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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第319回・日本人とユダヤ人

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【閑話休題】第319回・日本人とユダヤ人

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-08-01 16:45:00]

【閑話休題】第319回・日本人とユダヤ人

▼すでに明治時代から、日ユ同祖論という考え方はあった。日本人とユダヤ人の祖先が同根だというものだ。祖先が同じというと語弊がある。明らかに別の民族だ。ただ、日本人というものが、各種民族の坩堝(るつぼ)のような混淆をしているために、ユダヤ人がその混入した一つの血族である可能性は否定できない。

▼いきなりだが、代表的な日ユ同祖論の根拠とされている点を紹介してみよう。北海道の日本海沿岸の民謡に、誰でも知っている「ソーラン節」というのがある。「ヤーレンソーラン」というあれだ。もともと、ニシン漁の際に唄われた「鰊場作業唄」の一節、「沖揚げ音頭」が分化し、独自に変化したものだ。

▼問題は、その「ヤーレン」と「ソーラン」だ。地元の誰に聞いても、その意味は誰もしらない。ところが、それを聞いて、すぐにわかる者がいる。ユダヤ人だ。ヘブライ語では、ヤーレンは、「歌う」。ソーランは「梯子」。ニシン漁では、ニシン小屋の梯子に上り、天窓から、産卵のために大挙してやってくるニシンの大群接近を発見し、その豊漁を歌ったのである。

▼ただ、北海道における和人の歴史は短い。アイヌ語でもない。古代ユダヤ人が北海道にすでに到達、入植していたことなどない、というのは、こうなると先入観と固定観念でしかないことになる。

▼この種の、「意味不明」の言葉に、古代の謎が隠されていることは多い。たとえば日本中どこでも、一般的な祭りでは、神輿をかつぐとき、「エッさ、エッさ」と掛け声をかける。
エッサとは、ヘブライ語で、「運ぶ」という意味である。だから、ユダヤ人が日本の神輿担ぎを見て、その掛け声に、まったく違和感を覚えないのだ。どころか、自国の言葉で神輿を担いでいるようにしか聞こえない。

▼日本語とヘブライ語には、さまざまな類似点がある。そもそも、文字そのものが似ている。たとえば、カタカナの日本語とヘブライ語の表記方法には、まったく同じものが多いのだ。

コ、ク、カ、フ、レ、ル、ノ、サ、ワ、リは、両者まったく同じである。
あとは、「ひらがな」では、「ひ」「そ」「ふ」だけがまったく同じである。

ヘブライ語に母音印をつけた場合、まったく同じになるのが、ラ、ナ、ウ、ソ、そしてひらがなの「あ」である。

また、向きが違うだけで、ほぼ同じなのは、
カタカナでは、ヒ、シ、へ、ト、イがそうである。

50音のうち、23音が同じなのだ。同じ系列の言葉で、地域性も近ければ、そういうこともあろう。しかし、9000kmはなれたヘブライ語と、これほどの文字の近似値は、説明がつかない。途中、似た様な傾向のある民族言語は、存在しない。ただ、われわれは漢字が中国から移入されるまで、文字を持たなかったと言われてきたので、カタカナとヘブライ文字との類似性は、矛盾することになる。果たして、日本人は本当に漢字以前に文字を持っていなかったのか。この先入観も、ある意味真実を見る目を邪魔しているかもしれない。

▼紀元926年に分裂したイスラエルは、紀元前586年には、完全に滅亡している。12支族のうち、10支族が忽然と消えた。みな、東方を目指した、と伝承されている。(聖書外典 第四エズラ書)

▼その支族たちが、ユーラシア大陸全般に散ったことはいうまでもない。この「失われた10支族」の末裔をつきとめようと、イスラエルの研究団体「アミシャイブ」は、すでにいくつかの支族の末裔を発見しており、(チベットその他)DNA鑑定まで行って、それを立証している。

▼以前、閑話休題では、日本人と日本語のルーツで、主にマライ・ポリネシア語族との言葉の近似値について、何回かにわけて紹介したことがある。しかし、日本人は極東の文化のふきだまりであるから、世界中さまざまな渡来民族があってもおかしくはなく、宗教のテーマでも以前、「稲荷」が古代ネストリア派キリスト教の伝来であった可能性が高いことも紹介したことがある。日本語とヘブライ語の近似値や、日本人とユダヤ人の近似値というものは、マライ・ポリネシア語族と同様に、驚くべきものがある。

▼言葉で見てみよう。たとえば、・・・
(左が日本語、右がヘブライ語だ)

