忍者ブログ

増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第392回・大人の時間〜原曲とカバー

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

【閑話休題】第392回・大人の時間〜原曲とカバー

【閑話休題】

[記事配信時刻:2015-11-20 16:46:00]

【閑話休題】第392回・大人の時間~原曲とカバー


▼今回のお題は、音楽である。というより、いつも文字ばかりを書き連ねているし、閑話休題にしてはやけに肩が凝ってしまう内容に偏りすぎているのが気がかり。そこで、音楽に耳を傾け、目と頭を休めていただこうというわけだ。

▼この欄を訪れる方の多くは、一番空いた夜のひと時であろうと思われるので、ここは夜の帳も下りる大人の時間に、いくつかの音楽を紹介してみようと思う。

▼紹介できる音楽といったら、しょせん自分の好みでしかない。その中でも、できるだけこの趣向に見合うような「大人」のひと時を演出できるようなものにしたつもり。

▼それも、あまり一般には知られていないものでなければ、この欄で紹介する意味もない。そこで考えたのは、「カバー」である。

▼原曲があり、それに対するアレンジが施された別人の演奏・歌唱による「カバー曲」ということだ。

▼ときには、原曲とまったく違った曲に仕上がっていることもあり、しかも、原曲より遥かに傑作、佳作となっているケースもある。カバー曲といっても馬鹿にならないのだ。

▼最初に、耳ならしに、今井美樹の「Sol y Sombra」を取り上げてみる。「光と影(スペイン語)」だ。だいたいわたしは今井美樹が好きではないから、この原曲を知らなかった。

▼ところが、アメリカのベテラン歌手、リタ・クーリッジが、なんと、この曲を英語でカバーしていたのだ。たまたまこれを聴いてみたところ、原曲と比べてみたくなって、改めて今井美樹のオリジナル版も聴いてみた。さて、みなさんは、どう思われるだろう。
(以下、URLはすべてYoutube。ネットで開けば、自動的に音楽が開始される。)

(リタ・クーリッジのカバー)

https://www.youtube.com/watch?v=EEXGWEHUkOY

(今井美樹のオリジナル)

https://www.youtube.com/watch?v=UbtianC9tK0

どちらも、ラテン、それもボサノバ風の曲調であるから、いかにも大人の雰囲気を醸し出しているが、どうもオリジナルは歌っている人間の力不足なのか、アレンジの悪さなのか、わたしには圧倒的にカバーのほうが優れもののように思えたものだ。

▼小気味よいパーカッションと和声の展開は、どう聞き比べてもカバーが勝っているようにしか思えない。どういうわけか、今井美樹のほうは、申し訳ないが「幼稚な」歌にしか聴こえないのだ。まあ、本来歌手ではないから無理もない。正直原曲のは、聴き始めて半分もしないうちに、眠たくなってしまった。ただ曲想としては、あまり差異は無いので、それほど劇的な違いは感じないかもしれない。

▼このカバーをつくる場合、多用されるのが、ラテン風にしてしまうという手段である。とくに70年代に世界を席巻したボサノバは、確かに大人の音楽である。「Sol y Sombra」は両方とも、ボサノバ風だが、明らかにその仕上げ方はアメリカのカバーのほうが、一枚も二枚も上手に思える。

▼ラテンというリズムは非常に不思議な音楽性を備えている。ダンスをすればすぐにわかる。欧米の各種のダンス・ジャンルは、ブルースが基本とすれば、そのリズムは、2拍目、4拍目と偶数拍にある。(ワン)トゥー(ワン)トゥーと、トゥーのほうにストレスがかかっているのだ。(ずん)ちゃ(ずん)ちゃ、と言ったほうがわかりやすいか。

▼ところが、ラテンのダンスというものは、典型的なものはルンバであろうが、ワン(トゥー)、スリー、(フォー)、ワン(トゥー)、スリー、(フォー)と、一拍目(奇数拍)にストレスがかかっており、ワンからいきなりステップを踏み出すのだ。

▼だから、ラテン・ダンスが欧米のダンスと決定的に違う点というのは、「かかとを絶対にフロアにつけない」という原則があることだ。

▼つまり、常につま先立ちで踊り続けるのが、ラテンなのである。当然姿勢は、気持ち的には前傾に近い。そのまま静止すれば、当然その姿勢を維持するためには、腰がぐっと上にあがる。欧米のダンスが、どっしり腰から背中に重心があるのと違い、ラテンは重心が体の前面にあるのだ。

▼ラテンの場合、「足が歩く(ステップを踏む)」のではない。「腰から歩く」のだ。体の中で、一番最初に腰から一拍目に前へと繰り出す。足はその腰に「引きずられる」だけなのだ。そうするとどうなるかというと、自然に尻が上がったまま、足はやや内股気味に前に引きずられてくる。だから、見た目に非常にセクシーに見えるのだ。これがラテンだ。

