【閑話休題】
[記事配信時刻:2015-09-18 17:36:00]
【閑話休題】第383回・日本滅亡と移民
▼欧州ではとんでもないことになっている。中東(シリア、イラクなど)から難民が引きも切らず、地中海から、あるいはまたバルカン半島経由でおびただしい難民が欧州を目指している。目指すは、もっとも経済的に豊かなドイツである。
▼この事態に、世界中で人道の名においた難民受け入れの動きが高まっている。ずっと離れたオーストラリアまでが、手を挙げている。
▼日本では「似非(えせ)」平和主義者を称する人が多い。安保改正法案に断乎反対といっては、国会前に3万人も押し寄せる頭のおかしな、暇な人間がいるというのに、どういうわけか、「難民を受け入れよう」といった声は、先進各国に比べて、ほとんど聞こえてこない。しかも、この暇人たちは、いまだかつて、中国大使館やロシア大使館に、3万人で押し寄せて抗議デモをしたためしなど一度もないのだ。だから、わたしは「似非」と呼ぶ。
▼なにもわたしは、「日本人というのは、自分さえ良ければいいという、はなもちならない人種に成り下がっている」などと、正論然とした綺麗事を言っているのではない。
▼異論があるのはわかる。たとえば、あれは「政治難民」ではなく、「経済難民」が大部分を占めているという意見だ。難民受け入れといっても、あっちの国にいったら、豊かな生活ができるから逃げようというのは、経済難民だ。これに対して、政治難民というのは、命の危険があるから、逃げようというものだ。
▼中東では、イスラム国がはびこり、テロが頻発し、内戦状態であるから、政治難民が発生している側面は確かにある。が、現実に急迫する危険があるのかと言われれば、まだ政府はどこでも、支配地域を有しているわけで、完全に崩壊した無政府状態でもなければ、一方的な独裁による国民弾圧が行われている域には達していない。
▼危険は危険だが、この危険性はどこでも歴史上つねに発生してきた危険から逸脱しているわけではない。従い、経済難民の色彩のほうが遥かに大きいと思う。
▼欧米先進国がこぞって難民受け入れをしようというときに、日本の中における、左右両派ともに、政府も国民も、全体的に及び腰になっている、あるいはどこか醒めた目でみている、眉をひそめがちな状況となっているのは、この経済難民的な性格が強いと認識しているためだろうと推察する。そんなものを受け入れていたら、キリがない、というやつだ。
▼経済難民と政治難民と、どこで線を引くのかといわれれば、非常に不分明なことは確かだ。シリアのケースは、同情に値するほど国体そのものが破綻に瀕しているのも事実だろう。しかし、そのような国は、シリアだけではない。アフリカにはごまんとある。
▼戦争が長引けば長引くほど儲かる仕組みの企業は、欧米に集中しているのも間違いないはずだ。そして、誰も、北アフリカや中東への武器輸出を、海上封鎖で根絶しようという声は上がらない。この奇奇怪怪な国際政治の中で、まともに人権や道義を全面に出すくらい、馬鹿馬鹿しいと思うのも、これまた無理からぬものがある。
▼しかし、考えてみたらよい。日本から米国へ、あるいは南米へと、多くの移民が海を越えていったこの150年ほどの歴史を。ほぼすべてが経済難民ではなかったか。難民ですらないかもしれない。経済移民である。受け入れた側の国のことを、考えたことがあるだろうか。今、中東からの(事実上の)経済難民に、違和感を覚えたり、拒否反応を示す気持ちはわからないではないのだが、それはこれまで日本が移民を出してきた歴史を振り返ったとき、いささか手前勝手ではなかろうか。
▼ただ、受け入れる側の事情や需要さえ見合えば、経済難民であろうとなんだろうと、わたしは移民として受け入れるべきだろうと思う。ハンガリーやチェコなど東欧の小国では、今回の中東からの難民流入に、拒否反応を示しているわけだが、これまた無理はない。受け入れる態勢も、需要もないのだ。
▼それに対して、ドイツはかなり前向きに見える。よくドイツは、第二次大戦でユダヤ人を迫害したりして、ゲルマン優越主義をごり押しし、いわゆるゲルマン以外のジェノサイド(民族浄化)を行った反省から、逆に移民受け入れに積極的になのだ、という。つまり、贖罪意識だ。日経新聞ですら、そういう解釈を報道している。
