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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第397回・彼の名はベラスコ3〜狙われたロシア

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【閑話休題】第397回・彼の名はベラスコ3〜狙われたロシア

【閑話休題】

[記事配信時刻:2015-12-25 16:14:00]

【閑話休題】第397回・彼の名はベラスコ3~狙われたロシア

▼調べていくと、身の毛がよだつ話がどんどん出て来るものだ。事は歴史的にして、世界的な規模だけに、話が混乱しかねない。そこで、座標軸を一点に絞ってとらえることにしよう。

▼舞台は、ロシアだ。ここに話の焦点を置けば、その後の20世紀を覆ったモザイクが解けてくる。スターリンやプーチンとは、一体何者なのかがわかってくるのだ。

▼かつて、サルトルがこう言った。

「もともとユダヤ人差別があったのではない。先に差別があったのだ。そこにユダヤがいただけのことだ。」

▼これは、20世紀を代表する実存主義哲学のトップに立ったサルトルならではの、「良心的」な「ものわかりのよい」見方だ。ユダヤ人たちが悪いのではなく、欧州白人には、もともと差別することで社会秩序を保とうとする思考回路があったというのだ。たまたま、そこにユダヤという格好の餌食がいただけだ、と言う解釈だ。欧州で歴史的に続いてきた、一般のユダヤ人居住者たちへの迫害は、確かにそうであったろう。

▼しかし、歴史を霍乱し、食い散らかしてきた元凶は、この一般のユダヤ人たちではない。シオニスト集団である。いわゆるパレスチナに約束の地を夢見る原理主義者たち、それも、巨大な資産を背景として、世界を食い物にしてきたネイティビストたちである。その中心に、ロスチャイルドがいた。

▼話は、日露戦争に遡る。帝国主義の時代、地球上の植民地分割競争も終焉が近づいていた。アメリカでも、フロンティア(開拓最前線)が太平洋岸に達し、これも消滅していた。そうなると、新たな利益収奪先は、既存の国家の転覆による乗っ取り以外になくなる。その新たな標的、ラストリゾートに、大英帝国を根城としたロスチャイルド財閥は、ロシアと中国を選んだ。(ちなみにこの挑戦はいまだに続いている。)

▼いずれも、当時から大人口国家であり、政府は破綻に瀕していた。制度疲労が窮まり、前近代的な農奴制(支那も同じであった)の矛盾は、もはや覆うべくもなかった。

▼しかし、民衆は暗愚である。教育も無い。反抗する覇気すらなく、帝国の権威一つに、ひたすらひれ伏す一方、ロシア正教の神とも同一視されていたため、敬愛さえ抱くという有様で、およそユダヤ国際資本が乗り込んでいって、その経済を好き勝手に利益収奪していく素地はなかった。消費する所得そのものが、存在していなかったのである。

▼まずは、邪魔な帝政ロシアを打倒する必要があった。大義名分はある。帝政ロシアによって長年迫害されてきたユダヤ系ロシア人たちを救うという大義名分だ。帝政ロシアはことあるごとに、民衆の不満のガス抜きのため、ユダヤ人を犯罪者扱いし、公然と迫害し、殺戮を繰り返してきた歴史がある。

▼しかし、それだけでは動機として不十分である。ロシアにいるユダヤ人は少数派である。大多数のスラブ系民族こそ餌食の対象なのだ。従って、より、普遍的な原理が必要だった。採択されたのは、共産主義革命である。ご存知、原作者はカール・マルクスである。ユダヤ人だ。

(カール・マルクス)

▼マルクスは、プロイセン(現在のドイツ)出身のユダヤ系ドイツ人だが、生前はそれほど有名ではなかった。しかし、後の社会主義者の多くは、このマルクスの主張を、革命運動の原理に使っていった。

▼マルクスの世界観の核心は、経済学などではない。彼の著作の経済学的部分は、ほとんどアダム・スミスやリカードなど、古典派の経済学の延長でしかない。むしろ経済学を批判的に扱っている。

▼代表作の「資本論」は、経済の専門的分析というよりも、社会経済問題に対する制度と価値の考察だ。マルクスが訴えているのは、人類の救済であり、彼の理論の肝は、経済学というより歴史理論と政治学である。

▼もともとロスチャイルドが、ハンブルグのユダヤ人居住区(ゲットー)において、17世紀に12人のユダヤ系富裕層と採択した「世界革命行動計画書」、そしてロスチャイルドの資金によってつくられたイルミナティと呼ばれる秘密結社の「ヴァイストハウプトの行動綱領」をベースに、マルクスが書いた。と、そう裏の歴史学で言われてきたのだが、真偽はわからない。

▼しかし、論旨は驚くほど似ている。これらが、ユダヤ批判のために捏造された「偽書」なのか、真実なのか、よくわからないが、仮に真実だとすると、その宗教批判、国家否定、暴力革命、謀略と大衆扇動など、戦略論のポイントはあまりにも酷似している。

※註:イルミナティ(要するに13世紀ハンブルグ・ゲットーにいた5家である)は、フリーメーソンに入りこみ、これを乗っ取ったといわれている説がある。18世紀、スコットランドのロッジから、「イルミナティがフリーメーソンを侵食していることを警告する宣言」が発信されていることが確認されている。

▼ただ、はっきりしている事実がある。ユダヤ人マルクスが、「資本論」と「共産党宣言」を書くための資金提供をしたのが、イルミナティであり、その資金集めをしたのは、クリントン・ルーズベルトだったということだ。彼は、第二次大戦の米国大統領フランクリン・ルーズベルトの直系の先祖である。ルーズベルト一族も、もともとはやはりハンブルグのユダヤ人であった。

▼少なくとも、マルクスがユダヤ資本家と関係があったことは事実である。共産主義は、果たして資本家の敵なのであろうか。この流れを見る限り、ユダヤ資本家が育み育てたものこそ、共産主義という化け物であったという構図が見えてくる。

