【日刊チャート新聞記事紹介】
[記事配信時刻:2013-05-13 17:30:00]
【閑話休題】第48回・蝶を追って
▼増田徳太郎先生とは、わずか3カ月の縁だった。しかし、その3カ月は、私の人生の中でも、他に比較することができないくらい、きわめて濃縮されたものだった。その間に受けた電撃とも言うべきショックは、半世紀以上生きてきた私にとっても、ほかに記憶がない。米国の作家スタインベックが、「天才とは蝶を追って、いつのまにか山頂に上っている少年のことだ」と書いていたが、先生はその少年のような人だった。
▼今年1月、先生直筆の手紙を拝受し、お会いすることになったわけだが、壮絶といっても過言ではない最後の生き様は、私の情念をスパークさせた。生き様とは、畢竟(ひっきょう)、死に様だ。私がどこまで先生の遺志に応えることができるのか、正直、心もとないが、気合では負けていられない。
▼私もプロの端くれ。20年以上かけて、試行錯誤を積み重ねた。いい相場では儲かるが、悪い相場では損をする。これではプロとしては、ほとんど存在価値がない。そこで、抜本的に投資理論の再構築に努めて足掛け2年。修正につぐ修正を経て、昨年夏、それは完成した。衆院解散必至とみた私は、来るべき大相場に間に合わせるために急いでいたのだ。
▼そして、11月から実戦が始まった。結果は、6カ月半で顧客資産を4.5倍(日経平均は同期間に62%上昇)にすることとなり、並み居るヘッジファンドや一般の投資信託のパフォーマンスを圧倒した。直近の1カ月で手がけたポジションでも53%(指数は同期間に18%上昇)、2カ月なら65%の資産増大(指数は同期間に22%上昇)と、新戦術に基づく運用判断は、相場の上げ下げに関係なく実力を発揮した。
▼私は助言業免許による投資顧問だったから、投資信託のように運用成績が公開されているわけではない。事実は自分と顧客だけが知っている。相場が良かったからだ、という批判はあるかもしれない。ならば、このパフォーマンスを、(自分の手張りの資金運用ではなく)、他人の資金で責任を負いながら出してみればよい。答えは明らかなはずだ。正直な話、この業界に入ってそのほとんどは、顧客に迷惑をかけてきたとしか言えないキャリアだが、初めて「思い残すことはない」と思っている。
▼増田先生は、その銘柄の選別方法、タイミングの捉え方など、私のやり方を聞いて一驚されていた。「あんた、これを自分の手作業だけで割り出したのかね」。
その通りだった。零細企業だったから、仕事場にはクイックもブルムバーグもない。一台のパソコンだけで、日々300銘柄前後のチャートを繰り返しチェックすることで、判断を下していた。私は文字通り、「腕力」で銘柄選択とマーケットタイミングをはかっていたのだ。
▼ところが、もっと驚いたのは実は私のほうだった。先生は、私が割り出した銘柄群を増田足のツールを使い、いとも簡単に一瞬で選別して見せた。その衝撃が、読者に伝わるだろうか。背筋が凍るとはこのことだ。そのとんでもないツールは、目の前にいる老人が、齢(よわい)70歳から開発したものなのだ。圧倒されたとはこのことだろう。私には歴史の扉を開けることはできないが、その前で立ち尽くすだけで十分幸せだ。しかし、先生は明らかに、その扉を自らの意思と情熱で開いた。
▼先生が心血を注ぎ込んだ日経先物ミニの売買サインなど、そのパフォーマンスは、私の現物株のパフォーマンスなど比較にならない驚天動地の成果だ。現物株よりレバレッジの効いた指数先物とはいえ、月間ごとの、そして累計のパフォーマンスたるや、その商品特性の違いを上回る実績値になっている。最後の最後まで、こうしたチャートソフトの開発に余念がなかった先生は、『ファウスト』の中でゲーテが書いたように、「あなた自身を終わり得ないことが、あなたを偉大にする」、これを地で行った人生だったろう。
▼理屈を述べる人は多い。しかし、個人投資家を救うのだというストイックな使命感を負い、それを形にしてみせた執念のような思いは、先生の下で仕事を始めてから、ひしひしと伝わってきた。相場は、老若男女を問わず、プロ・アマを問わず、すべてに平等だ。それを、先生は増田足の開発で、身をもって証明してみせた。
▼私は、増田足のさまざまな機能(とくに「先読み」には正直目が眩んだ)に、脱帽せざるを得なかった。あとは、投資家がこれを十分使いこなせるかどうかにかかっている。もし、私にできることがあるとすれば、そのような投資家を支援することだろう。それが、これから日刊チャート新聞に求められることだ。
▼先生が病床から私宛てに書かれた「お会いしたい」という手紙が残っている。今となっては、私にとって先生の遺言書のようなものだ。かつて、このような手紙をひとさまから頂いたことなど一度もない。これまで、逝く人の遺志を受け継ごうとしたことも、一度たりとてない。大それたことに、それをやろうとしている。
▼増田経済研究所には、すでに10年来の「弟子たち」が、先生の薫陶を受けて一騎当千の布陣を敷いている。私などは、まだ入社三カ月の新参者である。本来出る幕などないのだ。先生は一体、何を私に望んでいたのだろうか。暗中模索の真っ只中だが、少なくとも老兵が退役することもなく、最前線で散った。これ以上の率先垂範もない。その軌跡をたどるだけで、おのずと道は開けるはずだ。
▼涙は、記憶の蓄積である。悲しいから涙が出るのではない。もちろん、かけがえのない人を失えば悲しい。しかし、たくさんの思い出が残っている。増田先生とは、わずか3カ月のお付き合いにもかかわらず、信じられないような逸話の数々が私の心の中にはある。だから、すべてを失ったわけではない。涙というのは、数えきれない記憶を残してくれたことへの、感謝なのかもしれない。
増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄
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