▼しかし、わたしに言わせれば、そんなきれいごとでドイツのような頑固頭の田舎者が、リベラルな移民受け入れ積極化などするわけがない。そこには、それが絶対に必要だという事情が、ドイツに必ずあるのだ。
▼受け入れるドイツには、それによる大きなメリットがあるからこそ、積極的に受け入れようとしているのだ。そのメリットとはなにか? ドイツの人口減少が止まらないのだ。
▼今年6月の英国BBCの報道では、ドイツの出生率が世界最低になり、将来の労働人口の減少に繋がるとして、経済への影響が懸念されている。(逆に、爆発的に人口が増えるアフリカでは「人口ボーナス」による発展が期待されている。)
▼ドイツの監査法人BDOとハンブルグ国際経済研究所(HWWI)が行なった調査によると、ドイツの住民1000人当たりの出生数は、過去5年間で平均8.2人となり、日本の8.4人を下回った、とBBCは報じた。日本どころの問題ではないのだ。
▼ドイツでは、2030年までに20歳から65歳までの労働人口の割合が61%から54%に低下すると見られており、結果として賃金が上昇し、「長期的に見て、経済における優位性を維持できない」と、BDOは指摘する。
▼BDOは、若い移民受け入れとより多くの女性労働力の活用を提唱。しかしBBCは、ドイツ国内で移民受け入れ反対を掲げる政党(右派)が支持を拡大していることや、政府による子育て支援にもかかわらず出生率が上がらないことを挙げ、解決が難しいことを示唆した。
▼英エコノミスト誌は、都市の人口減少について報じ、多くの国において、多様な経済組織を持つ大都市の人口は増加するが、小さな都市の人口は減っていると指摘する。
▼それによると、人口の減少は、過去、アメリカ中西部、東欧、イギリス北部のような鉄鋼、繊維などの斜陽産業が集中する都市部で深刻化していたという。しかし現在は、アジアでも多く見られる現象で、急速に都市化する中国やインドでさえも、一部の都市ではすでに人口が減少中だというのだ。世界人口が激増していると言う中で、この事実は皮肉であり、まだ驚きでもある。
▼日本はどうかというと、ほとんど明確な人口対策が打たれてこなかった。国全体で「人口統計上のイス取りゲーム」をしているだけだったといってもいい。
▼2008年を境として日本の人口は減少するようになり、今後、減少速度は加速化していくと想定されている。2014年の年間減少数は25万人だ、2020年には年間60万人減少、2040年には100万人を超える減少までになる。
▼総人口の中でもとりわけ若年層人口の急減が進行する一方、高齢者の数は増え続けるというきわめて不健全な人口動態(デモグラフィー)が進行していく。年少者、生産年齢人口の減少と高齢者の増大によって、近い将来、日本社会の持続可能性が危ぶまれる状況へと陥る可能性も指摘されている。
▼ところが、日本は人口減少が始まった2005年から10年、惰眠をむさぼった。少子化に歯止めがかからず、人口の減少幅だけ年々拡大した。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)によれば、現在約1億2730万人の総人口が、2060年に8674万人に減り、2110年には4286万人にまで落ち込むと想定している。
▼近代以降の日本の人口の流れをここで確認してみると、こういうことになる。明治維新当時、約3300万人。以来、たった140年間で4倍。昭和初期からの75年間で2倍以上になっている。
(日本の人口推移~西暦800年以降、現在まで)
▼どういう筋の専門家だか知らないが、日本の適正人口は5000万ぐらいと言っているのを聞いたことがある。根拠は知らないが、江戸時代のような成長性ゼロで、完全なリサイクル社会であれば、それも理解はできる。それを今の、そして将来の日本人が納得できると思うか、ということである。
▼ちなみに、今の出生数でいくと100年後には、昭和初期の人口数に戻る計算になるわけで、さらにそこで下げ止まらず、今の出生率が続くとしたら、220年後に1000万人を切る計算になる。