▼この一拍目からステップを踏み出すというのは、人間にとって生理学的にはきわめて不安定で、不自然である。しかし、だからこそ非日常的なムードを生むこともできる。ラテン音楽の曰く、言い難いエロチシズム、言い換えれば大人の感覚というものは、この「不自然」で、「不均衡」なリズムの取り方ゆえである。

▼ずいぶん今では懐メロになってしまったが、60年代にイタリアのトニー・ぺリスという歌手が歌った「Quando、Quando、Quando(クアンド、クアンド、クアンド)」という名曲がある。

▼当然、イタリア語なのだが、これを後に、英国の実力派歌手のエンゲルベルト・フンパーディンクが、英語でカバーを出した。どちらも、それぞれ世界的にヒットしたから、おそらく聴けば、若い人でも「どこかで聴いたことがある」と思うはずだ。近年、ホンダのCMにも使われている。

▼そもそも原曲も、フンパーディンクのカバーも、両方とも純然たるラテン音楽となっているが、ところが、おなじ ラテンでもまったく曲想を激変させてしまったカバーがあるのだ。この妙技を見せたのは、カナダの歌手だ。マイケル・ブーブレ(Michel Buble)というが、イタリア系だ。彼が英語で、この曲をカバーしている。同じラテン・ミュージックになっているが、似て非なるものだ。

▼トニー・ぺリスの「Quando…」も、フンパーディンクのそれも、おおむね「同じ曲」だと感じる。歌唱力の差で、多少フンパーディンクのほうがインパクトがあるが、結局は同じものを、違う歌手が違う言語で歌ったという程度の差でしかない。ところが、これをブーブレのアレンジと比較してみてほしい。果たしてこれが、同じ曲だろうか、と耳を疑う。すべて同じラテンだが、ブーブレのそれは世界観がぜんぜん違う。

(トニー・ペレスのイタリア語オリジナル)

https://www.youtube.com/watch?v=PxZHBxlwZBw

(エンゲルベルト・フンパーディンクの英語カバー)

https://www.youtube.com/watch?v=DcOqWbhOeww

(マイケル・ブーブレの英語カバー)

https://www.youtube.com/watch?v=HmxGxzY-iqg

ブーブレのアレンジは、スロー・ボサノバなのだ。ペレスやフンパーディンクの欧米の伝統的な歌謡曲然としたラテン・バラードと比べると、完全に「別物」である。しかも、ボサノバが表現できるおそらく最大限の大人のエロチシズムが炸裂している。女性とのコラボという演出もきわめてこれを効果的にしている。

▼このアレンジによる曲想の劇的変化は、なにも歌曲にとどまらない。ここでは、ウクレレによって、どう一つの曲が完璧に別物になってしまうかを聴いていただこう。

▼戦前、1940年に発表された「Fools rush in」だ。当初は、フランク・シナトラなどがヒットさせ、後にドリス・デイなどが、非常にスロウなバラードでカバーを出したりもした。60年代にもリッキー・ネルソンがリバイバルヒットを成功させている。ここでは原曲に近いカバーとして、エルビス・プレスリーの若き日のカバーをまず聴いていただこう。50-60年代、(日本で言うところのロカビリーブーム)いわゆるロックの先駆け的なブームの頃のカバーとなっている。

▼一方比較するのは、日系米人のハーブ・オータ(Herb Ohta-San)のアレンジだ。これまた完全に別物になっている。オータのウクレレ独奏は、見事なほどヒーリング曲に仕上がっている。

(エルヴィス・プレスリーのカバー=かなり原曲のイメージに近い)

https://www.youtube.com/watch?v=Fq2Xa-AJfrA

(Herb Ohta-Sanのウクレレ演奏)

https://www.youtube.com/watch?v=o0yk4iA47rc

▼とてもではないが、こうして見るとわたしなどは、プレスリーのカバーを聴きたいとは毛頭思わない。気がつけば、このオータさんのウクレレ・アレンジも、ラテンに仕上げている。このラテンというのが、アレンジの鍵かもしれない。

▼では、アジアの曲から、この原曲とカバーの超ド級の激変ぶりを視聴していただこう。アジアでは、おそらく音楽的センスという意味では、ダントツの才能に恵まれてるフィリピンの音楽シーンから一曲。フィリピンの70年代の名曲「Bato sa buhangin(砂の中の泡)」だ。

