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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第44回・運命と立命

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【閑話休題】第44回・運命と立命

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-05-07 17:30:00]

【閑話休題】第44回・運命と立命


▼運命ということを信じるだろうか。偶然と必然の境界は微妙だ。それが運命となると、もっと話は飛躍する。こんな経験がある。大学時代、友人たち数人と別の大学祭に行くときだった。みなで電車に乗ろうとしたとき、一人が「妙に気持ちが悪い。この電車に乗りたくない」と言った。顔面蒼白だった。この男、ときどきそういう気味の悪いことを言う。まず、彼がそう言うときには、ろくなことがなかった。そこで、一本見送ることにした。電車は私たちを残してホームを出た。そして、すぐその先に見える踏切で人を撥(は)ねた。こんどは、私たちが蒼くなった。

▼虫の知らせとも、第六感ともいう。もし、運命があるのだとしたら、将来何が起こるのか、シナリオが用意されていることになる。その証明は難しい。仮に予知ということが本当にあるなら、それは運命の存在を証明することになるだろう。運命がなければ、予知もありえないからだ。オカルト好きな私は、ついまじめに考えてしまう。

▼中国は明代の書物で、陰隲録(いんしつろく)というのがある。袁了凡(えんりょうぼん)がその体験を書き綴ったものだ。もともと彼は運命論者だったが、雲谷禅師(うんこくぜんじ)に出会い、自ら運命を切り開いていくようになった。今回はその話である。

▼袁了凡が地方長官になっていたころ、禅宗の棲霞寺(せいかじ)にひょいと思いついて座禅を組みにいった。三日間続けたところ、そこの雲谷禅師が話しかけてきた。「あなたは、三日三晩座禅をしていたが、それは見事なものだ。以前から、座禅の心得がおありなさるか」。「いえ、まったくありません」。禅師は一驚した。「まったく邪念がない。とても素人ではこうはいかないものだが」。すると、了凡は、思いついたことを話した。

▼若いころ、了凡は一生の吉凶を占ってもらったことがある。それによると、「何の試験は何番目で合格する。何年に貢生(最高学府で学ぶことを許された者)の地位となり、何年には四川省の長官になり、二年半で帰郷する。五十三歳の時、八月十四日丑の刻に座敷の表で一生を終わることとなろう。子供はいない」。そして、その通りに彼の一生は進行していたのだ。「おそらく、それで迷いがないのでしょう」。

▼それを聞いた禅師は、大笑いして言った。「なんと。大変な人物かと思ったが、私の目も節穴だったようだ。つまらぬ人ですな」。禅師は、そこで了凡に諭した。運命を選択するのは本人の意思である。それを「立命」という。

▼了凡ははっと気づき、人生の見方が変わった。確かに運命はあるのかもしれないが、それは一つではなさそうだ。結局、どの運命を選択するかは本人の意思に委ねられている。立命に生きることを志してから、占いの結果とは違う人生が進行し始めた。彼は四川省の長官を辞した後も、八十三歳まで生きた。そのことを、息子に書き残したのが、先の書物(陰隲録)である。

▼さてここからは、本文より長い蛇足だ。私の家は浄土真宗だが、個人的には比叡山(天台宗)や高野山(真言宗)を大事にしている。一方で、胸がすくような思いをするのが禅宗だ。要はゴッタ煮状態。言わば修験道と同じ、雑密(ぞうみつ=原始的な密教)と呼んでもらって一向に構わない。ちなみに、私の出身大学はカトリックのミッション系だった。

▼その痛快無比な禅宗は、とにかく個性的な僧を多く生んだ。これは実話である。江戸時代、ある祈祷(きとう)で有名な禅僧が鎌倉にいた。江戸の大店の主人は、娘が病に倒れ、医者からも見放されたため、すがる思いでこの禅僧に祈祷を頼んだ。禅僧は、多額の報酬を要求した。法外ともいうべき金額だった。それでも娘の命には代えられないと、大店の主人は了解した。

▼禅僧は江戸にやってきた。そして、「娘はどこか」と聞き、「二人だけにしてくれ」と病臥する娘の部屋に一人で入っていった。ところが、禅僧はすぐに出てきた。お経も唱えず、あっという間だった。主人は心配そうな顔で、「あの、ご祈祷は・・」と聞くと、禅僧はこう言った。「ありゃもう駄目だ。だから娘にこう言っておいた。お前はもうすぐ死ぬ。あきらめろ。だがな、お前は死ぬ前に本当にいいことをしたぞ。お前のおやじが、うちの寺にこれだけの金を送ってきた。おかげでどれだけ貧しい人が死なずにすむことか。お前は大変な人助けをしたのだ。だから、もう安心して、この世に思い残すことなく死ね、とな」。