▼われわれは、こうした未来図を何としても変えなければならない。政府がたどりついた結論は「移民の大量受け入れ」の検討であった。計算上は、毎年20万人の移民受け入れが、日本という国家の成長持続維持のためには、必要だということになっている。
▼米国の人口は、日本の約3倍である。その米国は毎年、安定的に100万から150万の移民を恒常的に受け入れている。1929年の大恐慌の惨劇の大きな一因(しかも、これは第二次大戦で米国が戦争を日独に仕掛けた最大の要因であった)が、移民を止めたことだったことから、それ以降、国是としてどんな経済状態でも移民流入を止めないということになっているのだ。
▼さすがにサブプライムショック後は、しばらく40万人ほどに減らしていたが。しかし、止めなかった。ベトナム戦争末期の惨憺たる社会情勢の中でさえ、止めなかった。
▼ということは、日本は毎年30万人から50万人の移民の受け入れをしてもよさそうなものだ。政府の20万人受け入れ試算や計画というのは、まだずいぶん「甘い」目標だということになる。
▼いやいや、日本とアメリカでは国土面積が違うからそういう同じ割合で移民受け入れなど現実的ではない、という声が多いだろう。しかし、考えてもみよ。世界中の人間60億人を全員、鮨詰め状態にしたら、驚くべきことに香港の中にすっぽり入ってしまうのだ。計算上の話だが。しかしこの試算で、いかに人間などというものが、ちっぽけなもので、国土が広いか狭いかは、あまり関係がないことがわかる。
▼実際、日本は狭い狭いというが、それなら、なぜ北海道は未だに開発しつくされていないのか。なぜ、日本中に過疎地域があり、「滅亡」する市町村が後を絶たないのか、説明ができないではないか。
▼やはり問題は、こうした国土面積の問題ではなく、大量移民の受け入れに伴う社会的混乱や、日本人が当面負担しなければならなくなるコストという、負の側面であろう。
▼ちなみに、「移民」という行政用語は日本には存在しないのである。政府としての定義は明確でない。一応、政府関係者は永住を前提として受け入れる人を「移民」としてとらえてきた。多くはいずれ日本国籍を取得しようとする人々である。誇張した表現をすれば、青い目、黒い肌の日本人になる人たちだ。
▼これに対し、「外国人労働者」とは出稼ぎ目的だ。企業の一時的な戦力として働き、仕事がなくなれば母国に帰る。好条件を求めて他国に職場を移すこともある。
▼これまでの外国人受け入れ論は、企業の賃金抑制策の視点から後者を指すことが多かった。企業が想定するのは、低賃金で働いてくれる20、30代の若者だ。「高齢になる前に母国に帰ってもらえばいい」といった都合のよい考え方である。
▼だが、このような発想で若い外国人労働者を次々と入れ替えたのでは、人口減少を食い止めるという量的問題は解決しない。つまり、企業が経営効率の視点で「外国人労働者」を活用するレベルの話と、労働力人口減少の・穴埋め要員・としての移民を大量受け入れする話では、根本的に次元が異なる。だからこの「移民」と「外人労働者」は、完全に分けえて考えなければならないのだ。
▼そして、より根本的な課題は、企業の経済合理性を中心にした、安い外国人労働者ではない。当然、国家の将来を見据えたときには、「移民」の問題である。日本人の出生率が伸びないで、移民を続けていけば、当然のごとく、日本の全人口に占める日本人の比率は低下し、やがては少数派になっていくことは自明である。その典型が、ロシアである。すでに、90年代にはロシア人と非ロシア人の人口バランスが逆転した。そのことが、ソ連崩壊の底流にあった最大の起爆剤である。
▼日本の総人口1億2千万人維持という政府目標は、合計特殊出生率が現在の1.41から2.07にまで上昇することが前提となっている。出生率が回復せず、2110年の総人口が社人研の予測通り4286万人まで減れば、ほぼ2人に1人が移民ということになる。それ以降、日本人は、日本において、人口的にはマイノリティ(少数派)になるという計算だ。旧ソ連のことを笑っていられない。
▼では、アメリカはどうか。これだけ長年移民を受け入れてきたアメリカだが、2011年の時点では、白人が総人口の78.1%を占めて大多数である。黒人は実は13.1%しかいない。その他が8.8%である。