あなた→アタ
明らかにする→バレル
穴→ホル
寒い→コオル
果汁→ミツ
減らす→ヘスル
話す→ダベル
宿る→ヤドゥール

挙げていくと、結構切りがない。

帝(みかど)→ミカドル(高貴な人)
尊(みこと)→マクト(王、王国)
禰宜(ねぎ、つまり神職)→ナギット(長、司)
主(ぬし)→ヌシ(長)
侍(さむらい)→シャムライ(守る者)
槍(やり)→ヤリ(射る)
滅ぶ(ほろぶ)→ホレブ(滅ぶ)
忌む(いむ)→イム(ひどい)
駄目(だめ)→タメ(駄目、汚れている)
辱める(はずかしめる)→ハデカシェム(名を踏みにじる)
憎む(にくむ)→ニクム(憎む)
庇う(かばう)→カバア(隠す)
許す(ゆるす)→ユルス(取らせる)
困る(こまる)→コマル(困る)
住む(すむ)→スム(住む)
積もる(つもる)→ツモル(積もる)
凍る(こおる)→コール(寒さ、冷たさ)
座る(すわる)→スワル(座る)
歩く(あるく)→ハラク(歩く)
測る(はかる)→ハカル(測る)
取る(とる)→トル(取る)
書く(かく)→カク(書く)
訛る(なまる)→ナマル(訛る)
商う(あきなう)→アキナフ(買う)
有難う(ありがとう)→アリ・ガド(私にとって幸福です)
火傷(やけど)→ヤケド(火傷)
匂い(におい)→ニホヒ(匂い)
肩(かた)→カタフ(肩)
童(わらべ)→ワラッベン(子供)
辺り(~のあたり)→アタリ(~のあたり)
終わり(おわり)→アハリ(おわり)

ダベルなどというヘブライ語は、われわれが日常、「ダベる」、と称する不可解な俗語と同じなわけだが、多くの人がそういえば、いったいこのダベるという日本語はなんで、ダベるというのだろうか、と一度や二度は不可解に思っているはずだ。

▼以前、稲荷の紹介をした折にも述べたように、日本にネストリウス派の古代キリスト教(景教)を伝えたのは、弓月国(現在のカザフスタンあたり、シルクロード上にある)から渡来した19万人もの人々の支配層、秦氏だとした。当時の日本の人口が、推計600万人であるから、大変な大集団である。

▼現在の京都にも、太秦(うずまさ)といったように、秦の名は残されている。そもそも太秦とは、ヘブライ語で、「光の賜物」という意味だ。ウズが「光」、マサが「賜物」である。

▼秦氏の祖先は、秦河勝という人物だとされている。聖徳太子を支援した人物として知られる。そしてこの秦河勝が、晩年移り住んだのが、兵庫県赤穂市であり、そこには大避神社(おおさけ)がある。

▼そこにはなんの変哲もない井戸が一つがあるが、その井戸はイサライの井戸とも、ヤスライの井戸とも呼ばれている。井戸の中は、12の石柱によって固められており、この12とは、全12支族を意味するという。神社側でも、伝承として祭神そのものが、イスラエルの神とされてきたことを認めている。

▼日本の仏教、とりわけ密教はかなり中国で一大ブームとなった景教(古代キリスト教・ネストリウス派)の影響を受けていることは、すでに紹介済みだが、仏教全般においてもそれは言える。

▼中国は敦煌で発見された景教の大司教の壁画がある。その右手は、親指と中指の先をつけあわせて円をつくり、他指は伸ばしたもので、一種の密教でいうところの印を結んでいる。この印は、敦煌では、三位一体を示す印だという。

▼日本の広隆寺(秦氏が、聖徳太子のために建てた寺だ)の有名な弥勒菩薩は、右手でこの印を結んでいる。

▼先の大避神社(兵庫)は、京都・広隆寺近くの大酒神社がその発生起源と考えられるが、もともとは、大避神社と言ったようだ。ところが、この避という字だが、中国語で「大辟」と書くと(つまり、「シンニョウ」を取ってしまうと)、「ダビデ」の意味である。つまり、大酒・大避神社は、ダビデ、あるいは、イエスを祀ったのではないか、と言われる所以である。同じように、秦氏が全国に伝播した、稲荷、八幡という圧倒的な日本の大勢を占める神社群はすべて秦氏のものである。

▼この秦氏には、12の数字がついてまわる。現在の赤穂にやってきたのが、12日。
12人の家臣をつれていた。12隻の船だったという。広隆寺の牛祭りも、大避神社の祭りも12日に行われる。供物は魚12匹。大根12本。

▼平安京は、桓武天皇が開いたが、これは秦氏が開拓した広大な山城国であった。平安京とは、文字通り平安の都の意味だが、エルサレムの古称である「イエル・シャライム」も、「平安の都」の意味である。平安京は、秦氏の経済援助がなければできなかったことは間違いない。

▼ただ日本にユダヤ人が渡来していたと仮定して、なにもネストリウス派のキリスト教だけではなかったかもしれない。いわゆるキリスト教の大本である、ユダヤ教も少なからず入ってきていたとしてもなんら不思議ではない。

▼日本各地に伝わる天狗伝説だが、いわゆる修験者の格好をしている。修験者というと。頭には、兜巾(ときん)といって、小さな黒い箱をつけているのは、よくご存知であろう。
天狗もそうである。右手には、風を起こす団扇を。そして、左手には、山で修行をした者に与えられる「虎の巻」を持っているのがふつうだ。