▼このマルクス主義は、ロスチャイルドにとって実に都合のよい大義名分になった。ロシア革命は、こうして国際ユダヤ資本によって画策され、革命の横取りはおろか、国家そのものが彼らに乗っ取られていくことになる。今回は、その恐るべき歴史的事実の前半だ。

▼前哨戦は、1904年の日露戦争であった。極東に勃興した小さな国が、にわかに台頭して、朝鮮半島・満州で、あろうことか大国ロシアと一触即発になっていた。

▼当時の日本はきわめて財政的に脆弱であったから、国家存亡をかけて大国ロシアと戦争を交えるのに、とてもではないが戦費がままならなかった。そこで日本政府は、戦時公債の発行に踏み切った。

▼いったい、そんな日本(ロシアと戦争すれば、必敗は確実視されていた)の公債を、誰が買うものだろうか。

▼日銀副総裁の高橋是清は、欧米を行脚して、必死に資金調達に歩いたが、まったく手ごたえはなかった。無理もない。GDPで100倍のロシアと闘えば、日本の敗戦は必至であり、債券価格の暴落は火を見るより明らかだったからだ。(日米戦争が、GDP比で1対24の開きだったことより遥かに大きい、無謀な戦争だったということだ。)

▼ロンドンで初回1000万ポンドの半分の調達が成功したが、額面100ポンドに対して発行価格を93.5ポンドまで値下げし、日本の関税収入を担保とする条件で、1ヵ月にわたる英銀行団との交渉の末獲得したものだ。

▼当初日本政府は、利回り5%以下と指示していたが、最終的にはそれを超える6%の利率で着地している。しかも上記のように割引債なので、実質利回りは7%になる。

▼それでも、予定の半分でしかない。高橋たちは、もしこの資金調達ができなかったら、「日本は戦うこともできずに、座したままロシアに征圧される」という責任を感じ、切腹する悲壮な覚悟を決めていた。

▼そこに登場したのが、プロイセン出身で、アメリカのユダヤ資本家ジェイコブ・シフである。このときアメリカの資本家になっていたのだが、晩餐会に訪れ、高橋に尋ねた。

「日本兵の士気はどのくらい高いですか?」

高橋が必死に説明すると、翌朝シフは500万ポンド分を買うと伝えてきた。1904年5月、日本は予定の公債発行にこぎつけた。

(ジェイコブ・シフ)

▼それまでの既発の日本の外債は、ことごとく暴落していたが、開戦と同時に、日本軍の連戦連勝の報道が世界に伝わるにつれ、次第に後続の戦時公債の調達もにわかに活況を呈するようになり、1904年5月に鴨緑江会戦でロシア軍を圧倒すると、応募が引きも切らないようになっていった。

▼同年11月の募集では、利率4%まで下げることができ、無担保で予定の調達を消化。高橋はこの段階で、ロスチャイルドに根回しを始めている。(最終的にロスチャイルドも購入に踏み切った。)

▼日露戦争前後、合計6次にわたる公債発行で、総額1億3000万ポンド=当時の13億円の資金調達をしたことになる。日露開戦直前の日本の一般会計歳入が2億6000万円であるから、いかに巨額の資金調達であったがわかる。まさに、日本の命運をかけた戦争だったと言える。

▼日本に最初に手を差し伸べた、ジェイコブ・シフがここで問題になってくる。プロイセンはフランクフルトで、代々ユダヤ教指導者である「ラビ」の家系だ。シナゴーグ(ユダヤ教会)の指導者であり、ユダヤ人コミュニティのリーダーのことだ。

▼シフは融資を通じて日本を強力に資金援助したことで、日本軍の勝利と帝政ロシア崩壊のきっかけを作った。シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズなどに呼びかけ、これも実現する。

▼のちにシフが高橋に語ったところによれば、融資の理由はロシアでの反ユダヤ運動(ポグロム)が起こっていたことに対する報復だったと言われている。

「あなたたちがロシアに勝っても、負けても、どちらでもよいのです。しかし、日本が抵抗すればするほど、帝政ロシアは崩壊に近づくのです。」

▼1881年、また日露開戦の前年1903年4月にはロシアで大規模なポグロムが起こっていた。「ロシア帝国に対して立ち上がった日本は神の杖である」と、後の回想録にも記している

▼シフの帝政ロシア打倒工作は徹底しており、十年後の第一次世界大戦の前後を通じて、世界のほとんどの国々に融資を拡大したにも拘らず、帝政ロシアへの資金提供は、それが誰であろうと、ことごとく妨害した。

▼ロシアでは、連続する敗報で厭戦気運が高まってきた。開戦翌年1905年5月には、バルチック艦隊が連合艦隊によって壊滅させられると、翌月には、各地で反乱と暴動が多発。いわゆる第一革命が勃発(これは後述するように、鎮圧されている)。黒海艦隊の戦艦ポチョムキンも反乱を起こしている。

▼継戦行動が不可能になったと判断したロシアは、日本と講和条約に向けて8月から交渉を開始。条件で紛糾したが、10月にはロシア全土でゼネストが発生。これを受けて、ロシアのニコライ2世は講和条約締結に同意した。シフの目算通りだったといえる。

▼「定説」では、ロンドンで高橋是清とシフが出会ったことや、シフが公債を引き受けてくれたのは“偶然”とされているようだが、これは違う。シフは日本の公債を引き受けるために高橋の前に現われたのである。

▼シフは日露開戦前の1904年2月上旬(まさに開戦カウントダウンの段階)にシフ邸で開かれたユダヤ人指導者の会合で、『72時間以内に日露間で戦争が勃発する。日本の公債引受の問題が提起されているが・・・』と語っている。シフは日露開戦を事前に知っており、日本の公債引受の打診さえ受けていたのだ。