▼ところが、アメリカで問題になっているのは、黒人よりむしろ人口バランスという点では、言語・文化の衝突ということから、ヒスパニック系かどうか、という区分である。非ヒスパニック系白人は総人口の63.4%。ヒスパニック系(白人、混血、黒人など服務)は16.7%である。従い、問題視されているわりには、まだ人口バランスでは伝統的なアングロサクソンを中心とした白人支配が揺らいでいないのである。これはかなり驚異的なデータだ。
▼もっとも、人口最多の州カリフォルニアでは、非ヒスパニック系の白人は39.7%であるのに対し、ヒスパニック系は38.1%、アジア系13.6%と拮抗。早晩、非白人の人口支配は覆されることになる。また全米最大の都市ニューヨークでも、非ヒスパニック系白人は33.3%、ヒスパニック系は28.6%と、次第に白人支配が揺らぎ始めている。
▼しかし、それでもアメリカは、依然としてアメリカであリ続けている。これを考えると、日本は、遥かに日本文化の同化力が強靭であるから、あまり移民流入によって日本が日本でなくなる日がくるなどと、警戒する必要は無いのではないかと思う。
▼また、日本が日本でなくなる日などという杞憂を今から心配するくらいなら、そんな日本など無くなってしまっても良い。そんな程度で失われる文化であれば、しょせん世界の歴史の中で、生き残る文化ではない、脆弱なものだったということだ。いらぬ心配は無用だろう。
▼言語も多様化するだろうし、宗教も入り乱れるだろう。しかし、日本の文化というものは、それら海外の非常に主張の強い文化性をことごとく「骨抜き」にする同化力があることを忘れてはならない。日本という国は、そんなに柔(やわ)ではないのだ。いや、逆かもしれない。柔らかいのだ。だから、老子が言い残したように、「柔よく剛を制す」である。
▼わたしは、日本と言う国が、積極的に移民を受けいれていっても、日本が無くなるとは毛頭思っていない。治安の悪化や、言語の壁、賃金格差や労働市場のゆがみなど、さまざまな問題は起こるだろうが、しょせんそれらを解決する手立てを行っていかなければ、国力が増進しない。問題があるからこそ、国家の力は練られていくのだ。
▼それよりわたしが危惧しているのは、黙っていて日本に移民がくるだろうか、ということのほうだ。アジアには、日本に移民しようという需要がおそらく無い。東南アジアやインドなど、大人口地域は、地元が成長経済の真っ只中にあるわけで、ことさら日本ごときに移民しなくとも十分自国で生活の向上、それも飛躍的な向上が期待できるのだ。
▼中国などは、むしろ日本と同じで、今後大変な労働力不足に見舞われてくることが決定的である。日本への移民が増大しようはずがない。
▼人口爆発のアフリカ人は言わずもがなだ。せいぜい、イスラム国の膨張で、国家破綻になりつつある中東から北アフリカの人たちが、今問題になっているような移民ラッシュになっているだけで、それも、圧倒的に身近な欧州を目指している。日本など、眼中に無い。
▼だから、将来日本を襲う最大の問題である人口減少という宿命を、今から予行練習していったほうが良いだろう。黙っていても、日本には当面移民が増大するような機会は訪れないということだ。移民がはいると、こんな問題がでてくる、あんな問題もでてくると、マイナス思考ばかりしていると、気がつけば、とんでもない縮小均衡過程に陥り、衰亡の一途を辿ってしまう。
▼イスラム教徒というのは、日本人にとっては、一番苦手な(というより、双方とも未知数の)相手だから、まだそれが少数移民であるうちに、この移民という洗礼を受けるべきだろうと思う。
▼人道や平和主義、あるいは開かれた国家などという、美辞麗句や上っ面のリベラル主義などどうでもよい。日本が日本として国力を増進させるのに、わたしはこの移民は必須要件であると思っている。移民を怖がっているくらいなら、しょせん日本はそのていどの国だ。移民を受け入れず、座してただ死を待つだけの滅亡がお似合いだとさえ思っている。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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