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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第358回・大黒さま

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【閑話休題】第358回・大黒さま

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2015-04-24 15:26:00]

【閑話休題】第358回・大黒さま

▼京都は下京区下松屋町通り五条下る藪之内町に、蓮久寺がある。怪談和尚の異名で知られる三木大雲住職の寺だ。建物は、二代目島原の吉野太夫が寄進したもので、その赤門は文化財である。吉野太夫は元和5年1619年、徳川幕府開闢5年目のときに、14歳で太夫に上りつめたという、大変な女性である。

(京都日蓮宗光照山蓮久寺)

▼もともと三木住職は、兄が実家の寺を継いだので、長く困窮生活を送ったそうだ。そこに、この蓮久寺の住職の話が舞い込んだということらしい。檀家は三十そこそこというから、まず資金的には寺が存続すること自体難しい。京都では、檀家が150は無いとやりくりがつかない、という。いつも資金繰りに困っていたが、大黒さんが寺に登場してから、なんとなく資金繰りが自然に回っていくようになったという。その話だ。以下すべて、ネットラジオで聞いたものを、書き下ししたものだ。

(蓮久寺のホームページ)

http://renkyuuzi.gionsyouja.com/

▼大変霊験あらたかな大黒天ということで、知る人ぞ知る大黒天だ。最近では参拝者が大勢あるらしい。最初にお断りしておくが、参拝で訪れる場合には、あらかじめ電話で連絡を入れていただきたい。最近は住職も忙しくしているようなので、事前に連絡を入れなければ、参拝することも叶わない。普段、本堂は閉まっている。観光スポットではないので、参拝(つまり、祈祷することになる)にはそれなりのお布施もお願いしたい。

▼さて、大黒さまの話だ。事の始めは、三木住職が蓮久寺に家族とともに「赴任」してきてすぐのことらしい。それまで托鉢などで生活していたので、蓄えなど何もない。夫婦で、困ったねえ、困ったねえを繰り返していた時分だそうだ。

▼ある夜、妙な夢を見た。寺に、見知らぬ男がやってきた夢だ。大きな袋を背負い、手にはカナヅチを持っている。

▼「なにか御用ですか」と聞くと、その男は出て行こうとした。袋からなにやらものを落とした。「落としましたよ」と言うと、「ああ、それくらいならあんたにやるわ。」といって出て行った。

▼これは夢なのだが、ふとこの夢から覚めたとき、住職はなんと布団の上に正座をしていたのだ。その姿勢のまま、夢を見ていたことになる。普通そういうことはない。夢遊病でもなければ、ありえない話だ。

▼住職本人もびっくりしたらしい。思い返すに、あの男性の格好というのは、どう考えても「大黒天」の風体にオーバーラップする。しかし、蓮久寺の本尊には、大黒天がもともとない。「赴任」したばかりだから、寺の隅々までよく知っているわけではない。そこで、夫人や子供たちを総動員し、「この寺のどこかに、大黒天があるはずだ。探せ。」と家族で探し回ったところ、とんでもないところから出てきたらしい。

▼かなり古いもので、木製の大黒天は相当傷んでいた。これは修復しなければならない。しかし、仏師に頼んでもふつうのものと違って料金が高い。寺には金がない。困った。

(修復前の大黒天)

(修復後の大黒天)

▼そこで、これ以上痛まないように、出入りしている仏壇屋さんに頼んで、預かってもらうことにした。お金を蓄えたら、あらためて修復しようというつもりだったのだ。

▼ところが、その仏壇屋さんは、3日目に大黒天を返してきた。「この大黒さん、絶対おかしいわ。」と言う。聞けば、仏壇屋さんが大黒天を持ち帰ったところ、その途端に、毎日飛ぶように仏壇が売れるというのだ。

「仏壇なんちゅうもんは、そうそう毎日飛ぶようにぼんぼん売れていくものと違う。これはおかしい。この大黒さん、おかしいわ。」

▼気味が悪くなったのだろう。もっと困ったのは、住職だ。そこで、若手の知り合いの仏師に保管してもらうことにした。お金ができたら、彼に修復をお願いしよういう算段だったらしい。若手だから、早々仕事も多いわけではないから、比較的安い料金で請け負ってくれるだろうとも考えた。

▼1週間後、その仏師も大黒を返してきた。「これ、おかしいです。」同じことを言う。聞けば、「ご存知のように、まだわたしは若輩、未熟なので、そんなに仕事がありません。ところが、大黒天を持ち帰ったとたん、毎日のように仕事が舞い込み、とてもではありませんが、対応不能になってしまいました。」という。