▼実は、この日露戦争中に失敗した「第一革命」は、ロスチャイルドの画策によるものだったかどうかが取りざたされている。もしそれが事実であったとすると、あざといのは、シフの裏側にいるロスチャイルドが、この日露戦争において、暴動を扇動する一方で、帝政ロシアにも軍事資金を融資していたという事実である。ここに、ユダヤの「両建て主義」が如実に表れている。

▼開戦一年後に勃発した「血の日曜日」事件、いわゆる第一革命は、ロシア正教会から破門されたガポン神父が組織した、平和的なロシアの改革請願運動が主体だった。

(血の日曜日事件~この写真は、当時の模様を再現したもので、実写ではないが、あまりにも有名になった一葉である。)

事前に当局の承認を取り、皇帝の肖像や十字架を掲げた民衆が、ガポンを先頭に宮殿に整然と行進していたところへ、突如コサック騎兵が切り込み、後一斉射撃が加えられた事件である。

(ゲオルギー・ガポン)

▼ガポンへの運動資金は、帝政ロシアの秘密警察オフラーナから、ズバーノフ憲兵大尉を経由して下賜されていたことが判明している。

▼帝政が、増大する労働争議や革命運動を平和裏に押さえ込むために、政府よりの御用組合を組織させようという意図であるなら、秘密警察の資金ではなくてよいはずだ。

▼また、この段階で帝政が、国内で流血事件、それも温和な運動(ほとんどの運動はこうした穏健なもので、過激な革命者はまだきわめて少数だった)を弾圧することが、どういう反応を国民に呼び起こすか当然わかっていたはずだ。そもそも、当日の運動内容は正式に承認されていた上での話である。

▼実際、行進の最中、監視していたロシア警備兵たちの中には、十字を切り、中には行進に加わるような、宥和的な運動として進行していた。それは、後の革命政府の最初の首相となったケレンスキーが、このとき偶然一部始終を目撃しており、証言している。惨劇は、一発の将校の放った銃声で、突如として起こったのである。

▼惨劇の後(きわめて慎重な記録の精査によっても、死者1000人を超えるという)、ガポンはパリに逃亡。日露戦争中、欧州各地でロシアの革命運動を支援する工作を担当していた明石元二郎(陸軍工作員)や、やはり亡命中のレーニンにも会っているが、明石は「どうもあれは、怪僧だ」と不信感とともに評している。

▼ガポンは、その後、ロシアに戻ったところ、過激派に殺害されている。刺殺された上、公園に縄で吊らされているのが発見された。ガポンは、本当に帝政ロシアの回し者だったのか。それにしては、帝政側は下手な手を打ったものだ。しかし、帝政内部に入り込んでいた工作員だとすれば、ユダヤ国際金融資本の息がかかっていた可能性もある。つまり、穏健な社会運動を、一気に過激な帝政打倒に誘導するための起爆剤にされたという考え方だ。まだ、この点は解明されなければならない点が多い。

▼ただ、この「血の日曜日事件」と、それに誘発された、各地での暴動と鎮圧によって、民衆のツァー(皇帝)に対する神を崇めるような敬愛の情は消滅した。これが工作によるものであるとしたら、帝政ロシアを揺るがすだけの十分な効果を発揮したといえる。民衆はそれまでの宥和的な請願運動ではなく、過激な直接行動に出て行くことになったからだ。

▼過激派には、ロスチャイルドなどから資金提供がなされていたことはすでに明らかになっている。まだこの当時、ツァーへの敬慕の念が強かったロシアの社会運動を壊滅させて、一気に過激派に転換させようとすれば、革命への導火線になる。ガポンはちょうどそれに利用された、ということも考えられるわけだ。用済みとなったガポンは消されたのである。革命過激派に、「政府寄りのスパイ」だとして殺害されたという定説(フィンランドの左翼に殺されたため)だが、本当のところはわかったものではない。

▼日露戦争後、社会運動は文字通り過激化し、テロが横行するようになった。そこで登板してきたのが、ストルピイン内閣である。徹底的な過激派弾圧をし、容赦なく革命運動員を処刑する一方(絞首刑台のことは、「ストルイピンのネクタイ」と呼ばれたくらいだ。)で、農奴解放や言論の自由、宗教改革など、ロシアの近代化を果敢に断行していった。

(帝政ロシア最後の切り札、ストルイピン首相)

▼ストルイピンは明確に、方針を示している。「ロシア人による民族資本の復権」である。これによって「強いロシア」を目指すと言ったのだ。この言葉の裏には、当時すでにロシア経済に侵食し、牛耳り始めていた国際ユダヤ金融資本との正面衝突が始まっていたことが垣間見える。ようやく後進国ロシアにも、工業化の波が及び始め、農民だけではなく、いわゆるプロレタリアート(工業労働者)やロシア民族資本家が育ち始めていたのだ。

▼しかし、日露終戦2年後、ニコライ二世とキエフ(現在のウクライナ)で観劇中、ユダヤ人テロリストによってストルイピンは銃撃され、暗殺。帝政ロシア最後の切り札が消えた。興味深いことに、至近距離で暗殺されたにもかかわらず、誰が見てもそれとわかるニコライ二世を撃たず、ストルイピンを撃ったという事実である。しかも、慌てた一発ではなく、正確に二発の銃弾が明確にストルイピンを貫いたのだ。

▼話を戻そう。日露戦争で日本に資金を融通したのがシフであり、彼によって動かされたその他のアメリカの金融資本である。一方、帝政ロシアにはロスチャイルドが支援している。どちらも、ユダヤ資本であり、シオニスト集団だ。

▼思慮の浅いロシア皇帝をそそのかして、もともと日本と戦争などする気もなかったものを(ニコライ二世の当時の日記から、それは明らかである)、開戦へと導いたのは間違いなくロスチャイルドである。ロシアはクリミア戦争以来、黒海・カスピ海以南への南進政策を採っていたが、ロスチャイルドはバクー油田(現在のアゼルバイジャン)の権益を巡って、ロシアと揉めていた。

