忍者ブログ

増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第54回・マルクスの亡霊

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

【閑話休題】第54回・マルクスの亡霊

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-05-21 17:30:00]

【閑話休題】第54回・マルクスの亡霊


▼イデオロギー(熱狂的な思想)が死んで久しい。日本では70年代の実存主義の流行以来、イデオロギーが日本の文化を席巻したことはない。世界的にも、イデオロギーは時代のダイナミズムの原動力になる機会が、ほとんどなくなった。イデオロギーの時代にとどめを刺した最期の一太刀と言えるのが、米国の政治学者、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』という一冊だったろう。民主主義と資本主義が最終的な勝利を収め、社会制度の発展が終わり、人類発展としての歴史が終わるという仮説を提示した。ちょうど、同書がベストセラーになった1992年の前年、つまり91年のクリスマスの夜に、ソビエト連邦が消滅した。

▼もともと、19世紀後半から20世紀前半まで、熱病のようなイデオロギー全盛の百年に導いたのは、三人の男だったといっていい。哲学ではニーチェが、まずそれまでのキリスト教的世界観を葬り去った。「神は死んだ」と決め付け、人間主体の価値判断に正当性を与えた。フロイトは心理学で、人間の情動の根本にあるものは欲望である、と言い切った。さらにマルクスが経済学で、だから権力を奪えと怒号した。近代は、この三人の欲望へのあくなき追求という掛け声とともにスタートを切ったといってもいい。

▼さて、ここではマルクスに絞って話をすすめよう。古くは1871年のパリ・コミューンで3万人の犠牲を出した「血の一週間」だったが、史上初の共産主義政権もあえなく失敗。ペールラシェーズ墓地での最後の抵抗も、147人の一斉銃殺によって終焉した。その後、各国で共産主義革命運動は、勃興しては頓挫を繰り返し、結局1921年のロシア革命を経て、翌22年についにマルクス主義を標榜する政権としてソビエト連邦が成立した。しかし、その命運はわずか70年という、想像以上に短い歴史の幕を閉じた。19世紀から20世紀にかけて、麻疹のように世界に蔓延した共産主義という最後の、熱狂的なイデオロギーの嵐も、あえなく潰えた。

▼学生時代、読んだというにははなはだおこがましいが、字面をとりあえず追ったという意味では、『資本論』を読んだことがある。思想的には逆の立場にいたため、「敵を知る」ために読んだのだが、正直なんのことやら結局分からずじまい。ただ、注目点は読む前からはっきりしていた。いったいマルクスが具体的にどのような社会・経済体制を想定していたのか、という一点を知りたいために読んだといってもいい。

▼ところが、頁をめくれどめくれど、一向にその「青写真」というものが出てこない。それもそのはず、副題にそのヒントがある。つまり、「経済学批判」であり、共産主義社会が具体的にどういうものか、ほとんど解説していないのだ。共産党という各国の存在が、よくもまあこのモデルなき経済学批判だけを頼りに政策綱領をつくっているものだ、と半ばあきれ、なかば感心した次第。

▼いや、実はわずかにある。あの膨大な書物の中に、私が気づいた限りでは、たったの一箇所、それも文庫本でわずか2頁くらいだったと思うが、わずかに「いつか来るその世界」のことを書いている。それは、記憶を頼りにしてみると、あまりにもマルクスらしからぬ、夢想的で、幼稚なほど楽観的な都市コミューンの世界だ。国家というものは消滅しており、人々が自由に需要と供給のバランスを取っている。あたかも、アテネやスパルタの時代に回帰したような世界観なのだ。古代ギリシャのように、街中の誰もが顔を見知っているような範囲であれば、それも可能だろう。しかし、領域国家では、物流一つとってもほぼこの予定調和は非現実的である。

▼しかし、マルクスはまじめにそれを夢見ていたようである。そもそも、マルクスが主張していたのは、高度に資本主義が成熟した国家にこそ、共産主義革命が起こるということだった。モノを奪い合う戦争や搾取が起こる理由は、結局モノに希少性があるからだ。したがって、希少性がなくなってしまえば、奪い合う動機そのものも消滅する。これを支配し、占有し、搾取する国家権力や資本家も存在理由がなくなる。

▼では、どうしたらモノの希少性がなくなるのか。それは資本主義による工業化が極度に発展し、モノを大量生産できれば良いのだ、という結論になる。その結果、モノの希少性を管理する国家の役割もなくなる。といっても、既得権者はなかなか権力を手放さないだろうから、一時的に暴力による革命と独裁政権が必要であり、その過渡期を経て、最終的には国家は消滅するのだ。

▼乱暴なまとめかたをすれば、おおむねこういうイデオロギーだといっていい。だから、マルクスは、英国にこそ共産革命が起こると死ぬまで信じていた。ましてや、前近代的な社会体制であったロシアや中国に起こるなどとは、夢想だにしなかった。生きていたら、さぞかし腰を抜かしたことだろう。逆に言えば、マルクスが理想とした地域コミューンの独立性、自浄作用が効いた社会に一番近いところは、アメリカくらいのものだったのではないか。ある意味、マルクスの予言は当たっているとも言える。インターネットの普及が、さらにそれを加速させている。時代の最先端を行っているのは、高度に資本主義が発達し、共産主義を毛嫌いするアメリカであるという皮肉な現実。マルクスは、二度びっくりである。

