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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第81回・日本のダヴィンチ・コード(前編)

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【閑話休題】第81回・日本のダヴィンチ・コード(前編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-06-27 17:45:00]

【閑話休題】第81回・日本のダヴィンチ・コード(前編)



▼欧米で、ベストセラー小説『ダヴィンチ・コード』が出版されてからというもの、ローマ法王庁も巻き込んだ大騒動となり、蜂の巣をたたいたようになった。イエスとマグダラのマリア(褐色肌人)との間に、子供がいたというのだからえらいことだ。

▼今日の話は、歴史のタブーでもある。皇統にかかわることなので、どうしても口ごもってしまう部分がある。そのへんは、上手に避けながら書いてみよう。どこの世界にも、「不都合な真実」というものはあるものだが、あまり深入りしないことが肝要だ。

▼話は伊勢皇大神宮。「お伊勢さま」だ。日本の神々の頂点に君臨する神社である。天皇家のご先祖(ということになっている)。だから、当然天皇陛下は行幸(ぎょうこう)される。が、天皇家が実際に行幸されるようになったのは、明治天皇以降に限られる。ここに日本史の謎がある。

▼そして、歴代天皇がこぞって参拝に足を運んだところは、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ、三輪)、そして紀伊の熊野権現(くまのごんげん)である。異常なことと思わないだろうか。なぜ、歴代天皇や貴族たちは、天皇家のご先祖と「されている」伊勢に詣でず、ひたすら大神神社と熊野権現ばかりを詣でたのだろうか。ちなみに、日本中探しても、「大神」などという大それた名前の神社は、奈良の大神神社だけである。

▼伊勢にお祀りされているのは、天照大御神(アマテラスオオミカミ)だ。女神ということになっている。ところが、地元の伊勢の神話では、天照大御神が女のところに「夜這い」したことになっている。「神話」であるから、さまざま奇妙な点はあっても不思議ではない。が、それが「不都合」を隠蔽(いんぺい)したものであったとしたら、ことは重大になってくる。「本当の」アマテラスは、実は男神なのではないか、というのは古来、疑問として語り継がれてきた。

▼神話というのは、まったくの神話、物語であることも多いが、概してこうした為政者の記録というものに関しては、実在性があると考えるべきだ。それを神話化し、物語をつくり、そこにその事績を仮託する形で記録されていることが多い。ときには、神話では一人の人間になっていても、実は複数の人間の事績を複合化して記録している場合もある。その疑いが濃いのは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)だが、ここでは本論からそれるので省略する。

▼実は、古事記、日本書記、そしてアカデミズムでは偽書とされる先代旧事記(せんだいくじき)などに出てくる一人の人物の名前が、古来、大変な物議をかもしてきた。その人物の名前とは、驚くなかれ、「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊(アマテル・クニテル・ヒコ・アメノホアカリ・クシ・ミカタマ・ニギハヤヒノミコト)」という恐ろしく長い名前の人物だ。通称、「ニギハヤヒ」というこの人物が男性であることは確定している。しかも、古事記や日本書紀では、神武東征に先駆けて、先に大和に降り立っていた人物とされている。民間の研究者の間で非常に多くの支持を集めている仮説では、この人物こそが、本来のアマテラスであり、女神としてのアマテラスではない、というのだ。

▼一方、伊勢皇大神宮の天照大御神は、大日霊女貴(オオヒルメノムチ)、天照大日霊女尊( アマテラス・オオヒルメノミコト)とされている。伊勢皇大神宮が御祭神名をそう解説しているのであるから、間違いないのだろう。その名からして明らかに女性である。太陽のような神に仕える巫女(みこ)、という意味だ。

▼日本の最も重要な、皇統の最初の「神」にしては、天照大御神の実名は、ニギハヤヒのそれに比べると、あまりにも謙虚にして、簡素にすぎやしないだろうか。なにしろ、ニギハヤヒは、「天照国照」であるから、その偉大さの表現としては、女神としての天照大御神のオオヒルメノムチなど、どう考えても比較になるまい。ニギハヤヒの諡号(しごう。おくりな、死後に送られる名前)が、燦然と輝く偉大さを表現していると、素人でも分かる話である。

▼日本でもっとも古い神社の一つ、籠(この)神社というのが、天橋立のそばにある。この御祭神は、天照国照彦火明命(アマテル・クニテル・ヒコ・ホアカリノミコト)となっており、社伝では、天火明命(アメノホアカリ)、天照御魂神(アマテラスミタマノカミ)、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は、いずれも同一人物である、としている。京都の下賀茂神社(別雷神、ワケイカヅチノカミ)や、奈良の大神神社(大物主、倭大物主櫛甕玉命、オオモノヌシ)も異名だが、同一人物だとしている。

▼九州などに多いが、伊勢天照御祖神社というのが各地にある。伊勢と名前がついているから、あたかも女神としての天照大御神(オオヒルメムチ)が御祭神とおもいきや、100%違う。すべて、社伝では天照国照彦火明命であり、つまり、ニギハヤヒだ。

▼実はこの籠神社、元伊勢と呼ばれており、現在の伊勢皇大神宮の場所が定まらず、50年の長きにわたり、各地を「たらいまわし」されていた時代に、天照大御神(オオヒルメムチ)がここに「間借り」して鎮座していたという事実がある。つまり、天照大御神(女神)と、天照国照彦火明命(ニギハヤヒ)とは、まったくの別人であることになる。そして、ニギハヤヒのほうが、オオヒルメノムチよりずっと早くから存在していた「人物」ということになる。

▼神社伝承学といい、とくに地元や民間の研究者たちが、とくに重視して、日本中の神社の社伝を調査している。持統天皇によって、それまでの「歴史」はすべて焚書坑儒され、新たな「歴史」がつくられた。それが古事記であり、日本書記なのだが、持統天皇が自分の皇統の正当性を示すためにつくられたという。そのため、それ以前の神々(古代の日本の王朝の大王たち)は、ことごとくその神名を「消された」。しかし、一般の人々の間まで、その持統天皇の意思は徹底されるわけもない。弾圧を恐れ、その神名は別の名前に置き換えられ、尊敬と信仰の対象として潜伏した。

▼神社伝承学は、この点を重視する。各地の神社の御祭神の名を、つき合わせていったときに、先述の「ニギハヤヒ」のように、一人の人物がたくさんの神名で語り継がれている事実がわかってくる。その結果、民間の研究者たちの間でかなりの支持を集め始めている仮説は、奈良朝以前、日本最古の統一王国の大王は、ニギハヤヒではないか、ということ。そして、この人物は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の第5子で、幼名を大歳(オオトシ)と呼んだこと。長じて、スサノオ亡き後、出雲、日向、大和を統合した最初の統一王朝の始祖となった、ということなどだ。そして彼の死後、これ以上偉大な表現はないというくらいの、あの「天照国照・・・」という諡号を送られたということになる。
(以下、明日の後編に続く)

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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