘陵の高所にあったようだ。最後は一箇所に追い詰められ、カスターを中心に、円陣を組んで抗戦していたように見受けられる。

▼現状認識の誤断か、それとも故意であったのか(つまり、半ば自殺行為)。野卑な死に際の豪語と、さきほどの文章と、あまりのギャップと謎に、このカスターという人物の真実の像というものが、どうしても見えてこない。

▼現在、第七騎兵隊全滅の現場は、カスター・バトルフィールド国定公園になっている。(遺体はすでに後年アーリントンに移された。)なだらかな丘陵の斜面に、カスター以下騎兵隊の遺体263名が発見されたそれぞれの地点に、各々の小さな墓石が置かれている。その不整然なありさまが、返って「事件」の惨たらしさを生々しく伝えている。オクラホマの丘陵には、今でもあのときと同じように乾いた風が流れているだけだ。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


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