▼仏師は、木箱に大黒を入れ、乾湿制御の機材などもつけて返してきたそうだ。寺で保管したほうがよい、という。

▼さて、いよいよ困った。吉野太夫寄進の赤門は、文化財であるから、この修復もばかにならない。どうしたものか、と思っていたとき、ある男性がぶらりと寺にやってきた。

▼豚かなんぞの陶器で出来た貯金箱を抱えていた。

「こちらで、大黒さんを修復する費用に困っているとうかがったもので。」

喜捨してくれるというのだ。住職は御礼を述べた。一体どこでそんな話を聞いたのか、というと、仏壇屋さんの筋から、小耳にはさんだらしい。

「いや、わたしも大変お金に困っているので、よくわかります。今わたしに残っているのは、これだけなんですが、つかってください。」

男性は豚の貯金箱を叩き割るとお金がたくさん出てきた。二人で数えると、10万円以上はある。これを全部寺に喜捨するというのだ。

「お金に困っているというお話を聞いた以上は、こんなにいただけません。ほんの少しいただきますから、あとは全部お持ち帰りください。」

住職はそう言ったが、男性は、全部寺に喜捨すると言ってきかない。自分には、まだ1万2000円あるから、これで充分だといって、帰っていった。

▼その15分後である。その男性から電話が入った。京都駅まで歩いている途中に、スクラッチを売っているのを見て、所持していた1万2000円で全部買ったのだそうだ。その場で、結果がわかるらしいが、大当たり。それで住職にすぐ電話してきた。

「今すぐ戻って、これも喜捨します。」
「いえいえ、それは大黒さんが、あなたに御礼の意味で授けてくださったのでしょう。ご自身でお持ちになってください。」

男性は納得しがたかったようだが、そのまま持ち帰ったようだ。

▼実は、ずっと後になってから判明したとんでもない事実がある。この男性、長らく姿を見せなかったが、ある日、ひょっこり蓮久寺を訪れた。その話が衝撃的である。

▼男性は、スクラッチで当たったお金で、その足で競馬場に行ったのだ。本人曰く、生まれてこのかた一度も、競馬をやったこともなく、興味もない。それで、なにがなんだかわからないから、適当な数字を考えて、全額(スクラッチでいくらもうかったか不明だが)を一点張りで賭けた。なんと、それが万馬券。結局、(もともと一戸建てを所有していたらしいが)それを壊してビル一棟を建てなおし、賃貸収入で食べていると。

▼それだけではない。実はこの男性、蓮久寺に豚の貯金箱を持って訪れたとき、自殺するつもりだったのだと告白した。事業の失敗だろうか。いずれにしろ、自殺すれば、家族もなにもすべて丸く収まるということだったようだ。

▼で、死ぬ前になにか一つくらい、なにかいいことをして、あるいは役に立っておきたいということで、たまたま小耳にはさんだ連久寺の大黒天のことを聞き、蓮久寺がその修復費用に困っているというのであれば、多少なりとも助けになるだろうと、そういうことで訪れてきたのだそうだ。

▼蓮久寺は、このほかにも不思議なことがよく起こる。恐らく住職が、昔から(といっても非常に若い方だが)不思議なものを見たりする人なので、その類を呼んでしまうのかもしれない。

▼あるとき、ビルの建て直しをしている建設業者から連絡があり、屋上の七福神の祠(ほこら)を御性根抜き(御性抜き、おしょうぬき、魂抜き)してほしいということだった。住職は、行ってお経を読んで、御性根抜きをした。七福神は奇妙なことに、五体しかなかった。

▼そこで、五体を引き取ったのだが、その直後、今度は別の建設業者から同じように、ビルの建て直し中なのだが、屋上の七福神の祠を壊すので、御性根抜きしてほしいと依頼があったのだそうだ。

▼重なるときには重なるものだと思いながら、現地に行くと、こんどは七体あるはずが、二体しかないのだ。御性根抜きをして、その二体を引き取ってきた。

▼先に引き取った五体と併せると、なんと、ダブることなく、ぴったり七福神がそろっている。しかも、最初の五体と後の二体は作者が違うので、統一性はまったくない。

▼住職は、普通この後、仏像の廃棄を請け負う業者に委ねるのだが、これはきっとうちの大黒天が仲間を呼んできたということだろう、と思い、蓮久寺に七体そろって祀っているそうだ。