▼結局ロスチャイルド(仏ロスチャイルド家)は、当時世界石油生産の半分を占めていたバクー油田の権益をちゃっかり得ている。それは財政危機に陥ったロシアに融資をしたことや、関連の鉄道敷設プランなどの見返りだったのだ。その延長上に対日戦争計画と、裏では第一革命の画策があった。中東~中央アジアにおける油田の利権から、ロシアの目を極東・アジア征服へとそらすための、一流の陽動工作である。もちろん、その一方で、彼らはロシアから亡命してきたレーニンやトロツキーら、共産主義革命家たちを援助し、着々と時限爆弾の作動に向けて準備していたのである。

▼いずれも帝政ロシア打倒のための、伏線にほかならない。しかし、「最初の一撃」であった日露戦争はロシアを一気に弱体化させたものの、帝政崩壊にまでは至らなかった。第一革命も、ロシア軍による容赦ない粛清と鎮圧で頓挫した。まだ不十分だ。キエフで、ストルイピン首相を暗殺したにもかかわらず、ニコライ二世に手を出さなかったのは、まだ時期尚早だ、ということだったのだろう。そこで、次の手を打ち始める。より大きな混乱が必要になってきた。それが、第一次大戦の画策である。

▼さてここで、ロスチャイルドを中心として、シフにいたるまで、シオニスト集団(イルミナティと呼んでも、ほとんど違いはないだろう)である国際ユダヤ資本の構成メンバーをまとめてみよう。彼らの発祥地は、ドイツのハンブルグである。

▼18世紀、フランクフルトの旧ユダヤ人街(「ゲットー」と呼ばれた)でシフ家の祖先は、1軒の家をロスチャイルド一族と共有して住んでいた。シフ家の側には船(Schiff)が、ロスチャイルド家の側には赤い盾(Rothschild、ロートシルト)が描かれてあり、両家の姓はこれに由来している。シフは文字通りの発音だが、ロートシルト(ドイツ語である。英語なら、レッド・シールドということになる。)の英語読みが、ロスチャイルドである。

▼この狭いユダヤ人居住区の中に、シフ家、ウォーバーグ家、バルーク家、カーン家、そしてロスチャイルド家が住んでいた。たとえば、カーン家はシフやロスチャイルドから4軒隣というほど近所である。ここから、ユダヤのシオニスト集団は、各国へと拡大していく。ロスチャイルドは、ロンドンに拠点を移し、パリへ、そしてウィーンへと拠点を増やしていった。

▼ロスチャイルド一族が、各地の拠点を次々に作っていった系譜は以下の通りだ。

1764年 初代マイヤー・アムシェルがドイツ・ロスチャイルド商会創設。
1804年 三男ネイサンがイギリス・ロスチャイルド商会創設。
1817年 五男ジェームスがフランス・ロスチャイルド商会創設。
1820年 二男サロモンがオーストリア・ロスチャイルド商会創設。
1821年 四男カールがイタリア・ロスチャイルド商会創設。

この年代というのは、フランス革命1789年、ナポレオン即位1804年、ワーテルロー会戦1815年、1821年ナポレオン(ナポレオンとその兄弟たちはフリーメーソンである)がセントヘレナで死去、と完全に重なる。
実際、初代ロスチャイルドは、ワーテルロー会戦において、得意の情報網から現地での仏軍敗退をいち早く知り、ロンドン市場で債券といわず、その事実とは反対に、株といわず徹底的に投売りをして、市場の動揺を誘い、暴落させている。当初はフランス軍優勢で、それが伝わっていたためだ。

▼ところが下げ切ったところで、一転して買い漁り、そこに英軍逆転勝利の報がもたらされて相場は暴騰。
当時の彼の資産300万ドル相当が、2500倍の75億ドル相当に化けた。ナポレオンが死んだ年に、もともとイタリア人であったナポレオン(シチリア島出身のイタリア人である)だけに、そこで最後の拠点イタリアのロスチャイルド商会が同年に創設されたのも、偶然ではあろうが、意味深長である。

▼あり余る富を手にしたロスチャイルド一族は、世界最大の財閥を形成していくが、自分たちの強力な代理人である「JPモルガン」と「ジェイコブ・シフ」を支援し、米国に巨大なモルガン財閥、シフ財閥を形成していくことに成功した。

▼果たして本当に、先述の「「世界革命行動計画」が存在し、それに基づいたシオニスト集団の暗躍が行われたのかは、定かではない。ただ、巷間言われているこの25か条の行動計画の存在を、カーン一族の実際の発言から推測することはできる。一体、彼らの「ゲーム」とはどういうものなのか、ということだ。

▼このシリーズ初回の「彼の名はベラスコ」で、国際ユダヤ資本が、ロシア革命において、レーニンらのボルシェビキ(共産主義革命集団)を帝政ロシアに送り返し、大量の資金援助をしたことを明らかにした。

▼また、マルクスが著作を完成させるための資金援助も、彼らがしていたことを、ここで明らかにした。

▼資本家と共産主義者、というこの組み合わせは非常に意外感がある。1937年、駐ロンドンのフランス大使だったSt.Aulaire伯爵が、第一次大戦直後に行われたユダヤ資本家オットー・カーンとの夕食での会話を「Geveva Versus Peade」の中で公表しているが、そこによく彼らの基本的な考え方が明らかにされている。

(St.Aulaire伯爵)


▼なぜ銀行家である彼らが、私的所有に敵意を持つボルシェヴィズムを後援したかと問われて(つまり当時から、これは公然の事実だったということだ)、オットー・カーンは、イルミナティ・ユダヤ人銀行家たちは、「世界を作り直す」ために明白な反対勢力を作り出すことを説明しているのだ。