▼まずこの兜巾だが、ユダヤ教では、修行者は四角く黒い小さな箱を頭に、同じようにつけている。ヒラクリティと呼ばれるものだが、その中には、戒律が入っている。そして、ヘブライ語で書かれた旧約聖書は、現地では巻物である。このもっとも大切にされている巻物の旧約聖書のことを、ヘブライ語では「トーラー」の巻物(トーラー・スクロール)と呼んでいる。トーラー、は虎ではないようだ。その意味は、ヘブライ語で「教え」である。

▼古代ユダヤ人たちは、信仰の修行を山で行っており、日本に渡来した秦氏たちも、それを励行したことであろう。土地の住民たちは、鼻の高い異国人たちが、頭にヒラクリティをつけ、山で修行をし、その証に虎の巻(トーラー=教え、の巻き物)を信者に与えていたのである。それが、日本古来の山岳信仰を融合して生まれたのが、この天狗の風体であったかと推測される。

▼それまで日本になかったいわゆるハイテク技術(絹生産、製塩事業、河川の築堤技術など)を持ち込み、数々の「奇蹟」を見せた異国人たちに対する畏敬の念も含まれていたことだろう。

▼日本の神社で、濃厚にユダヤ的な色彩を未だに残しているのは、日本最古の神社の一つである長野県諏訪大社だ。その十間廊といういわゆる拝所は、古代ユダヤの礼拝所である幕屋とまったく、入口・出口の方向、縦横の長さが完全に一致する。使われ方も、中に神輿(現地では「聖櫃(アーク)」を同じ場所に祀ってある。神輿(聖櫃)は、二本の棒で運ぶ点などは、日本全国の祭りでも共通している。

▼そもそも日本の長さの単位である一間( 176cm)は、古代ユダヤの長さの単位、1キュビット( 44cm)のぴったり4倍である。世界にこのように、1キュビットの整数倍の長さの単位というものは、ほかに存在しない。

▼また諏訪大社の有名な御柱祭(おんばしら)は、日本でも奇祭のうちに入るが、10tもの大木を山から落とし、それを境内に運ぶのだ。この祭りは、古代ユダヤにあったものと同じだ。いわれは、もともとソロモン神殿をつくるために、レバノンから大木を切り落とし、運んだ故事がもとになったものだ。

▼古代ユダヤ人は、木に神が宿ると考えていた。その神の名は、アシラという女神だが、これが、おそらく諏訪大社の御柱(おんばしら)、つまり、「はしら」の語源ではないか、と言われている。この概念は、日本の各家庭の「床柱」にまで及んでいる。家の中心をなす柱には、神が宿るのだ。

▼諏訪大社には、もっと奇怪な祭りがある。御頭祭(おんとう)である。鹿の頭部、75頭分を捧げるのだ(とても日本的な発想ではない。)。しかし、明治以前行われていた本来の御頭祭りは、もっと違っていた。8歳の子供を生贄として縛り付ける。神主が、刃物で子供を刺そうとする。それを別の神主が止めるという祭りである。その代わり、75頭分の鹿の頭部を捧げるのだ。

▼このプロセスは、聖書そのものである。子供が生贄にされるところ、主の使いが現れて救うというものだ。創世記第22章 アブラハムとその息子イサクの伝承である。ただ、そこでは羊を代わりに捧げている。ただ、この話の舞台となった場所の名はモリヤである。
そして、諏訪大社の御神体とは、守屋山(もりややま)である。現在イスラエルの中心は、エルサレムのモリヤである。

▼諏訪大社にはさらに、ユダヤとの関連性を裏付ける祭りがある。最大の神事である、御神渡(おみわたり)である。凍結した諏訪湖は、神が湖を渡った験(しるし)であるとして、氷上で神事を行うのだが、これと似た話は、新約聖書に出てくる。有名な、イエスがガリラヤ湖の上を歩いてわたってきた、というあの説話だ。

▼しかし、気象学ではイエスが生存していた頃のガリラヤ湖は、凍結しており、イエスは水の上を歩いたのではなく、実際には凍結したガリラヤ湖を歩いて渡ったことが立証されている。

▼天皇家の先祖を祀った伊勢皇太神宮はじめ、下は天狗(魔王)を祀った京都は鞍馬神社など、各所にダビデの星を見受けられることがあるのも、ただの偶然ではないのだろう。公式の歴史では、日本とユダヤ、あるいはイスラエルというのは、あまり直接的な接点が多くない。ほとんど関係がないといってもいいくらいかもしれない。しかし、遥か時空を超えた昔、統一国家をなして以降、飛躍的な日本化が進捗していくのに、絶大な添加剤となったのが、もしかしたら弓月国から大挙して渡来してきた、ユダヤ人たちだったのかもしれない。

▼ちなみに、雅楽の世界では秦姓が代々、その文化を営々と継承してきたケースがかなり多い。雅楽の家元たちは、みなそれが秦氏によって日本に持ち込んだものであるということを、みな知っている。朝鮮でも、中国でもないのだ。

▼仏教で言う、三法(三宝)も、仏法僧の三つとされてきているが、もしかすると、本来はキリスト教の三位一体のことかもしれない。いずれにしろ、日本の古代史に関しては、よほど先入観や固定観念を捨ててかからないと、とてもではないが太刀打ちできないようだ。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄




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