▼このほかにも、蓮久寺には不思議がある。これは怪談なので、詳細は省く。要するに、よそから女の子の幽霊を連れてきたのだ。行くところがなく、往生もできず、この世をさまよっている女の子の幽霊で、とあるマンションに出没していたものだ。住民たちが困って、ビルの所有者にクレームをつけたので、そこから話が回ってきたのだ。

▼そこで、住職が「行くところがないなら、うちのお寺にきなさい。好きなだけいればいい。やがてそのときがくれば、自然とあっちに行くことができるでしょう。」そしたら、ほんとについてきたのだ。

▼以来、その女の子は寺にいる。夫人が、外出などから帰ってきて、玄関を開けると、どこからともなく女の子の声で「お帰りなさい」と言われて、びっくりしたとか。子供たちが、友人らと寺で遊んでいたところ、みんなが「おまえんちの、あの女の子、だれ?」と口々に言うそうだ。トイレから出てきたとか、廊下を歩いていたとか。

▼檀家が寺を訪れたとき、「住職、墓のほうで小さな女の子が遊んでいたけども、あれは住職の身内ですか?」と聞かれることなどしょっちゅう。そこで「ええ、遠縁の娘ですわ。」ということにしているそうな。

▼彼女が寺にいることで、いいことがあるかといわれれば、特段気がつくことは無い、という。ただ、悪いことも無い。もしかしたら、見えないところで、いいことをしてくれているかもしれない。いわば東北に多い「座敷わらし」的な存在になっている可能性はある。今でも、家族みんなが彼女を見かけたり、笑い声や、話声をよく聞くという。

▼ちなみに、この寺には、もう一つ、とんでもないものがある。「呪いの面」である。これも怪談なので、詳細は省くが、明治以降につくられた面らしい。寺に持ち込まれるまでに、さんざん因縁がある。今は、住職が毎日祈祷をしているそうだが、なにしろこの面のことを馬鹿にしたり、信じなかったり、その他もろもろ、直接かかわった人間が、軒並み即死しているので、この点含みおきいただきたい。関連づければ、関連づけられるし、偶然といえば偶然かもしれない。

▼ただ、木箱に納められているその面は、持ち込まれた当初、内側の下半分にドロのようなものが大量に付着していた。そのドロのようなものは、年月の経過とともに、どんどん無くなっていき、いまではほんの少ししか付着していない。面から取れたのであれば、木箱の中にツチやほこり、砂のようになってたまっているはずだが、木箱の中は最初の通り、綺麗なものである。物理的にありえないことだ。

▼住職曰く、「わたしには、祈祷を続けているうちに、面にこもった怨念のようなものが、だんだん薄まってきているような気がします。このドロがなくなってきているのは、そういう意味ではないか、と思ったりもします。」と。

▼さて、長々と蓮久寺の話を紹介してきたが、読者のうちにもし今後、ここ一番というところで、最後の手段に、蓮久寺を思い出してはどうだろうか。

▼口コミでこの大黒天のご利益(りやく)が凄いということで、御分体の要望が大きくなった。そのため、現在では、赤門にちなんで、「赤枡大黒天」としてそして御分体をいただけるらしい。金額は知らないが、ふつう、4-5万円前後からだろうと思う。

▼わたしのような邪まな心持ではなく、「真っ白な気持ち」ならば、ピンチに立ったときには、一度藁(わら)をも掴むような思いで、連久寺を訪れたらよいかもしれない。大黒天は、そういう人を見捨てはしないだろう。繰り返すが、必ず住職に先に予約の電話を入れておくことをお願いする。

(蓮久寺のアクセス)

▼蛇足だが、仏尊というものは、それが徳の低い天部であろうと、基本的に仏罰というものはない。これは、仏教理論の解釈にもよるが、まず、仏からあたえられる「バチ」というものはないのだ。よくバチが当たるというが、けして仏尊がわれわれに与えるものではない。

▼自然の根本、道といったものから外れた行いをすることにより、因果応報でその反作用が自分に返ってくるネガティブインパクトのことを、バチと呼んでいるだけで、仏はバチを与えない。仏は慈悲深いのだ。

▼怖いのは、神様のほうである。神罰は、あるようだ。これはかなり怖い。容赦がないといってもいい。しかも、じわじわと来るものはまずほとんどない。直撃に近い。仏さまは、少々の無作法があっても、笑って許してくれるが、神様のほうはそうはいかない。いきなり、やられるので気をつけよう。信じるか、信じないかは、あなた次第だ。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄



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