(オットー・カーン)

「マルクス主義はまさに資本主義のアンチテーゼであると言えるでしょう。それらは我々『イルミナティ・ユダヤ人銀行家たち』(註:恐らくシオニストとほぼ同義と思われる。)」と同等に神聖なのです。
それらがお互いに正反対であり、それらが我々の手をこの惑星の反対の極同士でつなげて、その軸にしているのです。
ボルシェヴィズムと我々のようなこれら二つの正反対物は、国際性の中にそれらの同一性を見出します(註:これが「国際コミンテルン」のことを意味していると思われる。))

「我々の本質的なダイナミズムは、破壊と創造の力を利用していますが、前者を後者に栄養を与えるために使います。・・・ボルシェヴィズムは加速器であり、・・・何がその目的か? それは既に我々の使命によって決定されています。これは、・・・我々の自分自身に対する信仰の炎に投じられるのです。我々は、すべての他の要素を含んでいる一つの国際連盟である・・・イスラエルは、小宇宙であり未来の都市の胚芽であるということです。」

これは、明白な反対物をお互いに対して戦わせ、そしてこの巨大な独占に似た合成物を達成する一つの弁証法的プロセスを述べたもののように見える。
だから、ユダヤ資本家たちの富は、それを期待している受取人たちのところではなく、多大な債務を負っている国、社会主義・共産主義の国にまずは移転する。そして、最終的にはその富は再び増殖されて、ユダヤ国際資本家たちのもとへと移転する布石になっていく。
オットー・カーンはこうも述べている。

「モスクワでは、共産主義があります。ニューヨークでは資本主義。それは、テーゼとアンチテーゼとして全く同じなのです。両者を分析してみてください。モスクワは主観的な共産主義ですが、しかし客観的には国家資本主義です。一方、ニューヨークは主観的資本主義、しかし客観的には共産主義。
真実とは、国際金融、資本主義者と共産主義者は一体であり、『一味』」なのです。」

カーンの言う、ニューヨークが「客観的には共産主義」というのは、イルミナティ銀行家たちは、企業の大部分をコントロールしている、ということを述べているのだろう。

この書物の中で、St.Aulaire伯爵は、第一次大戦後、第二次大戦直前に、世間に警告を発し、次のように結論づけている。

「我々は、彼らが世界警察国家を建設し、我々をマインドコントロールや力によって制御しようとするユダヤ人銀行家と、フリーメーソン追従者たちによる長期的な陰謀の最終段階にある。」

この衝撃的な本が出版されてから、すでに78年が経っている。今ではこの真実は、ほとんど映画や小説の絵空事と化してしまっている。しかし、歴史的事実は、恐ろしいほどこのカーンの証言通りに進行してきたのだ。

▼さて、再び歴史に戻ろう。くだんのジェイコブ・シフは、1865年にアメリカに渡り、1870年に帰化している。ちょうど幕末前後だ。NYのユダヤ資本であるクーン・ローブ商会に誘われ、同社の共同経営者ソロモン・ローブの娘と結婚した。

▼クーン・ローブ商会も、ドイツ出身のユダヤ人によるものだが、ローブ、ク―ンが相次いで亡くなると、シフがクーン・ローブ商会を継承した。後に、米国連銀FRBを創設する中心人物、ポール・ウォーバーグが、このころクーン・ローブ商会に合流している。

▼クーン・ローブ商会は国債を取り扱いながら鉄道事業に参入していく。鉄道事業では米国においてすでに鉄道王と呼ばれていたユダヤ系のハリマン家と組み、ここに日露戦争後の満州における鉄道利権も動き出す。(ハリマンは、大陸横断鉄道ユニオン・パシフィックなどを傘下に収めた)ただ後述するように、ハリマンは、プロテスタントであり、いわゆる米国で新たに台頭してきた米保守本流(グローバリスト)である。ロックフェラーと同類だ。

▼後年、1920年にシフが亡くなるとクーン・ローブ商会も徐々に衰退していったように見えるが、そうではない。これを“吸収”したのがリーマン・ブラザーズである。リーマンが壊滅したのは、ずっと時代が下って、例の2008年のサブプライムショックによる暴落で、連銀が資金支援をしなかった時だ。今、これを野村グループが“吸収”しているのは、ご存知の通り。

▼つまり、クーン・ローブ商会の遺伝子を継承したリーマンを野村が吸収したのか、それとも「でがらし」を入手した、ただの馬鹿な買い物だったのかは、わからない。しかし、連銀がシオニスト集団であるリーマンを、サブプライムショックで救済しなかったという事実からすれば、ただの「でがらし」であった可能性のほうが高そうだ。なぜなら、同時期、米保守本流のロックフェラーが有するシティやバンカメは救済されているからだ。あるいは、連銀は、米保守本流は救済したが、ロスチャイルドの血脈には、引導を渡したということか。

▼この日露戦争から十年後の第一次大戦にいたる時代は、アメリカに石油成金として登場してきた、米保守本流ロックフェラーの台頭の時代でもある。ロックフェラーの財政顧問は、クーン・ローブ商会のルイス・シュトラウスが務めており、ロックフェラーの投資はクーン・ローブ商会の承認を受けていたようだ。

▼シュトラウスの後任もクーン・ローブ商会の共同経営者(ディルワース)であり、彼はロックフェラー家全体の財政担当となり、ロックフェラーセンタービルの56階で1981年までロックフェラー家の口座のすべてを監督していたという。

▼まさにジェイコブ・シフが生きた時代こそ、世界の金融センターがロンドンからニューヨークに移植される時代であったわけだ。そしてネイティビストのシフ(ロスチャイルド系)が、アメリカに国際金融資本のイロハを教え、育み上げていった時代である。

