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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第5回・円の歴史

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【閑話休題】第5回・円の歴史

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-03-07 18:08:00]

【閑話休題】第5回・円の歴史

▼為替の交換レートには、その国が置かれている位置や立場が鮮明に示されるという。かつてドル円は、幕末の日米通商修好条約で1ドルが1円でスタートした。どちらも、前近代国家と、開発途上国家だったから、お互い立ち位置が皆目わからなかったのだ。

▼明治になって、日本では西南戦争が起こり、戦費調達で国債を乱発。円は、1ドルに対して2円に暴落した。ずっと時代が下って大恐慌のころ、金本位制離脱で4円20銭までさらに暴落。その後はおおむね落ち着いていたが、第二次大戦の敗戦によって暫定的に15円に暴落させられた。これはただちに修正されて、さらに50円にまで暴落。占領下の軍事交換レートである。

▼1949年、東証再開のころ、ようやく1ドル360円という固定レートが始まった。この「360円」という数字は、敗戦の焼け跡に立った日本人にとって、いわく言いがたい無力感を与えた交換レートである。国際連盟時代に常任理事国であった日本が、対ドルで3ケタの交換レートである。いかに敗戦国とはいえ、3ケタの交換レートの国など存在しない。

▼俗説では、円周に等しい360という数字の選択は、要するにゼロ(0)、お前は無価値だと思い知らせるメッセージがこめられているとも言われる。500だろうと、1000だろうと、アメリカにとってはどうでもよかったのだ。円が破滅的な暴落をした、ということを思い知らせるために、わざわざ意味深長な360という数字が使われたのだ、と。それほど、敗戦という事実は重い歴史だったはずだ。

▼この国家的屈辱を、日本人は歳月の経過とともに忘却のかなたに追いやったようだ。敗戦ではなく、「終戦」と呼び習わしていること自体が、日本人が失敗の本質を見極めようとせず、できれば避けて通ろうとする癖の表れかもしれない。その結果だろうか、70年代以降、変動相場制に移行して、80円を切るにいたるまでの大円高時代が到来したが、その前半は、日本が再評価されたと勘違いしたのか、バブルに舞い踊った。果たして、あの8月15日を本当に経過した国民なのかと目を疑う。

▼しかも今度は、円安を喜ぶという異様なありさまとなっている。なるほど、現状にかんがみれば、円安でこのデフレを脱却していくことができるかもしれない。株価も上がる。不動産も上がってくるだろう。しかし、円安の本質的な意味を、日本人は心のどこかで身にしみているだろうか。

▼かつて作家の高橋和己が自著『孤立無援の思想』の中で、太平洋戦争を3つの思想の戦いだと述べている。アメリカは、人間の非力を痛感していた。だから、それを物量と合理性で補完しようとした。中国は、やはり人間の脆弱さを熟知していた。だから、それを広大な土地に依存して敵を分散し、小規模化し、各個に分断・包囲・殲滅するというゲリラ戦で補おうとした。

▼日本は、あらゆる物量の欠乏と、貧弱な資源、狭隘な国土という弱点のすべてを、生身の人間という肉体で補おうとした。そして生まれたのが、「特攻」の思想であると。これは日本が未曾有の敗戦を被った多くの理由の1つにすぎない。しかし、このたった1つでさえ、本当に戦後の日本人が克服できているのか、と自問すると、なんとも疑問が残る。為替を見るたびに、8月15日を経過したことの意味を、考えさせられてしまうのである。

増田経済研究所
コラムニスト 松川行雄



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