▼それを聞いた主人は激怒し、「インチキだ。金を返せ」と騒いだが、禅僧は「もらったものは返せぬわ」といってさっさと帰っていった。そして数日後、娘は奇跡的に全快した。娘が禅僧に言われて、「死んでなるものか」と思ったかどうかは知らない。ただ、禅僧に突き放された娘が、生き返ったのは事実だ。これが有名な「死の説法」である。禅僧ならではの、当意即妙、意表を突くウルトラCだ。「病は気から」というが、気力を一気に復活させた好例かもしれない。おそらく、禅僧の一言で娘の肉体の何十兆個もの細胞が猛然と動き出し、免疫力を高めたのだろう。

▼妖(あやかし)が出たら、日蓮宗なら南無妙法蓮華経を、浄土系なら南無阿弥陀仏を、密教なら各種の真言(マントラ)を唱えたりするだろう。禅宗にもそうした場合の法や次第、というものはある。しかし、たいていの場合、現場において彼らは気合一発で勝負する。喝(かつ)! 問答無用だ。烈迫の勢いで調伏させてしまう。段取りも作法も無視だ。「仏に会えば、仏を殺せ」と禅の公案集「無門関(むもんかん)」には書かれているが、何ものにもとらわれない自由さが、禅宗の魅力ではある。立命というのも、いかにも禅宗らしい発想である。決して否定はしない。しかし、それをはるかに超える道を示すのだ。

▼ときに、その禅僧でも「参った」と言うことはある。一休(いっきゅう)禅師の話だ。僧侶でありながら平然と肉食をし、盲目の女をはべらせて寵愛(ちょうあい)したという、とりわけ型破りの破戒僧だ。その一休が友人が住職をしている寺にいったところ、留守だった。「しばらく待たせてもらう」と言うなり、いきなり本尊を引き倒して枕にして寝た。友人の住職が帰ってきて、それを見て一驚した。一休はコンコンと本尊を叩き、「何を驚いているのだ。この中に、何か入っているとでもいうのか」。そしてやおら起き上がり、こんどは大般若(だいはんにゃ)経典の上にどんと腰掛けた。今度は、友人の住職もさすがに叱った。すると、「なあに、心配するな。大般若経の上に、大般若経が座っているだけじゃないか」。

▼その一休、あるとき何を思い立ったか、高野山を訪れた。そこのある寺に、一泊を願い出た。住職は、それを許した。一休は、日ごろ腑に落ちなかった疑問を住職に遠慮なく投げつけた。「あんたたち密教僧は、印(いん)を結ぶが、あれはいったい、効くのかね」。密教では、手で印を結び、口で真言を唱え、心で仏を観想し、祈祷をする。その印を結ぶしぐさのことを言っているのだ。たとえば、大日如来に降りてきてもらうには、左手を握り、その人差し指だけを立てる。右手で、その人差し指を覆うように握る。これを智拳印(ちけんいん)という。「ありゃあ、子供の手遊びみたいなものだな」と笑った。

▼住職は、眉をしかめた。「貴僧は、この寺に一泊の願いを申し出られた。しかし、当寺のことを誹謗(ひぼう)なさるなら、お引き取りいただきたい」。「そうか、泊めぬと言われるか。ならば仕方ないのう」。そう言って、一休は立ち上がり、部屋から廊下に出た。そのとき、住職が後ろで、手をパンパンと大きく叩いた。一休が振り返ると、その住職が無言で、手招きしている。「ほう、気が変わったか」といって、また部屋に入ってきた。

▼そこで住職が言った。「貴僧は先ほど、われわれが印を結ぶのを子供の手遊びと申されたな。では、何ゆえ私が手を叩いただけで、振り向かれたのか。何ゆえ手招きしただけで、こちらにまた入ってこられたのか。子供の手遊び同然のこのしぐさでさえ、傲慢(ごうまん)な貴僧をここまで動かしたのだ。印を結んで効くかどうかなど、言語道断じゃ」。一休はこれまでと思ったか、「参った」と平伏したそうな。一休なら、運命のことをなんと言っただろうか。さしずめ、「わしの運命? あるに決まっておるわい。何しろわしがつくっているのだからな」。そんな笑い声が聞こえてきそうだ。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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