▼ちょうどこの頃、FRB・米連邦準備制度が成立している。1776年の建国以来、アメリカ合衆国では、中央銀行が存在しなかった。各州の分権主義者の反対で法案が潰され続けたのだ。そして、個々の銀行等が金準備を使って、各州で勝手に紙幣を発行していた。

▼しかし、1907年(日露戦争終戦の2年後)にロンドンでの米銀の手形割引拒否に端を発する恐慌が起き、アメリカ合衆国内の決済システムが混乱した。その対策として、1910年11月22日、J・P・.モルガン(米ユダヤ資本、ロスチャイルドの代理人)が所有するジョージア州沿岸のジキル島で会議が開かれ、FRB設立について計画が討議された。ほぼ米国居住のユダヤ人たち、つまり、米保守本流のセクトが大集合した会議である。

▼J.P.モルガンやポール・ウォーバーグ、ジョン・ロックフェラーの後ろ盾の下に、1913年に、ウッドロウ・ウィルソン大統領が、多くの上院議員が休暇で不在の隙を突いて12月23日に連邦準備制度を成立させた。政界、世論ともに、連銀設立には反対が多数派だった。いわばこれは、ユダヤ資本家がウィルソンを抱き込んでの、金融クーデターだったといってよい。ちなみに、「準備」とは預金準備のことを意味する。

▼発足当時は政府の強い影響を受け、世論は依然として中央銀行としての連銀に冷淡であったから、金融政策の独立性は保証されなかった。後の1929年の大恐慌では、ノーベル経済学賞受賞の経済学者ミルトン・フリードマン(ユダヤ人)が、「世界恐慌にまで発展した1920年代のアメリカの金融バブル崩壊に際して、連邦準備制度が明白な『不作為』によって事態を深刻化させた」と指摘している。これは、事実である。

▼大恐慌に際して、連銀が何もできなかったのか、意図的にしなかったのか、ということが問題だが、少なくともこのとき連銀が動かなかった、動けなかったことが、大恐慌を引き起こしたことは事実である。逆に言えば、この大恐慌という悲劇(第二次大戦の直接的な主因である)によって、連銀がこの「反省」から、強大な権力を発揮していくことになる大きなメルクマークとなったことは間違いない。

▼一介の民間銀行団が、事実上の中央銀行として(影の政府として)、堂々とアメリカの金融政策を左右し、発言権を有していくのには、大恐慌の悲劇と、それに懲りた世論に、連銀の存在意義を認知させるのにきわめて効果的だったということは言える。問題は、それを策したか、偶然そうだったのかということだ。

▼連銀発足の前年1912年には、有名なタイタニック号遭難事故があった。これについては、閑話休題でもずいぶん前に書いたことがあるが、大元の所有者であるJPモルガンが、意図的に遭難させた疑惑が非常に濃厚である。目的はもちろん、保険金目当てである。

▼タイタニック号を運行させていたホワイトスターライン社はただでさえ赤字だったのに、事件直前、英国海軍艦艇と接触事故を起こしており、ホワイトスターライン社は多額の賠償金を支払わなければならない状況だったのだ。そこに、タイタニック号事件が起こった。世界最大の豪華客船という触れ込みで、大々的にキャンペーンを張り、JPモルガンや株主たち、関係する名士たちがそろって乗船する予定だったが、出航直前に全員がキャンセルしている。そんなことを平気でする彼らだ。大恐慌などになんの自責の念など持つはずもない。

▼疑われるのは、この「不作為(連銀が大恐慌で、ほぼなにもしなかった)」という事実の後、二束三文になった企業や土地など、ロックフェラーをはじめ、多くのグローバリスト(米保守本流)たちが、またたくまに安値で買い取っていったという現実がある。米保守本流は、あの大恐慌で一気に新興財閥から、名実ともに米保守本流の資本家へと飛躍したことは否定できない。混乱こそ飛躍の好機なのである。当然、あの大恐慌はロスチャイルドらが、米保守本流を育て上げるために、仕掛けたという疑惑が残る。

▼連銀設立の中心人物だったポール・ウォーバーグは、アメリカのユダヤ資本家だが、ドイツ出身だ。彼は、シフのクーン・ローブ商会の共同経営者ローブの娘と縁戚関係を持っていた。シフと同じ縁戚関係となったわけだ。

(ウォーバーグ兄弟~左から、ポール、フェリックス、マックス)

従って、大恐慌の前後までは、グローバリスト(米保守本流)とネイティビスト(シオニスト)は、まだ力関係ではシオニストが圧倒的に優位で、両者は共同戦線を張っていたようにもみえる。

▼ポールの兄は、第一次大戦やロシア革命当時、ドイツ皇帝ウィルヘルム二世お抱えの秘密警察長官、マックス・ウォーバーグであることは、このシリーズの初回でも述べた。ロシア帝国に舞い戻り、革命を起こしていくレーニン、トロツキーら、ユダヤ人共産主義者たちに革命資金を供与した人物だ。後年、ナチスにも資金供与している。

▼ポールの従兄弟には、フェリックス・ウォーバーグがいる。彼は、すでにご承知のように、レーニンたちを封印列車に乗せてロシア革命を支援したドイツ国防軍の情報部長官だ。このフェリックスは、ジェイコブ・シフの娘フリーダと結婚している。

▼また、ポールの娘フェリシア・シフ・ウォーバーグは、フランクリン・D・ルーズベルト(第二次大戦時の大統領)の息子ルーズベルト・ジュニアと結婚している。ルーズベルトがきわめて、シオニスト集団と近い関係にあったことは歴然としている。閑話休題の「なかったことにしたい真実~ヴェノナ文書」でも書いたように、ルーズベルト周辺はソ連共産党の工作員・国際コミンテルンによってがっちり固められていたわけだが、共産主義者そのものがシオニストによって育て上げられていた事実からすれば、この構図は異様でもなんでもないことになる。