▼マルクス主義に、当時から猛烈に反発したのが、同じ革命派でも、アナーキスト(無政府主義者)と呼ばれる人たちだった。赤旗に対して、黒旗の集団だ。マルクスの共産主義と、「インターナショナル」で取っ組み合いの衝突をしたのは、アナーキストの頭目、バクーニンだった。ただ、アナーキストは、その思想の性格からセクト(分派)を嫌う。管理され、組織化されることを嫌う。そのため、運動を敵の打倒一点に絞り込むことができない。エネルギーが無意味に、拡散的に暴発してしまうのだ。

▼「インターナショナル」でも、このバクーニンらのアナーキストは、自分たちの間でまとまりがつかずに共産主義者に敗れ、主導権を奪われた。ロシア革命という壮大な実験でも、革命運動の圧倒的多数派はアナーキストであり、実は共産主義革命の様相はなかったといっていい。それが、アナーキストに紛れ込んだレーニンのボリシェビキ(少数派)によって、いわばクーデターによって権力を横取りされたというのが、実態だ。

▼クロンシュタットの軍港で、ウクライナの沃野(よくや)で、ロシア全土で兵士や農民を主体としたアナーキストたちは、ボリシェビキによって徹底的に粛清された。犠牲者は1000万人を超えたといわれるが、実数はそれをおそらくはるかに上回る。これだけの犠牲を経た上で、共産革命政府はいったい何をモデルに国を再建しようとしたのだろうか。マルクスはその青写真を、先述通り何も提示してはいない。だから、ソ連政府は悲劇的な迷走をした。

▼同じことは中国でも起こった。いずれも、マルクスが何も教えてくれないから、自前で考えざるを得なかったのだ。結局のところ、共産革命は民族主義の高揚を背景にした独裁権力の成立と、GHQが日本で行なった農地解放の域を出ず、どこもオリジナリティを発揮できずに終わった。オリジナリティを無理に出そうとした国は、未曾有の大混乱と内乱を生んだ。それが、文化大革命であり、カンボジアのポルポト政権による原始共産制への回帰という狂気だった。

▼「インターナショナル」で破れたアナーキズムは、共産主義以上に現実性のないイデオロギーだが、それでも共産主義が持っている最大の欠陥をスッパ抜く点については、慧眼(けいがん)を持っていた。バクーニンは、マルクスを罵倒したとき、こんな言葉を投げつけている。「おまえたちは、昨日まで労働者だと言っていた人間が、いったん独裁権力を握った瞬間から豹変することが分からないのか。労働者以上に、労働者の幸福を知っていると自称する小数の労働貴族と、ただ支配される無知な畜群という、帝政以上にタチの悪い国家ができあがることが、どうして予想できないのだ。その後の国家の消滅など、夢のまた夢だ」。バクーニンの予言は、ほぼ的中したといっていい。「持てる者と持たざるもの」の壁が、「知っていると称する者と知らされざる者」との壁になりかわってしまう現実だ。

▼今、このバクーニンの罵倒を、痛いほど身にしみているのは、おそらく中国共産党指導部であろう。偉大な革命が覆い隠してきたツケの部分が、回ってきたのである。尖閣諸島問題など、昨年6月まで、ほとんどの中国人は、「知らなかった」のだ。あの日本車の焼き討ちにしても、日本人女性ジャーナリストが、若い暴徒たちに捨て身のインタビューをした映像を見たことがあるが、暴徒たちは口々に「日本車の襲撃は痛快だ」と叫んでいた。

▼しかし、その次の言葉が衝撃的である。「これがパトカーだったら、もっと痛快だ」。ここに本音がある。愛国無罪という悪法によって、中国政府は国内の不満をなんとかそらしてきた。官製デモだと言われるゆえんだ。政府は仮想敵国をつくってガス抜きをし、その間に、共産主義の矛盾を修正しようと必死の努力をしている。どこまで国民は、それを待てるだろうか。それもインターネットとスマートフォンの普及で、ジワジワと足元が地すべりを起こしている。

▼ロシアはすでに共産主義を放棄し、中国はその岐路に立たされている。この二大国は、かつての共産革命以上の「産みの苦しみ」を味わっている。われわれを含めて、諸外国が好意をもって支援できることは限られている。自ら海図なき航海に踏み出した前途は、途方もない痛みを伴うことだろう。

▼イデオロギーを放棄したロシアより、イデオロギーにまだしがみついている中国は、もっと事態の矛盾が深化しているといっていい。その痛みの拡散をもくろんで、内紛を外に向けさせる愚は冒してほしくないと、祈るばかりだ。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



日刊チャート新聞のコンテンツは増田足のパソコン用ソフト、モバイル用アプリから閲覧可能です。

15日間無料お試しはこちらから
https://secure.masudaasi.com/landing/pre.html?mode=cs
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。