▼もともとこの曲は、1976年頃のテレビ・ドラマ(メロドラマ)のテーマ曲だったようだが、独立してヒット。懐メロだがフィリピンでは、子供でも知っているスタンダード・ナンバーである。Cinderellaというバンドの楽曲で、女性歌手がヴォーカルを担当したのが原曲だ。ハスキーボイスであり、youtubeなどではいささか聴き取りにくいので、ここでは現役のフィリピン人女性歌手のソロを聴いていただこう。Teresaという、おそらくは日本で歌っているのだろうクラブ歌手と思われる。生録にしては音質が非常に良かったので聴きやすいはずだ。Cinderellaの原曲の声質、歌唱方法やイメージに非常に近い。

▼比較するのは、ピアノのソロである。世に、クラシックを、ポピュラー音楽に編曲する例はあまたある。が、その逆はきわめて珍しい。Raul Sunicoというフィリピンのクラシック・ピアニストによる完全アレンジだが、あたかもリストの楽曲にも似た仕上がりである(ちと言いすぎか)。いずれも、ラテン的な曲想ではない。フィリピンに伝統的なバラードである。

(フィリピン人クラブ歌手、TeresaのBato sa buhangin=原曲に忠実である)

https://www.youtube.com/watch?v=aOZY9YIDlnE

(ピアニスト、Raul Sunicoのソロ。コンサートの生録らしいが、やたらと雑音が多いが、ご容赦。その代わり、とてもいいものを聴いたと思えるはずだ。)

https://www.youtube.com/watch?v=eLfoikk6HwU

▼かくして、わたしはときに原曲より、カバーのほうが好きで、カバー曲ばかりを漁っては聴いている次第。

▼それでは、ここで日本人が日本人の曲をカバーした場合を聴いていただこう。年配の(わたしより、さらに年長の)方々なら間違いなくご存知の日本の歌謡曲だ。1950年に小畑実が歌った「星影の小径」だが、当時にあっては歌詞にI love youという英語が入れてあるなど、曲想が非常にモダンだった。が、今ではさすがに懐メロも懐メロ。昭和歌謡のにおいがぷんぷんするようになってしまった。

▼これを、1985年にちあきなおみが、カバー曲として出している。2006年にはキリンビバレッジ「実感」のCMソングにもなっているので、もしかしたら聞き覚えがあるかもしれない。これも時代が変わったと言えばそれまでだが、まったく原曲とは別物に仕上がっている。

▼ラテン風にはしていない。明確に日本歌謡だが、ちあきなおみの歌唱方法とあいまって、なんともいえない哀感を漂わせた抜群の仕上がりである。イントロ無し、いきなりアカペラから始まるで意表をつく。

(ちあきなおみのカバー)

https://www.youtube.com/watch?v=JeCNMRAu6TU

ちなみに、このカバーは、原曲と同じく、基本的にブルースである。
ラテン(ルンバのような)とは、リズムのストレスが一拍目ではなく、二拍目であることがよくわかるはずだ。(ズン)チャ(ズン)チャだ。

▼さて、ついでだが、これをカバーと呼んでいいのか難しい。原作者と、これを持ち歌とした歌手との比較でお聴きいただこう。「夢先案内人」である。阿木耀子作詞、宇崎竜童作曲のものだが、ご存知70年代のスーパースター、山口百恵の持ち歌だ。

▼ちなみに、わたしが幼少のみぎり、一時期横浜の瀬谷(相鉄線)にいたことがある。(幼稚園の年少組時代)山口百恵とわたしは200mと離れていない別の幼稚園に通っていたが、その近辺に公園は当時たった一つだった。おそらく、一緒に遊んでいたこともあったかもしれない。そういえば、神奈川出身ということに「公式には」なっている。もっとも、1-2年間ダブっていただけで、彼女はその後横須賀へと再び引越しをしていった。まあ、どうでもいいことだ。

▼さて、山口百恵の原曲は聞き覚えのあるあの感じである。

(山口百恵の原曲)

https://www.youtube.com/watch?v=Ftq-vKVw6A0

▼これに対して、原作者・宇崎竜童が、世良正則と生ギター一本でデュエットした「カバー」がある。メイン・ヴィーカルは、世良だ。山口百恵の原曲も、このカバーもいずれも、ラテン(ルンバ)がリズムベースとなっているから、曲想は同じだ。いずれも、例の「一拍目」にストレスがある。やはりそれでも違う。演者によってやはり違うということだろうか。

(宇崎竜童・世良正則のカバー)

https://www.youtube.com/watch?v=9GTKLo4fAhM

いずれにしろ、なんでもオリジナルがいいというものではないようだ。
それではお休みなさい。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


増田足15日間無料お試しはこちらから
https://secure.masudaasi.com/landing/pre.html?mode=cs
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。