▼さて、ポール・ウォーバーグが初代連銀議長になるわけだが、彼は「中央銀行」という名称を避けるように主張。この曖昧さに、すべての謎が隠されている。

▼この米国連銀については、閑話休題でもずいぶん以前に書いたが、ほぼ完全に株主がユダヤ人であり、完全な「民間銀行」の集団(12行)であり、世界の中央銀行の株主である、ということは、すでにご承知の通り。日銀の株主でもある。

▼日本の中央銀行である日本銀行は、持ち株の55%は政府が所有しているが、
残りの45%の株式の所有者は非公開となっている。この非公開株のうち、連銀あるいは、ロスチャイルドやロックフェラーが40%を所有していると考えられているが、誰も本当のところはわからない。

▼しかも、米国民も、米国政府も誰も連銀の株を一株と言えども所有していないのだ。にもかかわらず、国民は連邦準備税を天引きされている。「一介の民間銀行群」であるはずの連銀が、事実上、中央銀行として機能しているのだ。

▼連銀という存在は、無資金で発行されたドルを得るという、不可解な存在である。財務省に発行権がありながら、発行されたドル紙幣は連銀の所有権なのである。

▼ドル紙幣には、何と書いてあるかといえば、「Note」と書かれている。つまり、債券である。日本の一万円札には、そんな言葉はない。日銀券(通貨)である。つまり、ドル紙幣というものは、米国政府が連銀に対して負っている債券ということなのだ。これが、連銀にドル紙幣の所有権があるということを意味している。

▼ここが問題なのである。従い、米国政府は常に、連銀に対して債務を負っている存在だということになる。この関係というものは、連銀発足以前のドル紙幣(各州の銀行がばらばらに発行していた時代)から変わらない。

▼この状況を一変させようとすると、殺される。たとえば、歴代大統領のうち、以下の6人を挙げてみる。

第3代ジェファーソン
第7代ジャクソン
第16代リンカーン
第20代ガーフィールド
第29代ハーディング
第35代ケネディ

彼らは在任中に、暗殺未遂、あるいは暗殺された人たちだ。
全員、ドルの実質的な所有権や発行権を政府が奪回しようとする動きをした大統領たちである。
リンカーン大統領が暗殺される直前、彼は「米国政府に、債券は要らない」と発言し、政府保有のドル紙幣発行をぶちあげたとたん、殺されている。当時はまだ連銀は存在しなかったが、ドル紙幣というものの所有権という観点では、同じで政府にとってはNoteに過ぎなかったのだ。
ケネディ大統領はリンカーンより、一歩前に踏み出した。1963年6月に通貨発行権を実際に取り戻し、政府発行紙幣を流通させたが、その半年後には暗殺され政府紙幣は即座に回収された。

▼この著名な二人の大統領の暗殺には、さまざまな要因も複合的に絡んでいるのだろうが、大きな一つの要因となっているものに、政府がドル紙幣の所有権を奪回するという企てが、虎の尾を踏んでしまった可能性が高いと推察される。

▼さて、こうして、ロンドンを根城に欧州各国に金融・経済界の支配力を強めていった日露戦争、第一大戦にいたる時期、ロンドンからNYへと、この金融資本の移植が行われ、当時新たに石油産業で台頭してきたロックフェラー(米保守本流)を育て上げていった時期に当たる。

▼米国で生まれた保守本流のグローバリストたちは、明治時代の前半で西部開拓が終わり、「フロンティア」が消滅したことで、大英帝国はじめとする帝国主義列強と同じように、海外へと触手を伸ばし始めていた。

▼日露戦争の講和条約にアメリカが仲介をしたのも、日本からの懇願があっただけではない。彼らにも、メリットがあったのだ。あくまで、日露戦争における米国の立場の決定は、米国自身の国益を冷厳に計算した結果なのである。

▼すなわち、米国にとってまず阻止すべきは、世界の列強ロシアが満州を独占することだった。ロシアが日本に勝った場合、満州が完全にロシア領になり、米国の介入の余地がなくなることは明らかであったからである。

▼つまり、米国の立場からすれば、ポーツマス講和会議において仲介の労をとったことは、米国自身の満州介入のためのワンステップだったのである。

▼それゆえ従来から満州に対して強い関心を持っていた米国の鉄道王ハリマン(ユダヤ資本)が、日露戦争直後、早速日本に南満州鉄道を合弁事業とするよう申し入れている。しかも、見返りとして、財政破綻になりかねなかった日本政府に膨大な資金供与まで申し出るという、破格の条件付だった。

▼勿論(もちろん)満州を再び列強角逐(かくちく)の地にしたのでは、多大の犠牲を払って日露戦争を戦ったことが無意味となるため、日本政府は最終的にこれを拒否し、米国の介入意図は失敗に終わった。ずっと以前に、この「閑話休題」の「回帰不能点」と題して書いた一文があるが、このときのことだ。

▼日米開戦にいたる過程で、なんども開戦回避が可能なポイントがあった。その一番最初のポイントがこのときである。日米関係が、ぎくしゃくし始めたのは、このときからである。

▼明治42年・1909年には、ノックス国務長官が、満州における日露協調体制を壊すために、満州諸鉄道の中立化を提案している。この提案の狙いは、日露両国によって独占されていた満州における鉄道権益を喪失させ、米国も含めた国際管理に移行させようとしたものである。

▼またそれが無理な場合には、清朝発祥の地である満州で日本が勢力を伸ばすことを好まない清国をたきつけて日本側に対抗しての米資本による満鉄併行線の建設を計画した。

▼しかしながらいずれも、米国の主張より日本の立場を認めた列国の反対で失敗に終わったのである。英仏など、西欧列強も日本と同じく中国に既得利権を持っていたので、まだこの段階では日本に好意的であり、遅れてやってきたアメリカには冷淡だったわけだ。

