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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第312回・団扇と扇子( 6月13日掲載、再アップ)

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【閑話休題】第312回・団扇と扇子( 6月13日掲載、再アップ)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-06-13 15:28:00]

【閑話休題】第312回・団扇と扇子( 6月13日掲載、再アップ)

▼団扇(うちわ)の季節になってきた。うちわというと、黒田清輝の「湖畔」( 1897年) がすぐに頭に浮かぶ。

▼おそらく一度は誰でも観たことがある絵だろう。描かれた場所は、箱根芦ノ湖。現在の観光船の乗り場近くだ。モデルの浴衣姿の女性の艶(つや)と左手で団扇を持っている姿が、黒田独特のスナップショット画法で見事に作品化されている。

▼この絵のモデルは友人が紹介した芸者で、当時23歳の金子種子。のちに清輝の妻となり、照子と改名している。照子の回想によると、箱根に逗留しにきていたある朝、旅館から湖畔に降りると、黒田がそこの岩場に座ってくれと言い、一切下絵を描かずに一気に描きあげたという。明治30年1898年の作品である。日清戦争の4年後、日露戦争の6年前のことだ。

▼エルニーニョ現象でどうなるかはわからないが、そろそろ本格的な夏の到来だ。それを前にして、千葉県南部で特産の「房州うちわ」作りが最盛期を迎えている。房州うちわは「京うちわ」(京都市)、「丸亀うちわ」(香川県丸亀市)と並ぶ日本三大うちわの一つとされ、国の伝統的工芸品に指定されている。

▼この房州うちわを例にとってみよう。細い竹の丸みを生かした握りやすい柄。「窓」と呼ばれる美しい格子模様が特徴。山での竹選びから骨組み作り、和紙や布の貼りなど21の工程があるそうだ。明治時代に始まり、昭和初期には漁師町の女性約千人が内職仕事として手掛けていたが、後継者不足で現在の工房は5軒ほどだという。価格は大きさや材質によって違い、税別で900円から2万円と、かなり値幅が広い。

▼うちわの語源は、「 打ち(うち)+羽(は)」の「打ち羽」が由来という説がある。 「打つ」は叩くような動作をすることからと考えられ、ハエや蚊などの虫を打ち払うことから「打つ羽」→「うちわ」となったのが一般的な説。

▼日本では「打ち羽」、中国では「団扇」という漢字が使われていたようだが、もともと中国からの伝来で、平安時代には団扇と明記されるようになっていったようだ。ちなみに、「団扇」の扇という文字には貴人の顔を隠すという意味の言葉があったらしい。中国由来の熟語としては、団」は「まるい」を意味する。「だんせん」と音読みもする。

▼当初日本では儀式的な用途などが多く、江戸時代にはいって一般大衆に普及し、町民文化が花開くとともに涼や炊事、装いや流行、蛍や虫追いなど、さまざまな場面で利用されるようになった。

▼明治時代以降は、美しい図柄の団扇は外国人に高い評価を得て盛んに輸出された。昭和40年代以降、扇風機やクーラー、ガスや電気のコンロの普及など、生活環境の著しい変化により実用面は縮小するものの、まだ細々とながら生き続けている。「手づくりの涼」を好むのは、粋(いき)だ。

▼実は、「扇」という漢字はもとは団扇(うちわ)のことを指したのだ。「扇子」も同様。それが団扇より後に日本で発明された「あふぎ」(おうぎ)にも、ほぼ同じ用途から「扇」の字が当てられるようになり、現在に至っているということだ。

▼団扇や扇子などは、あおぐことで田畑の害虫を駆除したり、悪病を払ったり、門口に貼ると夏の病を防ぐと信じられている。いわば儀礼を通り越して、祈祷に近い効力も持っているとされていた。東京は府中に、大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)というのがある。例の、日本の最初の統一国家であった原大和朝廷の始祖、ニギハヤヒを祀った神社だ。ここには、授与品に、烏団扇がある。黒い八咫烏が大きく描かれた扇子だ。

▼団扇にしろ扇子にしろ、舞踊においても、用途は非常に多い。全員が手にする場合は同じ図柄をもつことで集団を表し、踊りの際は拍子などとり、休息時には涼を求める。特定の者がもつ場合は、警護など役がつき踊り全体の差配など行う。

▼さて冒頭の房州団扇だが、これは良質の竹の産地であった江戸時代を経て、明治17年1885年に、岩城惣五郎が東京から職工を雇い、生産を始め、安房郡の一大物産としたとされている。

▼竹の丸みそのままを活かした「丸柄」と、48~64等分に割いた骨を糸で編んで作られる半円で格子模様の美しい「窓」が特徴。確かに、丸いと握り易いのだが、残念ながら個人的にはあおぐときには、意外にあおぎにくい気がするのだ。

▼日本三大団扇と言われるもう一つの丸亀うちわ(香川県丸亀市)だが、これは、竹を割って平らに削ってある。見た目、丸い柄のほうが美しく見えるのだが、いざあおぐとなると、平柄のほうがわたし自身はあおぎ易く感ずる。人それぞれだろう。

▼この丸亀団扇は、四国の金比羅参りの土産物として、朱赤に丸金印の渋うちわが考案されたことに始まる。神社側が創始したものらしい。また、江戸時代中頃に、丸亀藩が藩士の内職として奨励したことが、現在のうちわ作りの土台となっていると言われる。

▼残る有名どころでは、なんといっても京うちわ(京都市 他)だろう。南北朝時代、倭寇によって西日本にもたらされた朝鮮うちわが、紀州から大和を経て、京都の貴族たちの別荘地だった深草に伝わったのが始まりと言われる。

▼実は、この京うちわは、房州うちわや丸亀うちわと違って、柄が中骨と一体ではなく、後から取り付けられる点が特徴なのだ。

▼長々と団扇(うちわ)のうんちくを垂れ流してきたが、驚くのは早い。扇子(せんす)のほうだが、紙を折りたたんで制作される扇子は、実はこれ、先述したように日本で創始されたものなのだ。木など、ほかの素材で扇子の形状のものは、日本以外でもあったようだが、この紙の扇子は、明治期以降、それこそ日本から世界に伝播していったものだ。

▼最近では、どこへいっても、冷房があるので、扇子など用無し状態、絶滅危惧種かと思っていたら、どうやら近年は、クールジャパンなのか知らないが、百貨店でもけっこう力を入れているらしく、お洒落目的に使われている由。

▼扇子の使い方で、父親から言われたことを一つ。扇子を全開したら、これから先が無いので、これ以上運が開けなくなる。だから、今後、運がさらに開くように、残りの部分を少しだけ残して使え、と。

▼敢えて完璧な状態にしないという、日本人ならではの「粋」である。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄



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