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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第43回・平家物語と孤高

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【閑話休題】第43回・平家物語と孤高

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-05-02 17:00:00]

【閑話休題】第43回・平家物語と孤高


▼昔から、古文は嫌いだった。苦手だったのだ。にもかかわらず、あるきっかけで軍記物だけは読むようになった。どこまで正確に読めていたか、はなはだ疑問だけれども、精神の昂揚と、果てしない哀感を覚えつつ読みふけった時期がある。平治物語、保元物語、太平記など、何度も読み返したものだ。欠字に悩まされながら、将門記まで読み解いた。

▼そうしたきっかけをつくってくれたのは、小林秀雄の『考へるヒント』だった。父親の書棚にあったのを盗み読んだのだ。その中に、芭蕉のことを書いた下りがある。孤独、孤高、いずれにしろ一人で立つ者の話だ。

▼芭蕉は、平家物語の中で、とりわけ木曾義仲が好きだったという。源頼朝にしろ、平家の一門にしろ、登場人物はみな血縁者や譜代の家来に恵まれていた中で、義仲だけは最初から最後まで一人だった。勝てば加勢が雪だるまのように増え、負ければあっという間に離反する。平氏と源氏のいずれも敵に回してしまい、まったくの孤立無援に陥る。結局は、たった一人であったことを思い知らされる義仲の人生。

▼実際、私自身、平家物語を読んでも、平家の滅亡に心の痛みを覚えたことはほとんどない。義経の最期に同情を覚えたことも少ない。どの人物に対してもそこまでの共感というものを覚えた記憶はない。しかし、不思議なことに義仲だけは、たしかに心にいつまでも残ったのだった。

▼芭蕉は、とくに義仲の哀しさを尊んだ。実際、彼は琵琶湖の畔にある義仲の墓のそばに埋葬されることを望み、その願いは叶えられた。

『木曽殿と 背中合わせの 寒さかな』

小林秀雄は、この有名な句を芭蕉が読んだもの、としているが、どうやらそれは間違いで、芭蕉の門人であった島崎又玄(ゆうげん)のものだそうだ。自身の存命中に詠まれたこの句を、おそらく義仲贔屓(びいき)の芭蕉は絶賛したことだろう。

▼本当の孤独。歓喜も悲哀もあったろう。頼るものは自分一人でしかなかった男が、それでも後顧(こうこ)の憂いなく爽やかに、あくまでたった一人で走り切った人生。芭蕉がそれにどれだけ思いを寄せていたか、この又玄の句からしみじみと伝わってくるようだ。平家物語の中で、芭蕉が一番その滅びの悲劇性を感じたのは、義仲であったに違いない。

▼平家物語は、「滅びの美学」と評される。昔からそれに同調できない自分がいた。しかし、小林秀雄と芭蕉のおかげで、私なりに平家物語の読み方ができたのは幸いだった。滅びそのものより、孤高のほうがしっくりくる。判官びいきも、忠臣蔵人気も、坂本龍馬好きも、私はどうにも理解できない。天邪鬼(あまのじゃく)だからだろうか。それとも、一般的に言われている日本人の好みというものが、間違って伝えられているのだろうか。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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