▼更に大正7年1918年には、米国は、米国資本の大規模な中国進出の条件づくりを目ざして、中国政府に対する借款事業の独占を主目的とする新たな国際組織(銀行団の結集)を提唱したが、これもやはり失敗している。

▼米国によるわが国の満州権益への攻勢は、こうした直接介入以外にも、日本の満州権益を認め守る条約の否定・否認という形でも現れた。この延長上に、満州事変による満州国創設の否定(リットン調査団)、第一次南京事件における幣原外交の失敗(英米と足並みをそろえて中国に武力介入をしなかった。・・・閑話休題第394回「外交のリアリズム」参照。)などで、対日不信感は決定的になっていく。

▼初めから日本を利用した帝政ロシアの覇権拡大妨害、及び日本を利用して満州インフラ投資後に横取りすることが初めから計算されてたシナリオが、根底から崩れたのが、日露戦争直後の日米関係である。

▼この国際ユダヤ資本が、ロシア・中国というラストリゾートを巡る利権争奪の流れは、二つを一辺に追っていくと話が混乱するので、ここではあくまでロシアに舞台を限ろう。

▼先述のカスピ海沿岸にあるバクー油田だが、 1873年に最初の油井が噴出した。バクー油田は、ロスチャイルドが1886年に莫大な資金を投入し『カスピ海・黒海会社』を設立した後、急速な発展を遂げる。第一次世界大戦後に中東の石油が注目されるまでは、「世界最大の油田」であった。

▼このバクー油田の利権を持っていたのが仏ロスチャイルドで、カスピ海の油田を基にシェル石油(セブン・シスターズ=七人の魔女の一社である)が設立されることになる。

▼このような日露戦争前後の過程を経て、ロシアを巡っては、三つ巴の争いと化していく。

▼一つは、ようやく勃興し始めたロシアの民族資本である。シベリア横断鉄道とバクー油田によるロシア近代化=ロシア市場の拡大によって、ロシア商人が富豪となり貴族化していったのだ。

▼この新興ロシア貴族と、支援してきたロスチャイルドの対立が先鋭化する。ロスチャイルドは、亡命ユダヤ系ロシア人革命家たちや、マルクスを支援して、共産主義運動に資金供与する一方、帝政ロシアを弱体化させるために、日本を利用して、乗っ取りのための前哨戦(日露戦争)を画策。帝政ロシアには、バクー油田の権益を確保し、その見返りに財政支援を行い、対日戦争へと誘導していった。

▼さらに、世界一周鉄道の野望を抱くハリマン財閥(米保守本流ロックフェラー財閥)が南満州鉄道、そしてシベリア横断鉄道を狙い始める。

(エドワード・ハリマン)

▼ちなみに、このハリマン財閥だが、大陸横断鉄道のユニオン・パシフィックと並び、NYのユニオン銀行を持っていた。このユニオン銀行は、ドイツ鉄鋼財閥ティッセンがアメリカに、貿易上の手形割引などをする必要性からつくった銀行だった。この会長がハリマンであり、社長がプレスコット・ブッシュである。言うまでもなく、プレスコット・ブッシュは、ブッシュ大統領(子の方)の祖父である。ブッシュ大統領の父も大統領だったが、彼は以前CIA長官でもあった。

▼ティッセンは、ナチスに膨大な資金支援を行っており、ティッセン自身が回想録で「わたしはヒトラーのパトロンだった」と証言している。ティッセン自身は、純然たるドイツ人で、強烈な民族主義者であったが、ナチスの戦争計画に対する意見相違や、反ユダヤ的な運動でも衝突し、フランスに逃亡することになる。

▼このティッセンのつくったユニオン銀行で、ハリマンとブッシュは、第二次大戦開戦後、8ヶ月に渡り、取引を続け、ナチスに資金援助するティッセンの財政基盤を支えた。ハリマンもブッシュも、ともにドイツ系ユダヤ人である。第二次大戦開始後、米国内のナチス資産が差し押さえられ、ユニオン銀行も監督下におかれたが、ハリマンとブッシュは、開戦直前、膨大な債券ほか有価証券など、大量に海外に持ち出していることが、明らかにされている。

▼やはり、ユダヤとナチスはつながっていることになるが、ハリマンもブッシュも、ユダヤ教徒ではなく、キリスト教(プロテスタント)に改宗した一族である。いわゆるロックフェラー一派の米保守本流ということで、ロスチャイルドのシオニスト集団とは一線を画しているところが、話の面倒なところだ。

▼本日書いた流れをまとめれば、フランクフルトのゲットーにいた5家族、12人のユダヤ人シオニストたちが、世界革命行動計画を策定し、世代を超えた金融活動を始めた。ロスチャイルドはナポレオンを利用して、膨大な資産を築き、欧州各地に拠点を設けた。さらに、米国において、代理人のJPモルガンやシフを使って、台頭してきた米保守本流のロックフェラーやハリマンといった新興財閥にテコ入れし、育て上げた。こういった流れだ。

▼ずいぶんと脱線が多いので恐縮するが、またここで話を戻そう。この三つ巴の争いの中で、次に仕掛けていったのがロスチャイルド財閥であった。1904年の日露戦争、1906年の第一革命(ロシア)の頓挫、1914年の第一次大戦、1917年のロシア革命、1921年のソヴィエト共産党政府樹立と、ロスチャイルドのシナリオが進行する。次回は、いよいよユダヤ資本によるロシア乗っ取り作戦である。しかし、ソヴィエト共産党政権の指導者のほぼ全員が、アメリカから戻ってきたトロツキーらと、ドイツから戻ってきたレーニンらと、二手に分かれていたことがポイントだ。これが、ベラスコの言う「第一・第二次大戦が、国際ユダヤ金融資本の内部分裂が原因だ。」という証言に、大きくかかわってくることになる。

(「彼の名はベラスコ4=最終回に続く)



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